「真実はいつの時代も必ず時と共に歪められるもの。あの抗争も、今この世界に伝わっているような、そんな生易しいものじゃなかったわ」

「…………」

 俺は何も言えずに、ただ娘の横顔を見つめて耳を傾けていた。

 娘は指を下ろして、壁画を睨み付けたまま続ける。

「あの時、父は病に伏せていた。父は世継ぎを第1王子ラスターと決めていた。けれど、ラスターは父の正妻の息子じゃなかった。父の正妻の子供は二人。クルス兄様とエリザレット姉様。二人は王位を、どこから来たのかわからないような女から産まれてきた兄に取られるのが嫌だった。そこで二人は結託して、まずラスター兄様を毒殺した」

 一息吐いて娘は続ける。

「第1王子が死に、当然のごとく次の王位継承者の候補に、第2王子ケウェリスが挙げられた。ケウェリス兄様は、ラスター兄様の死を見て、次は我が身だと嘆いた。そこで、先手を打った。ラスター王子殺害の罪で、クルス兄様を追放しようとしたの。けれど、それは叶わなかった」

「どうしてだ?」

 俺は思わず口を挟んでしまった。娘は特別気を悪くした様子もなく答える。

「意外なことに、王は次の後継者にクルス王子を選んだの。そしてさらに、クルス兄様を追放しようとしていたケウェリス兄様を、逆に追放した。怒ったのはケウェリス兄様。追放された兄様は、自分を慕う兵士を従えて、王に反旗を翻した。そうして、抗争が始まった」

「じゃあ、謀反を起こしたのは……」

「そう。第2王子ケウェリスよ。でも、ホリスさん」

 不意に俺にそう呼びかけ、娘がちらりと俺の方を見た。

「どうして王はそんなことをしたんだと思う?」

 俺は首を振った。王族の考えることなど、一凡人にわかるはずがない。

 娘は怒りに燃える瞳で、再び壁画を睨み付けた。

「王は妾の子供を争いの種だと見て、すべて追放しようとしたのよ」

「!!」

 娘は涙を拭って、扉の方へ歩き始めた。もう泣いていなかった。そして、歩きながら話を続ける。

「抗争の最中に、妾から産まれたもう一人の姉、ユリエン姉様がケウェリス兄様に付いたわ。幼かった私は、どうしていいのかわからなかった。抗争はどんどん激化していって、ある日私は、突然王の配下と言う兵士にここに連れてこられた」

 そう言って娘は、閉まっていた扉を押し開けた。

 中は薄暗かったが、すぐにこの部屋の光を浴びて明るくなった。

 綺麗に整えられた冷たい石壁の四角い部屋。そこには果たして、一つの棺が横たわっていた。棺は蓋が開けられており、中には何も入っていなかった。

 娘はそのままスタスタと棺の前まで歩くと、そこで身体を反転させて俺の方を見た。

「詳しいことは何も聞かされなかったわ。ただここに来て、私はこの中に入れられた……」

「……君は……」

 俺は唸った。まさかとは思っていたが、本当に娘があのアミュスタッド王女だったとは。

「話はわかった」

 俺は、大きく頷いた。そして、一歩部屋の中に足を踏み入れる。背後で扉が閉まった。

「ただ、これはどういうことなんだ? どうして死んだはずの王女がここにいる」

 アミュスタッドは棺の縁に腰を下ろして、暗い視線を床に落とした。

「わからない。気が付いたら棺の蓋が開けられて、目の前にさっきの盗賊たちがいたの。眠りから覚めたような、そんな感じだったわ。そうね、丁度丸2日間くらい寝た後みたいな。一瞬私は、死んでいる自覚がなかった。本当は今もあんまりないんだけど、あの盗賊たちに聞かされて、私は死んでいることを知った。あれから数千年経ったことを知った。すごくショックだったけど、もう何が何だかわからなかった」

 大体話が呑み込めてきた。つまりあの時殺した男たちは、俺と同業者で、偶然ここに辿り着いた。そして棺を開けたら、この王女が眠っていた。

「肉体を持った幽霊ね。私はそう言ったんだけど、あの盗賊たちは信じてくれなくて、私に襲いかかってきたの。だから私は逃げて……それであなたに助けてもらった」

 俺は無言で棺に近付いて、それを調べ始めた。その間にも王女は続ける。

「まだよくわからない。でも、私はここにいていい人間じゃない。だって私は死んでるんだもん。私は帰らないといけない。もう一度この棺に納まって、今度こそ本当に眠らないといけない。だって……だって、私……もう……」

 そこまで言って、王女は両手で顔を押さえて嗚咽した。

 それはそうだろう。生きている実感があるのに、無理矢理自分は死んだのだと納得させて、もう一度この暗い箱の中に戻らなくてはいけないのだ。俺だったら、間違いなく気が狂っている。

 俺は黙って棺を調べ続けた。細かい模様の付いた黒い石で出来ている。詳しい素材はわからないが、何かの魔力を感知した。よく見ると、表面の模様がすべて文字であることがわかった。

