第2章 お昼休みと恋愛お約束条項⑤

「柑奈さん……」


 柑奈さんは、並んでベンチに座る俺と美月を見下ろすようにそこにいた。


「こんにちは、颯太くん」


「どうもっす」


 校内で俺に声をかけてくるなんて。


 彼女は知らない仲じゃない――むしろ美月が現れるまでは校内で唯一交流のある人だった。ただし彼女とは学内ではほとんど話さない。悪目立ちする俺と生徒会長を務める校内随一の優等生である彼女が共にいれば彼女に悪い噂が立ちかねない。俺も変に目立ってバイク通学の件が漏れるのはご免だ。


 そういう事情は彼女もわかっている。だからこそ彼女の方から校内で俺に声をかけてくるのは珍しいことだった。


「用事があって探してたんだけど――……お邪魔だったね、ごめんね」


「いえいえ、そんなことありませんよー」


 柑奈さんの言葉に応えたのは俺じゃなく美月だった。素早く立ち上がり、深々と頭を下げる。


「――初めまして、深町先輩。新一年の我妻美月です」


「初めまして――私のことを?」


「それはもちろん。学校一の才女で、生徒会長――入学式でも壇上で祝辞の挨拶をしてくれたじゃないですかー」


「それで憶えてくれたのね――改めて深町柑奈、三年生です。よろしくね、我妻さん」


 そう言って礼をする柑奈さん。


「可愛い後輩ができたのね、颯太くん」


「ええ、まあ、はい――ええと」


 まさに美月と俺の関係を他者にどう伝えるか――それを考えていた時、目下俺と一番関わるであろう人物の登場にうまく言葉が出てこない。美月から俺と柑奈さんがどういう関係になるか聞いてしまっているのも無関係じゃないだろう。


 しかし――しかしだ。明言しない――これはあまりに美月が可哀想じゃないか?


 俺はなんとか言葉を探し――


「――……あー、いわゆるオトモダチからってやつ、あるじゃないすか。そういう感じで」


「えっ」


「えっ」


 美月と柑奈さんの声が重なる。美月のは「言っちゃうの?」の、柑奈さんのは単に驚きのものだろう。


 二人は互いの声が重なったことで一瞬唖然としながら見合う。


 先に口を開いたのは柑奈さんだった。


「――ええと、それってオトモダチからお願いしますのオトモダチかな?」


「はい、まぁ……」


「それって、どっちから――って、聞いたら駄目だよね、こんなこと」


 突然聞かされたプライバシーに柑奈さんは動揺したのかそんなことを口走り、そして自らいけないと否定する。


 しかし美月はそれに答えた。


「深町先輩はセンパイと仲がいいんですよね? 気になるのわかりますし、構いませんよ。私からです。それでセンパイは私のことを知らないのに好きも嫌いもないから――ってことで、じゃあお互いを知る為にもオトモダチからお願いしますと」


 恋愛シミュレーションを避けつつ美月はそう説明する。さっきは俺が自ら関係を口にしたことに驚いたようだったが、今の美月はいたって冷静だ。恋敵と明言した柑奈さんに対し、焦りも敵愾心もおくびにも出さずに笑顔で柑奈さんに伝える。


 この辺の立ち回りはさすがだ――高一女子のものではないように見える。最上級生――それも生徒会長に入学したばかりの新入生がとる態度に見えない。


「オトモダチから昇格できるかまだわかりませんけどね。ほら、これ――」


 言って美月は、柑奈さんに見せるように俺と美月の間にある鞄をぽんぽんと叩いてみせ――


「でも、友達以上になれるようにがんばろうと思います」


「そう、なんだ――ええとね? 私と颯太くんは特別な関係じゃなくてね? その――」


「センパイから聞きました。通学に関する例の件ですよね? 大丈夫です、漏らしませんよ」


「あ――聞いて、るんだ」


「はいです」


 美月が頷くと、柑奈さんは逡巡ののち、おずおすと――


「……ごめんなさいね、校則違反に加担する生徒会長で。でも――」


「――いえ、それ以上は。わかります」


 ……?


「いや、何が?」


 成立していなさそうな話に思わず口を挟むと、美月がやんわりと。


「大丈夫ですので、センパイは気にしなくていいですよ」


 ……追及するなってことか?


