第八話
「君達、さっき警察に通報してくれた子達だね?」
そう言いながら、男性は内ポケットからこっそりと警察手帳を見せてくれた。
「電話で言ってた不審者っていうのは、どの人かな?」
「今階段を上がって来てる、あの白いワイシャツを着たヒゲのおじさんです。ほらあの、髪を後ろに括ってる人」
ケンが私に代わって全て話をしてくれた。すると警察の男性はイヤホンで別の警察官と情報を共有して、すぐ近くで電話をしていた別の男性が動き出した。
ケンが言う通り、電話をしていた男性も警察官だったみたい。電話をしていた警察官は、陸橋を上りきったあのおじさんに向かって歩き出し、ポケットから警察手帳を取り出した。
……と、その瞬間、私はおじさんと目が合った。
なんで? ていう疑問の顔で私に何かを訴えかけようとしてる事は、その表情を見れば一発だ。
そんなおじさんの表情を見て、私は思わず間違えた? ……って、そんな不安が頭を過ぎる。
もしかしてあの人つけてきてたつもりはないのかもしれない。いや、でも私はあの人に殺されたんだし……。でもやっぱりそれは、夢だったのかな……?
一気に罪悪感が私の心を支配し始めて、思わずおじさんから目を逸らした。すると、警察の人と話をしていたおじさんは駆け出して私の元へ駆け出した。
怖い、そう思った瞬間、壁のように私の前に立ったのはケン。そして、中年警察官も私の壁になりつつ、あの不審な男性に向かって歩き出した。
前方と後方、どちらからも警察の人に挟まれた男性はあっさりと取り抑えられて、その細身の体を地面に叩きつけられている。
「大丈夫だ。もうあいつは何もできねーよ」
そう言って、ケンは私の肩に手を乗せた。どうやら私の体は震えていたようだ。
「気にすんなよ。もし本当にあのおっさんが無実なら、警察が話を聞いて問題なく解放するだろ」
私の考えてることがケンにはお見通しのようで、普段なら癪に思うところも、今だけはなんだか安心する。
私はケンに勧められるがままに、上ってきたのとは別の階段から降りようとしていた、その時だったーー。
「ーーカヨ!」
……そう、私の名前を呼ぶ声が聞こえて、思わず振り返った。
その声はどこか懐かしさを感じたし、同時にどこかこんな状況を知っている気がして、再びデジャヴが私の脳を支配でもしようとするような、そんな不思議な感覚に酔いしれそうになった。
そんな中で、私は頭を小さく振って意識をしっかりと持ち直してから振り向いた。
「カヨ! 俺はお前を助けに来た! なんでこんなことになってんのかわからないが、俺はお前の敵じゃない、信じてくれ!」
私の名前を呼んだのはあの不審なおじさん。警察の人に押さえつけられながらも必死の形相で私に向かって叫んでいる。
その様子が怖いと思った。それなのに、それと同時に私は、あのおじさんから……なぜか目が離せなかった。
「あいつ、どこでお前の名前を知ったんだ? やっぱりストーカーだったのかよ」
嫌悪感をむき出しにしたケンが、唾を地面に吐き出すみたいにしてそう呟いた。ちょうどあのおじさんとの間に立つようにして、ケンは私を陸橋から降りるように促している。
「カヨ!」
なんとなくその声に惹かれるようにして私は再び背後を振り返ったけど、ケンの体が壁のようにそれを遮っている。
「さっさと行くぞ」
「う、うん」
普通ならどう考えても気持ち悪いと思える状況なのに、あんまりそう思えないのはなんでだろう。
「行くな! カヨ、俺はお前を救いに来たんだ!」
「救うってなんだよ。ストーカーの言いそうなことだな」
ケンは私にそう言いながら、鼻でせせら笑うようにそう言っている。言葉尻から感じる嫌悪感。ケンを見やると、ケンはあのおじさんを睨みつけていた。
私は前を向きなおし、階段に足をかけてゆっくりと降り始めた、その時だった。おじさんはさらに叫んでこう言った。
「カヨ、お前はこのままだと今日、死んでしまうんだ!」
……えっ?
さすがの私も、その言葉には振り返らずにはいられなかった。
「なんで……?」
背後ではケンの苛立った顔がある。そんなケンも、私と同じで後方にいる相手に向けて振り向いた、その瞬間だった。私は階段を降りるために上げていた足を地面につけようとしたその時、私の靴は何か弾力のある物を踏んだ。
あっ……。
その弾力のあるものを踏みつけた瞬間、私の体はまるで振り子のように傾きだした。その状況を冷静に見ている地点で、私はあの不思議な感覚に陥っている事に気がついていた。
私の周りの時の流れが、スローモーションに変わっていた。
ゆっくりと流れる時の中で、重心が傾きだした体を支える事も、立て直す事も不可能なのだと悟った。なぜならば、この状況に陥ったのは一度や二度ではないから。
背後にケンはいるけど、ケンの視線は後方のおじさんに向いている。そのおじさんが私に向かって大きく目を見開き始め、口を目よりももっと大きく開いて何かを訴えかけようとしていた。
スローモーションで見える景色の中で、私はふとあのおじさんの表情に既視感を覚えた。
そういえばあの人、私をトラックで轢く瞬間も、同じ表情をしてたっけ……。
それはビックリしたようで、それでいて恐怖に慄いた表情だった。
「カヨー!」
その声がまるで号令のように、私の周りを取り巻いている時の流れが元に戻り始めていた。
おじさんが悲痛な表情で私の名前を叫び、それに驚いて私のすぐそばにいるケンが振り返る。それと同時にケンは私に向けて手を差し伸べるけれど、私はその手を掴むことができず、私の体はまるで何かの糸に引っ張られでもするかのように、地面に向かって落ちてゆく。
初めはお尻。その後は肩。階段の角で強く打ち付けたそれらに、私は堪らず悲鳴をあげた。けれど、それでも私の体は止まることを知らず、どんどんと落ちてゆく。
転がり落ちながら、私は痛みを堪えきれず、目を閉じようとしたその直前、私の目はあるものを捉えた。
転がる体と同じように、勢いよく回転している足。その足には、今日買いたてのローファーが今にも脱げそうに暴れている。
暴れている原因で、私が今こうして階段を転がり落ちている理由ーーローファーの底がべろりと半分めくれていた。まるで子供がおちゃらけてする“あっかんべー”のように、だらりと舌を垂らしていた。
私が足を上げた時、舌のように剥がれていた靴底を私は踏んで、体制を立て直せないままこの状況を作り上げたのだろう。なんて、体の痛みと戦いながら私は冷静にそんな事を考えていた。
「カヨ!」
再び聞こえたケンの声。でもそれはケンのものなのか、はたまたおのおじさんのものなのか。私は確認する事も出来ないままぎゅっと目を閉じた。と同時だった。
ガツンッ、ともドンッ、とも取れるような音を私の後頭部が鳴らしたのを最後に、暗い深い闇の中に吸い込まれるようにして、私は意識を手放したーー。
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