第三話

「ごめん、ケン。ここまで来てくれてありがとう。助けようとしてくれて、ありがとう。だけど、今回で終わりにしよう」


 そう言うと、ケンはいつもの能面な表情で口を開いた。


「……分かった。これで終わりにしよう」


 そう言った後、ケンはポケットから小さなガラス瓶を取り出した。


「何、これ?」


 それは少し大ぶりな、ピアスについてる飾りくらいのサイズだ。透明なガラス瓶の中には透明な液体がたっぷり入っている。


「これは俺が未来で作って持って来たもので、これを飲めば静かに心肺停止して、あたかも突然死したように端からは見えるだろう」


 ケンは相変わらずの能面な表情で、真っすぐ私を見つめながらこう言った。


「苦しみもなく、眠ってる間に死ねる薬だ」


 それって、要は毒ってこと……?

 ケンの説明を聞いた後、透明で水のように見えるそれは、紫色した禍々しい毒にみえてきた。

 もちろんそれは私の想像で、透明な瓶の中の液体は、相変わらず澄んだ色をしている。


「なんで、こんなものを……?」

「万が一の時のため、だな。万が一俺がカヨをどうしても救えないって判断した時の保険だった。何やっても、どうあがいても過去が変えられないって思ったら、どうにかしてカヨの飲み物にこっそり入れる予定だった」


 飲み物にこっそり……。

 さっきまであんなに食い下がって来てたのに、どうやっても私を救えないかもしれないっていう未来を想像して準備をしているところが、まぎれもない私のよく知るケンだと思った。


「それって……せめて私を苦しまずに死なせるために……?」


 ケンはうんともすんとも言わない。無言で私から視線を逸らした。だけどそれが肯定の意味を含んでいる事を、私は分かっていた。

 透明な小さな瓶。テーブルの上に置かれたそれを、私は手に取って、手の中で小さく転がす。

 毒が私の手の中にある。私はもう決めたんだ。この繰り返しを終わらせると。だからこうして、ケンを説得しに来たんだ。

 だけど、やっぱり死ぬのは怖い。何度死んでも、何度痛い目をみても、やっぱり死ぬのは怖いって思う。死ぬ行為に慣れなんてない。

 ドクドクと鼓動が早まるのを感じ、手が震えてしまわないように、私はその小さな瓶をぎゅっと手のひらにしまい込んだ。


「そっか、ありがとう。じゃあ早速部屋に戻ったら飲もうかな」


 ケンに気持ちを悟られないように、私は普段通りの口調で小さく微笑んだ。


「即効性はないから今飲んでおいた方がいい。それに薬がなかなか効かなくて、誰かが被害に会う前にも」

「確かに、そうだね……」


 繰り返しを重ねて受けた痛み。自分が事故に遭って受けた、物理的な痛みも、ことりちゃんが事故に遭った時の精神的な痛みも、どれも思い出すだけで吐き気がする。

 思わずぎゅっと目を閉じて、深い深呼吸をひとつつく。それからゆっくりと瞼と共に手を開き、その中にある無色透明な液体の入った瓶をみつめる。

 あの痛みはもう正直経験したくもないし、それに自分が死ぬかもしれないって想像しながらの生活は、気が休まらなくて、心臓に悪い。

 そう思うと、手の中にあるこの液体は毒でしかないはずなのに、毒を思わせるような禍々しさのないすっきりとしたクリアなその色は、窓の外の光を浴びてきらきらと輝いている。その輝きが、どこか私の心を浄化してくれるような気がした。


「ありがとうね、ケン」


 こんな薬だけど、持って来てくれた事に心から感謝したいと思った。

 私が苦しまないでいられる、最善のものを選んで持ってきてくれた。

 その行動に、未来のケンが悩まなかったわけがない。私を助けようとして来てくれたんだから、本当はこんな薬に頼らなくていいように、彼は最善の事をすべて尽くしてくれていたに違いない。


「本当に、ありがとう」


 ケンは何も言わず、私から小瓶を受け取った。

 瓶には蓋がついていない。どうやって開けるんだろうって思っていた私の疑問を、ケンはすぐさま解決してくれた。

 瓶はボーリングのピンのような形をしている。その細い頭部分と胴体を両手でそれぞれ掴んで、パキンッと折り割った。

 簡単に折れる程度の薄いガラスで覆われた液体。サンプルの香水瓶をも思わせる程度の小さなそれを、私はケンの手から再度受け取って、ゆっくりと喉の奥に流し込んだ。

 それはほんのり甘い味がした。


「……じゃあ私は家に帰って、ベッドで横になってこようかな」


 どれくらいで効果が表れるのかわからないから、家で大人しくしている方がいい。家に帰ればお母さんがいるだろうけど、体調が悪くなって途中で帰ってきたって言えばいい。

 その時、少しだけお母さんとも話ができるかな? 今まで可愛げのないことばっかり言って、自分の娘よりケンの方が可愛がっててむかつくことばかりだったけど、それでもやっぱり、これが最後だと思うと、お母さんにありがとうって伝えたい。

 ご飯を作ってくれてありがとう。いつも部屋の掃除をしてくれてありがとう。

 それから、産んでくれてありがとう。

 あまり言うと変に思われるから、多くは言うつもりはないけど、少しだけお母さんと話して、気持ちが伝えれたらいいな。


「お母さんとも少しだけ、話がしたいしね」


 最後だから……って、そう言おうとしながら椅子を後ろに引いた瞬間、頭がくらりと揺れた気がした。

 即効性はないって言ってたけど、効果が現れだしたのかもしれない。

 でもなんだろう、何かが変だ。ってそう思って立ち上がろうとした時には、足に力が入らない。


「お前は、カヨママと話をする必要はない」


 ケンは私が飲み干したあのガラス瓶の残骸を掴んで、それを指で転がしている。割れた二つの小瓶を見つめた後、顔を上げて私に向き合った。


「だってカヨはまた、目を覚ますんだから」


 澄んだ目は、強い意志を持って、私を見据えていた。

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