シーズン4 集結、五輪一族

第1話 スマホを買いに行こう①

 炎城寺えんじょうじ紅子べにこ。十八歳。


 今の日本で、彼女ほど有名で、かつ恐れ嫌われているティーンエージャーはいないだろう。


 紅子は日本有数の資産家・炎城寺家の令嬢であり、米国格闘技界を制した世界最強の天才であり、アイドル並みの美少女でもある。

 家柄・才能・美貌を兼ね備え、普通なら誰もが称賛する英雄であるはずの彼女が、なぜ日本中から嫌われているのかといえば、ひとえにその凶暴さと口の悪さのせいである。

 試合で対戦相手を過剰なまでに殴り、止めに入ったレフリーも殴り、それを批判した記者も殴り、ブーイングした観客も殴った、などという逸話は数えきれない。


 では炎城寺紅子は根っからの悪人なのかといえば、決してそうではない。

 彼女と親しいものは知っている。紅子は悪人ではない、ただ頭が悪いだけなのだ、と。




 まだまだ猛暑続く、九月の上旬。

 炎城寺紅子は、骨折で入院した知人の見舞いに、千葉県のとある市民病院を訪れた。


「えーと。この病室かな……?」


 鮮やかな金色の髪と紅の瞳を持つ紅子は、白を基調とする病院内ではとにかく目立つ。六人用の広い病室をキョロキョロと見渡していると、相手の方が先に紅子を見つけた。


「あら、まあ。紅子様……」


 右足にギプスをはめた初老の女性が、ベッドから身を起こした。


「お見舞いに来てあげたわよ、葉月はづき


 紅子は手を上げて女性のもとへ歩み寄る。その後ろから、四人の男女が付き従うように続いた。


「母さん。着替え持ってきたわ」


 そう言って紙袋を手渡したのは、葉月の娘、九条くじょうさつきである。


「ありがとう、さつき。それに重蔵じゅうぞう、イルカ、あなた達も来てくれたのね」


「お久しぶりです、葉月さん」


 紺色のメイド服に身を包んだ少女、千堂せんどうイルカが頭を下げた。


「怪我の具合はどうなんだ?」


 気安く話しかけたのは、葉月と同年代の初老の男、黒須くろす重蔵じゅうぞうである。


「もう大したことないわよ。なのに検査だなんだで、あと三日は入院しろって言われてるの。困っちゃうわ、まったく」


 葉月は紅子達の後ろに控えている少女に目を向けた。


「あら、あなたは新人さんかしら?」


「は、はい。半年前から炎城寺家で働かせてもらっている、美星みほし菜々香ななかといいます」


 菜々香は緊張気味に頭を下げた。


「そうですか。さつきの母の、九条葉月です。よろしくね」


 さつき、イルカ、重蔵、菜々香。彼らは全員、炎城寺家に仕える使用人だ。さつきの母親である葉月もかつてはその一人であり、重蔵とは同期、イルカや菜々香にとっては先輩にあたるのだ。