 二人の間でももう交わすべき言葉はないのか、しばし沈黙が訪れ――


「――柑奈さん、用事って?」


 その沈黙に耐えかねて尋ねてみると、彼女は慌てた様子で、


「ううん、いいの。その――これ以上お邪魔したら我妻さんに悪いし」


「や、どのみち俺このあとバイトなんで、そろそろ切り上げて帰るつもりだったんですよ。すぐ済む用事なら今聞きますけど」


「えー、帰っちゃうんですか?」


「予定も聞かずに現れたのはお前の方だろ」


 不満の声を上げる美月に言いつつ腕時計に目を落とす。針が示しているのは十六時前――シフトは十七時からなので時間にはもう少し余裕があるが、ゆっくりするほどの時間はない。


「ファミレスですよね? 行っていいですか?」


「来るな。帰れ」


「はーい」


 ごねるかと思ったが素直に頷く美月。何かと押しが強い彼女だが、引き際を心得ているのは助かる。できれば常にこう聞き分けてくれるといいのだが。


 柑奈さんに目を向けると彼女は遠慮がちに、


「……あ、あのね? 母が昨日クッキーを沢山焼いて――もし颯太くんに予定がなかったら、帰りにウチによって食べていかないかって。でもアルバイトがあるなら駄目ね」


「あー、はい、すんません。おばさんには挨拶だけしときます」


「なんだかかえって気を遣わせちゃってごめんね? それじゃあ私、生徒会の仕事があるから戻るね――さようなら、我妻さん」


「はい、さようなら――深町先輩」


 柑奈さんはそう言い残し、去り際に美月と視線を合わせて去って行く。


 その背中を美月と並んで見送る。柑奈さんの姿が完全に見えなくなったところで美月が口を開いた。


「――もう! なんで言っちゃうんですか? 私明言しないでいいんじゃないですかって言いましたよね?」


「は? ああ、さすがに俺に都合良すぎるっつうか、いくら恋人カッコカリとして責任を果たさなくていいっつったってあまりに無責任だろ」


「私のことをちゃんと考えてくれるのは嬉しくてきゅんとしますけど!」


 喜んでいるのか起こっているのか良くわからない表情で喚く美月。


「深町先輩に私たちの関係をただの先輩後輩ってことにしておくのは私にとっても都合がよかったんですよー。それをもう、先輩は言っちゃうんだから……この正直者! 好き!」


「ああはい。それで?」


「……反応薄くないですか?」


「お前の本気の『好き』と照れ隠しの『好き』の見分けがつくようになってきた」


「なんと!」


 美月が胸の前で両手を組む。あれだ、乙女のポーズだ。


「おお、それほど私への理解が深まったと! すなわち私ビッグウェルカム状態に!」


「なってないからさっさとお前に都合が良かった部分を言えよ。場合によっては謝るから」


「えー、言わなきゃ駄目です?」


「お前から言い出したんだろ」


「うー、まあそうですけど」


 美月はちょっとバツが悪そうに、


「深町先輩は卒業式にセンパイに告白するわけじゃないですか。卒業式にいきなりセンパイを好きになるわけじゃないんですよ。現時点でセンパイのことを好きなはずです。っていうか好きですね、確実に意識してます」


「……そうか?」


「実際に会ってみて確信しました。私の女の勘の的中率は120%です」


「その20%はどこからきた」


「そんなことはどうでもいいんですよ! ……で、片想いの相手に恋人ができたと聞かされれば諦めがついたりするもんじゃないですか」


「……んん?」


 なにかとてもおかしなフレーズが聞こえたな?


「片想いの相手に恋人ができたと聞かされれば諦めがついたりするもんじゃないですか」


「どの口が言う」


「一般論ですよ! ……で、それが恋人ではなく、恋人未満の異性なら決定打ではない、まだなんとかなる、戦えるとなるわけじゃないですか。ああもう、これできっと深町先輩火点いちゃいましたよ。深町先輩にはシミュレーション卒業してちゃんとしたカレカノになってから会いたかったです。そうでなくても、ただの先輩後輩で通せれば良かったんですけど」


「……色々考えてるなぁ」


「センパイがカッコカリをとってくれればこんなに頭使わなくてもいいんですけどね?」


「機会があれば前向きに検討したい」


「行けたら行く並にないやつだ……」


 はぁ、と嘆息する美月。


「けどそこらへんを隠し通すのは無理だったと思うぞ。ただの先輩後輩が二人で飯食ったりしないだろ」


「速やかにセンパイがカッコカリをとってくれれば以下略」


「……そりゃあ俺もいつまでもお前をキープみたいにしておくつもりはないけどよ」


 さすがにそれが最低なのはわかる。きっと美月はそれでも俺に近いところにいることができる――というかカッコカリがついてても恋人という立場にいられるのならそれでいいと言うだろうが、俺の方がそれはしたくない。イエスにしてもノーにしても、あまり遠くまで答えを保留するわけにはいかない。


 一学期――夏休みの前には美月を解放してやらねばと思う。


「それはともかく」


「ともかくじゃないですよー、私には大事なことです」


「俺だって別に大事じゃねえとは言わねえよ。けどそろそろバイトに向かわないと」


 鞄をとってベンチから立ち上がる。


「正門前の桜並木までならご一緒してもいいですか?」


「……ああ、そこまでなら」


 そこで別れれば、美月の帰り道――バス停に向かうにも遠回りにはならない。頷くと、美月は俺を見上げてにっこりと笑った。





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