第30話 大炎上⑭

「イルカ……!」


「イルカちゃん……」


「イルカ……あなた、今までどこに……」


 炎城寺家の仲間が、口々に呼びかける。


「それより」


 だが紅子は、彼らのざわめきを断つように言った。


「……イルカ。あんた、『まだ勝てる』って言ったわね」


「はい。このジャスティス仮面を叩き潰す方法はありますよ」


 イルカは、点きっぱなしで忘れられていたパソコンのモニタを指差す。


 そこには相変わらず、したり顔で紅子や春奈を糾弾し、自分勝手な論説を垂れ流す仮面の男が映っていた。


「………………」


 紅子は、何を言うべきか、わずかに迷う。自分は、このイルカのことも、許さない殺す、と考えていたのだから。


 ……だが、すぐにそんな葛藤は捨てた。


「イルカ。聞かせて」


「はい、お嬢様」


 イルカは軽く頭を下げて、リビングルームに足を踏み入れる。


 そして、かつて紅子が幾度となく聞いた、早口で偉そうな解説を開始した。


「この三日間、お嬢様の周りに何があったのかは、大体ネットの情報で把握しています。ひつじテレビの生放送も見てましたよ。さすがに、あそこまでやらかすとは想像の斜め上を行ってましたけど。まあ、それはそれとして。……いま問題なのはこいつですね、ジャスティス仮面。わたしの分析では、この男の行動理念は成功者への嫉妬と小銭を稼ぎたい欲、それだけなら極めて典型的な、ありふれたネット民の思考です。ただ、それがあまりにタガを外れて暴走しすぎた。もはや、善悪の価値観や利害の判断をする理性は、とうに残っていないでしょう。つまり、取引・説得・脅しなどでは絶対に止まらないということですね」


「なら、どうすればいいのよ」


「止める手段は唯一つ、実力行使しかありません」


「実力行使って……」


「レスバトルの最終奥義『リアル凸』です。こいつの住所を特定して殴り込むのです」


「それができれば苦労しないわよ!」


 菜々香が食ってかかった。


「住所がわかってたら、こんな奴もう百回は殺されてるわよ! それができないから、今でもこいつは大手を振ってのさばってるんじゃない!」


 重蔵も渋い顔で同意する。


「菜々香の言うとおりだ。俺も、この男の身元をなんとか特定できないかと、いくつも動画を調べてみた。だがこいつは、自室ではカメラを完全に固定して、絶対に窓や玄関を映さない。公開している情報から推測できるのは、都内在住だということと、それなりに高級なマンション住まいだということくらいだ」


「目に見えるものは、そうでしょうね。ジャスティス仮面は、自分が人の恨みを山程かっていることを理解している。お嬢様以外にも、こいつを殺してやりたいと思っている人間はいくらでもいるでしょう。だからこそ、顔も名前も絶対晒さない。なによりも住所バレには、徹底的に気を使うのは当然です」


「なら……」


「しかし、耳で聞こえるものはどうでしょうかね?」


「耳?」


「『音』ですよ。これに関しては、どんな動画配信者であろうとかなり警戒が薄れるものです。そもそも対策しようがないのですからね。実際、外国にいると公言していた配信者の動画音声に、日本語の『ちり紙交換』のアナウンスが混じっていて炎上した、なんて事例もあります」


「しかし……だからと言って、そんな生活音で細かい住所まで特定できるか?」


「わかりませんか? 今、まさに夏の風物詩が大きな音を立てているじゃありませんか」


 イルカは、リビングルームのテラス戸を指した。


 カーテンで覆われたガラスの向こうから、ヒューン、ドン、とかすかな音が響いてくる。


 今の今まで誰も気付かなかったが、花火大会はとっくに始まっていたのだ。


「音って……花火のこと?」


「ジャスティス仮面の動画の、八時ちょうどあたりを再生してみてください」



 ――――ドーン!