「菜々香ちゃん、よかったらライン交換しない? さつき、そこに置いてあるスマホとってちょうだい」


「え……」


 葉月の言葉に、紅子はぽかんと口を開く。


「は、葉月……あんたスマホ持ってたの?」


「そりゃあ持っていますよ。今どきスマホ持ってない大人なんていないでしょう。……ああ、そういえば紅子様もさつきも持ってなかったんでしたっけ」


 悪気はなかったのだろうが、結果的にその言葉は紅子の機嫌を損ねた。葉月に負けたような気になったのだ。

 スマホを持っているだけで勝ったの負けたのと考えるのは、常人なら意味不明だが、紅子の思考回路は常に「勝ち」か「負け」かの二進数で動作しているのだ。


「あ、そうだ。みんなで写真撮りましょうよ」


「それなら、私がシャッターを……」


「いいのよ。オートシャッターで撮るから」


 葉月はさつきの申し出を制し、慣れた手付きでスマホのシャッターを設定して、窓際に設置した。


「はい、みんな笑ってね。チーズ!」


 数秒後、パシャリと音がして写真は撮影された。


「フェイスブックに投稿するけどいいわよね?」


 流れるような動作で、葉月は撮ったばかりの写真をネットに上げた。



【つっきー】

『昔の職場の仲間がお見舞いに来てくれた\(^o^)/』

『わ~い(*˘︶˘*).。.:*♡ うれしいよ~(≧∇≦)b』



「うん、うん。可愛い子ばっかりだから映えるわあ。ひとり胡散臭いジジイが混じってるけど」


「やかましいわババア。……それより、ちょっと腹が空いたな。売店で茶菓子でも買ってくるか」


「ああ。それなら、近くにある洋菓子店がウーバーに対応してるから、そこから頼みましょう」


 ふたたび葉月はスマホをポチポチと操作する。


「ねえイルカ。ウーバーってなによ?」


 紅子は小声でイルカに尋ねた。


「スマホで注文できる出前サービスですよ」


「ふーん……」


 十分後、病院に届けられたケーキを囲んでお茶会となった。


「葉月さんて、ずいぶんスマホの扱いに慣れてるんですね」


 ケーキを食べながら、菜々香が聞いた。


「そうかしら? これくらい、みんな普通に使ってるでしょう」


「いえまあ、わたし達くらいの世代なら普通ですけど。失礼ですが、葉月さんみたいな歳の人がスマホをそんなに使いこなしてるのは、ちょっと意外でした」


「年寄りは機械使えないって思ってる? それは偏見というものよ。重蔵だって普通にスマホ持ってるじゃない」


「そういえば、重蔵さんってうちでもネットや家電に強いほうですよね」


「一番はわたしですけどね。これは譲れませんよ」


 イルカが口をはさんでアピールする。彼女はネット玄人の情強を自負しているのだ。


「まあ確かに、私の同世代の人間にはスマホやらネットやらに拒否反応を示す人も多いわ。いまだに情報源は新聞だけ、娯楽はテレビだけ、なんてふうにね。けどね、本当なら私達みたいな年寄りこそ、こういう新しいテクノロジーを活用するべきなのよ」


「それは同感だな」


 葉月の言葉に、重蔵も相づちを打った。


「例えばネット通販よ。この年になると買物に出かけるのもなかなか大変だし、重い荷物も担げない。けどアマゾンとかネットスーパーを使えば、日常に必要なものは殆どなんでも、家に配達してくれるでしょう。このケーキみたいな、フードデリバリーも助かるわ。ざる蕎麦一枚の注文でも、文句言わずに届けてくれるんだもの」


「はあ、なるほど」


「年寄りが持て余してる暇な時間も、サブスクの動画サービスなら山ほどある映画を見放題で潰せるし、無料でゲームも楽しめるでしょ。一人暮らしの孤独もSNSで友達とつながることで満たされるわ。ほら、さっき撮った写真にさっそくコメントがついてる」



『炎上王』『悪魔の巣窟』『包丁』『魔女』『精神異常者』



「……なにかしら、これ?」


 心当たりのないコメントに、葉月は首をかしげる。


「き、きっと誰かと勘違いしてるのよ」


「そうだ。その写真は削除したほうがいい。変な連中に絡まれるからな。消すぞ」


「あ、ちょっと! なにするのよ!」


 葉月が止める間もなく、重蔵がスマホを取り上げ、フェイスブックの写真を削除した。


「もう、なんなのよ……」


「母さん。お願いだから、その写真はネットに上げないで」


 主に紅子のせいで、炎城寺邸の住人はほとんどがネットで顔バレしてしまっている。嫌われ者の紅子の仲間ということで、彼らはネットのあちらこちらで叩かれているのだ。


「それで、葉月さん。他に高齢者にとってのスマホの利点って、なにかあるんですか?」


 イルカがさり気なく話をそらす。


「そうね、他には健康維持のためにもスマホは使えるわね。メタボ対策のカロリー管理とか、運動量の記録とか。病院の診察予約とか診察自体も、ネットで出来るようになるらしいわよ」


「それに、スマホは文字の拡大が容易なのもいいところだ。歳をとると、紙に書かれた文字は細かくて見づらいことがよくあるからな」


「へえ……色々あるんですね」


「社会の変化を嫌って、『昔はよかった』とか言ってばかりの人も多いけどね。変化というものは、人がより良い世界を求めた結果起こるものなんですから、その恩恵は素直に受け取っておくのがいいと思いますよ」


 葉月がしみじみと語り、暖かい雰囲気でお茶会は終わった。


 だが、その中で紅子だけは、ひとり複雑な表情でむくれているのだった。




 東京の高級住宅街に居を構える千坪の豪邸。それが炎城寺家、すなわち紅子の自宅である。


 見舞いを終えて帰宅し、自室へ戻った紅子は、耐えかねたように怒りを爆発させた。


「あのババアわたしにマウントとって来やがった!!!」 


「ええええっ!?」


 あまりに予想外な言葉に、イルカはフローリングの床にひっくり返った。


「葉月のやつ! ちょっとスマホ使えるからってドヤ顔で自慢しやがって! 『還暦の私でもスマホ使えるのに紅子様はガラケーすら持ってないんですか? プゲラ』って思ってるのが見え見えなのよ!!!」


「いやいやいや、全然そんな空気じゃなかったですから。お年寄りの含蓄のあるいい話でしたから」


 炎城寺家の使用人の中でも、イルカは紅子が最も信頼する腹心の侍女であり、十年来の親友である。そのイルカをもってしても、紅子の思考はいまだほとんどの部分が理解不能なのだ。


「とにかく、決めた、決めたわよ!」


「は? 何をですか?」


「わたしもスマホを買う!」


 紅子は胸をそらし、高らかに宣言した。


「お……え……お嬢様……本当に……?」


「本当よ」


「おお……ついにですか。ついに、お嬢様がスマホを……」


 今や、スマホデビューをするということは、七五三や小学校の入学に並ぶ人生の記念行事と言っていいだろう。動機はどうであれ、紅子がスマホを買うと決めたことで、イルカは感慨深げに身を震わせる。


「てゆーかね、そもそも前から欲しいとは思ってたのよ」


「じゃあなんで今まで買わなかったんですか?」


「流行りのものに飛びつく、みたいでかっこ悪いじゃない」


「いや、あの……。スマホが『流行ってる』なんて表現ができたのは十年前の話ですから。今はもうとっくに日常の必需品になってますので」

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