「魔法……?」

 俺は先程からどうにも腑に落ちないことがあったので、とことんこの棺を調べようと思った。しかし、棺の蓋の裏を見た瞬間、すぐに俺の憶測は確信に変わった。

「なあ、アミュスタッド」

 泣いている王女に、そっと呼びかける。

「……何?」

 目を腫らして王女が俺の方を見た。悲しそうな瞳だった。絶望を受け入れる決意が付いたような、半ば諦め切ったような、そんな悟った瞳。

 けれど、もうそんな瞳はしなくてもいい。

「なあ、アミュスタッド。もし……もしもだ。もしも今、お前は生きているとしたらどうする?」

「えっ?」

 王女は一瞬驚いた顔をしたが、すぐにまた暗い陰を落とした。

 そんなことはあるはずがない。

 そう思いながらも、瞳はどこか俺に期待するような輝きに満ちていた。

 俺は続ける。

「アミュスタッド。ヤンクロット王は、本当にあんたを殺そうとしたのか?」

「そうよ……たぶん。だって、そうじゃなきゃ、どうして私をこんなところに閉じこめたの!?」

 俺は一語一語区切りながら、はっきりと王女に告げた。

「それは、あんたを逃がすためだ」

「えっ?」

 きょとんとして王女が俺を見る。俺は満面の笑みで、力強く頷いた。

「これは死者を腐らせないよう、ありとあらゆるものを完全に遮断する棺だ。この中においては、時の流れさえ受け付けない。つまり、もし……もし仮に、この中に生きた人間を入れたらどうなると思う?」

「えっ? で、でも、どうしてそんな……」

 まだ信じられないように、王女は呆然としている。先程必死に受け入れたばかりの死を、今度は捨てろというのだから当然だ。もっとも、王女にとっては嬉しいことであることに間違いないのだが。

 俺はとにかく自分の論を押し進めた。

「王はクルス王子を後継者に選んだ。けれどそれは、あんたの言うような理由からじゃない。王はケウェリス王子を、クルス王子から守ろうとしたんだ」

「兄様を……守ろうと?」

「そうだ。王はこのままではケウェリス王子まで殺されてしまうと思った。だからそうなる前に、クルス王子を後継者にした。しかし王のその想いは、ケウェリス王子には伝わらなかった。そして抗争が起きた」

「…………」

「王は悲しんだと思う。そして、このままではいずれアミュスタッド、あんたまで巻き添えにしてしまうと考えた。だから王はあんたをここに眠らせようと思った。ただ、王は兵士にそれを伝えなかった。情報が洩れるのを恐れたんだ。王はあんたを死んだことにしたかった。もし生きていると知れたら、何の理由で本当に殺されるかわからないからな」

「…………」

「ここを見てみろ」

 俺は王女に棺の裏を見せた。そこに刻まれた文字。

「し、あ、わ、せ、に……」

 王女が小さく呟いた。その途端、王女の瞳から涙が溢れ出し、雫になって床に染みを作った。

「そ、そんな……」

「さっきの壁画を見て、ずっと気になってたんだ。どうしてあの壁画に描かれた王女は、あんな安らかに棺に入ってたんだろうと思ってな」

「…………」

 王女は震えながら泣いていた。嬉しいのだろうか、悲しいのだろうか、俺にはわからなかった。

「そんな……。じゃあ私、お父様を、ずっと恨んで……。でも、そんな……」

「アミュスタッド」

 俺は立ち上がり、泣いている王女の頭を、軽く胸の中に抱え込んだ。

「精一杯感謝しろ。まだ遅くねぇ。ずっと眠っていたんだろ? つまりあんたが父親を恨んでいたのは、今日起きてからの、たったの一日だ。そんなことは気にすることじゃない。子供にたったの一日しか恨まれない親は幸せもんだ」

「……ホント?」

 まるで子供のように顔を上げて、王女は俺を見つめた。

「ホントにいいの? 私、生きてもいいの? そんな、何千年も前の人間なのに、この世界で生活しても構わないの?」

「ああ、もちろんだ」

 俺は思い切り強く王女の身体を抱きしめた。王女のすべてが愛おしく感じられた。

「あんたは生きてるんだ。この大地は、生きている者すべてに、平等に与えられている。胸を張って生きろ。それはあんたの親父の願いでもあるんだからな」

「……うん」

 王女が、俺の胸の中で小さく頷いた。それから、恥ずかしそうに顔を上げてこう言った。

「私、またあなたに恩返ししないと……」

 確か、家訓だったか。俺は苦笑した。

「今度は……どれくらいだ?」

「うん。盗賊たちに襲われているのを助けてもらったのと、さっきあの最深部の部屋で助けてもらったのと、それから今助けてもらったの。一生かかりそうよ」

 王女はもはやいつもの笑顔。俺も、気が付いたらいつもの調子に戻っていた。

「で、あんたはそれを俺に返す気なのか?」

「うん。あなたさえ良ければ……」

 俺はにやりといやらしい笑みを浮かべた。

「よし、いいだろう。じゃあまず俺にキスしろ」

 王女、アミュスタッドは満面の笑みで頷いた。

「うん!」

 そして俺たちは、再び唇を重ね合った。

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