第8話 公爵様はお強いです


 以来、マリュアンゼは毎日オリガンヌ公爵別邸に通い、せっせとフォリムに挑んでいる。

 母は娘の熱意に感激し、ドレスを何枚も新調した。あちらに着けば、すぐに乗馬服に着替えるのだが、その話は勿論していない。


 そう言えば実験云々の話はどうなったんだろうと、聞いてみたところ、どうやら公爵の興した事業が製薬に関わるものなのそうだ。

 で、女性を対象にした薬品の治験に付き合ってくれる人を探してしたらしい。


 平民では無く貴族女性を選んだのは、既に国から認可が降りる段階まで進んでいるものなので、あとは薬品の信頼性を高めたかったのだそうだ。


 ……公爵には女性の友人がいないらしい。

 成る程と思った。気安く頼める相手がいなかったのだろう。得心が思わず顔に出ると、公爵はムッとしていたが。


「君は本当に運動神経が良いんだな」


 そう言って重心を崩しながらも、フォリムはマリュアンゼをぽいと放った。


「せ、説得力がありません」


 這いつくばった状態で、ぜいぜいと肩で息をしながらフォリムをぎりっと見上げると、楽しそうな顔が返ってくる。

 

「今日はここまでにしよう」


 そう言って一応手を貸してくれようとするのだが、マリュアンゼは悔しくて借りた事がない。

 がばりと身を起こしたところで、横から人の気配を察し、研ぎ澄まされた神経のまま、勢いよく振り向いた。


「おや……マリュアンゼ嬢」


 驚いた顔の騎士団副団長ジョレットに、マリュアンゼもまた目を丸くした。そのまま流れるように差し伸べられる手を咄嗟に取り、ぐいと身体を引き上げられた。


「あ、ありがとうございます……っ」


「いいえ」


 にこりと微笑まれて頬が熱くなる。

 しかし自分は汗臭い。こんなに近くでは……

 慌てて手を取り返し、目を泳がせていると、侍女がお湯の準備が出来たと迎えに来てくれたので、挨拶をして急いで辞去した。



「なんとも可愛らしいお嬢さんですね」


 マリュアンゼの背中から視線を移せば、同じくその背を見送るジョレットの穏やかな微笑みに、何故か昂った身体も冷えた。


「何か用か?」

 

 持て余した両腕を組み、憮然と問う。


「ええ。というか用も無いのに来ませんよ。いつまで引きこもってるんです? 団長」


 フォリムはふん、と息を吐いた。


「騎士団はお前の好きにしていいと言ってあるだろう」


 実質運営はジョレットがやっている。

 部下からの信頼も厚く何の問題も無い。

 名ばかりの自分がしゃしゃり出るよりも、余程団員の結束は強まるだろう。


「近衞騎士として、ヴィオリーシャ様にお仕えする事がお嫌ですか?」


「……嫌に決まってるだろう……」


 確かにそれが一番の理由ではあるが。


 フォリムは嘆息した。

 騎士団団長の役職を返上し、領地と事業経営にのみ従事したい。城から遠ざかりたい。

 だが、団長という地位を任せられる者がいなかった。


 叩き上げだけで成り上がれる程、今は戦争の脅威というものが無い。何代か前の英雄の子孫の中で、資質のありそうな者もいなかった。


 何より平和ボケした今の世で、騎士団で成り上がるなど難しいに尽きる。その絶好の好機は、先日乱入してきたどこかの令嬢が掻っ攫っていった。


 多くの猛者の嫉妬を受けながらも、戦女神のように戦いを楽しみ笑う彼女に羨望を向ける者もいた。

 ジョレットもまたその内の一人だ。

 大会のあの時、フォリムは遠目に彼女を見ていた。ゴリラというよりも猿みたいだと思った。


 柔軟な動きで全身を鞭のようにしならせる、彼女の筋肉は赤だろうか、白だろうか? 重心を腰に据えられる器用さに舌を巻き、あの細腰では折れないかと、最後には何故か心配までし出した。

 男に生まれてくれていたなら、是非騎士団に、自分の後継に欲しいと思った。


「ヴィオリーシャ様は取り乱しておりましたよ。あなたが誰かを好きになるのが許せないのでしょう」


 自分が得られなかった物を手にする事が許せないのだろう。あれも一応元公爵令嬢。多少のプライドは持ち合わせているだろうから。


「別に好きになった訳では無いさ」


「まあそうでしょうね」


 自分で口にした言葉だが、人に知ったように言われると何故か気に入らない。

 ムッと顔を向けるとジョレットは困ったように肩を竦めた。


「とりあえず、来月のスケジュールの確認をお願いします」


 笑顔で躱され、何となく面白く無かった。

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