第2章 お昼休みと恋愛お約束条項②

 自分の膝の上に自分の分の弁当を広げ、美月はそう言った。女子らしい小さな弁当箱の中身は、さっき彼女自身が口にしたものと同じもの。わかめご飯にハンバーグ、玉子焼きにひじきの煮物。ブロッコリーとミニトマトが添えられていて彩りもいい。


 端的に言って美味しそうだった。


「全部、君が?」


「はいです。センパイも食べましょう?」


 促されて、弁当の蓋に手をかける――と、望んだ状況でないとは言え、言うことを言わなければ彼女に失礼だ。


「ありがとうな」


 礼を言って、蓋を開ける。量は別にして、中身は彼女のものと同じものだった。


 ……一部を除いて。


「なぁ、このでっかいハートはなんだ」


 尋ねる。ご飯の上にほぐした鮭でハートが描かれていた。


「私の恋心をセンパイに召し上がっていただこうかと。私だと思って食べてください」


「……そらわかめご飯に鮭フレークは美味しいけども」


 俺は危険なトークにわざと気づかないふりをして、ご飯にざくざくと箸を立てて鮭フレークと混ぜ合わせた。こんなハートの弁当を通りがかった誰かに見られたら恥ずかしくて死ねる。


「……ああ! ああ! 私の恋心が……!」


 胸を押さえるフリをして、わざとらしく美月。


「もしかして食べる間ずっとそれやる?」


「冗談です。さ、召し上がってください。お残しは厳禁ですよ――とは言いませんが、ミニトマトは最初に食べてくださいね」


 そう言われてドキリとする。こいつだけは遠慮させていただこうと思っていたからだ。


「なぜ?」


「センパイ、トマト嫌いですもんね。でもミニトマトって栄養あるんですよ。最初に食べちゃえば、後はセンパイの好きなモノばかりでしょ?」


 彼女が用意したこの弁当に俺が好きなものばかり入っているのは偶然だと思っていた。彩りのため青物さえも俺の好きなブロッコリーだ。ミニトマト以外は全て彼女の言うとおりで――


 驚いていると、得意げに美月が言う。


「いつか今日みたいな日が来ることを夢見て、センパイが好きだ嫌いだって言ったものはちゃんと憶えてたんですよー。念願叶って嬉しいです!」


 そう言って笑う彼女に、一瞬大人の女性の姿がダブって見えた。が、それも一瞬で今はもう年相応の少女がそこにいるだけ。この時々見せるオトナの雰囲気は明らかに危険だ。本来女子高生――それも後輩女子から感じるものじゃない……


「……いただきます」


 こんな残念な気持ちでいただきますを言うのは初めてだが、それでも嫌いなモノを食べられないほど子供ではない。ミニトマトを無心でやり過ごした俺に、美月が言う。


「良くできました」


 にっこり笑って、自分も弁当に箸をつける。俺もそれに倣ってハンバーグを頬張り――


「美味(うま)い――冷食じゃないだろ、これ」


「はい。喜んで貰えて嬉しいです。そっちの卵焼きも食べてみてください」


「! これ――」


「好きでしょ? 胡椒が効いた卵焼き」


「ああ、美味いよ」


 卵焼きの味付けなんて家庭によって様々だと思うが、弁当用の卵焼きに胡椒を効かせるのはレアじゃないだろうか。どうやら本当に俺の好みを把握しているようだ。


「昨日の今日でいきなり手作りのお弁当はどうかなって思ったんですけど、作ってきて良かったです」


 そう言う美月の表情は本当に嬉しそうだった。


「センパイが美味しいって言ってくれるなら、私、毎日でも作ってきますよ?」


 彼女の言葉の真偽について考えていると、そんな提案をされた。慌てて首を振る。


「いや、それは悪い――手間も金もかかるだろう?」


「お金は全然――私ってセンパイと出会うまでは無趣味だったんで、お小遣いけっこう貯めてるんですよ。手間も夕食作るときに一緒にある程度準備してるんで、それほどでは」


「いや、でも女子は色々金かかるだろ? 服とかさ――そういうのに遣うべきだろ」


「じゃあ、センパイは浮いたお昼代を貯めておいて、私を定期的にデートに誘ってください。私はセンパイにお昼食べてもらってデートにも連れてってもらえる、センパイは美味しいお昼が食べられる。これはうぃんうぃんでは? 私もセンパイも損をしていませんよね」


「なるほど、それは確かに――」


 確かに――


 ……………………


「いや、論点がずれてる。それじゃあ美月のお小遣いが俺の弁当の材料代で消えていくのに変わりないだろう?」


「むむ、気づいてしまいましたか」


「押し切れると思ったか?」


「でもセンパイに美味しいって食べて貰えるのが嬉しいのは本当ですよ? お弁当、美味しくないですか? もう金輪際食べたくないですか?」


「……そりゃ美味い、けど。食べたくないなんてことはない、けど」


「ふふ。正直でよろしい」


 改めて問われて答える俺に、彼女は俺を慈しむような目で笑う。


「そうですね――毎日がダメなら、週一ぐらいでお弁当作らせてください」


「それにしたって手間暇かかるだろ。金も」


「それじゃあさっき言ったように私をデートに誘ってください。お弁当は週一、デートはたまに……それならどうですか?」


 ……それくらいなら、まあ。


「……ああ、週一ぐらいなら」


「良かった。じゃあ今日は水曜ですから、毎週水曜日は私のお弁当の日にしましょうか。デートの方は……センパイの都合と相談でってことで。学校帰りのお茶デートでも、お休みの日のがっつりデートでもなんでもいいです。私はいつでもいいですから、センパイの都合のいいときに誘ってください。デートは週一じゃなくていいですからね。センパイの生活に無理のない程度で」


「わかった――ありがとうな」


「どういたしまして」


 微笑む美月は、本当に嬉しそうで可愛かった。そんな彼女と並んで食べる弁当は、美味しいけれどそれ以上に何か、こう――


「ご馳走様。マジで美味かったよ」


「お粗末様でした。センパイ、デザートはいかがですか?」


 箸を置くと、先に食べ終えていた美月が目を細めて言った。ペロリと舌先で唇を舐める。えろい。


「……そういうのはどこで覚えたんだ」


「内緒です♡」


 俺の手から空になった弁当箱を取り上げて自分のものと一緒にしまいつつ、美月。代わりに惣菜パンの入った紙袋を渡される。


「このパンは帰りにでも食べてください。あんまり遅い時間に食べたらお夕飯食べられなくなるからダメですよ?」


「お袋か」


「まだママにはなっていませんねー。してくれます?」


「却下だ」


「私が高校卒業したらいつでもいいですからね?」


「だからなぁ……」


 一言言ってやろうとすると、美月は肩を竦めて舌を出す。


 気が削がれて息をつくと、彼女が再び身を寄せてきた。


 シャツがこすれ合う距離にどぎまぎしながら、予鈴までそのままあれこれと他愛もない話をした。あの教科担任はどうだとか、購買の外れメニューだとか、そういうのだ。




 弁当とデート――というかお礼にどこかへ連れて行くということについて、彼女は譲歩したように見え、結局当初の要求を通しているということに気づいたのは午後の受業が始まってしばらくしてからだった。





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