『お、花火大会始まりましたねー! けど、今日はこんな花火見るよりよっぽど凄いネタを……』



 確かに、打ち上げ花火の音が聞こえる。ジャスティス仮面自身もそれに言及していた。


「どうです。この男の動画からも、今夜の水無瀬川の花火大会の音は聞こえるんですよ」


「だから何よ。こいつの住所は花火の音が聞こえる範囲だ、とでも言う気? その中にマンションが何百建あると思うのよ!?」


「まだ話の途中ですよ、菜々香。そんなに結論を急がないでください。お嬢様ですら黙って聞いているのに」


「『すら』ってなによ。それで、この花火の音がどうだって言うのよイルカ」


「ポイントは、花火の音が聞こえた時間です。この時の時刻は、二〇時〇〇分三九秒ですよね」


 イルカはパソコンのマウスを手に取り、動画の右上の時刻表示を示した。


 続いて、新しくブラウザのタブを開き、『花火大会打ち上げ場所から生配信』というタイトルの動画を表示させた。


「もう一つ、こちらの動画をご覧ください。これはジャスティス仮面となんの関係もない、極めて健全なライブ動画です。こちらを参考にしましょう」


「参考?」


「こちらは、今日の花火を打ち上げ場所から撮影しています。この動画の冒頭、最初の花火が打ち上げられ、その音が鳴り響いた時刻は、二〇時〇〇分一二秒です」


 またイルカは、動画の時計をポインタで強調する。


「あれ? どうしておなじ花火なのに時間がちがうの?」


 疑問を呈したのは、みい子だった。


 紅子も同様に不思議だった。


 だが残りの四人は、即座に理解する。


音の伝わる距離の差・・・・・・・・・……!」


「そうです。花火の打ち上げ地点で音が鳴ったのが〇〇分一二秒。そして、ジャスティス仮面の家で音が聞こえたのが〇〇分三九秒。みい子とお嬢様以外にはわかりますよね、この意味が」


「三九秒と一二秒。この差が秒速三六〇メートルの音が伝わる距離、ということか」


「360×(39−12)=9720ですから、ジャスティス仮面の家は、水無瀬川の花火打ち上げ場所から約9.7キロメートルの距離にある……?」


 さつきが高速で暗算して答えを出す。


「たしかに、これならかなり候補地は絞られてくるが……それでも特定するまでは厳しいのではないか。高低差による誤差も多少あるだろうし……」


 重蔵の言葉に、イルカは指を振って答えた。


「ふふ、ところがそうでもないのです。東京の花火大会なんて、いくらでもやってるじゃないですか。ジャスティス仮面も言ってましたよね、『先週も先々週も花火やっててうるさかった』って。同じやり方で過去の動画も調べれば、さらに絞り込めるんですよ」


「そうか……!」


 そこまで聞いて、紅子は号令をかけた。


「さつき、今年開催された花火大会のスケジュールをリストアップして! 他はそれぞれ自分のスマホで、花火の日の仮面野郎の動画を確認するのよ! はじめはスマホ壊れてるからここのパソコンを使って、わたしも自分の部屋のパソコンで調べる……!」


 七人が手分けしてジャスティス仮面の動画を調べた結果、それからすぐに手がかりは出揃った。


「奴の動画内で花火の音が確認できたのは、今日を含めて三つ……」


 イルカが、パソコンに表示された地図に、花火大会の打ち上げ地点を書き込んだ。


 さらに、それぞれの花火の打ち上げ地点と、音の時間差によって判明したジャスティス仮面の家との距離を、円にして書き込む。


 地図上には、三つの点とそれらを中心とする三つの円。そして、三円が重なり合う一点が浮かび上がった。


「これが……」


「間違いないでしょう。三円が一点でピタリ交わっていることが、この調査手法が正しいことを証明しています」


「それじゃあ……ここに……」


「ここに、ジャスティス仮面がいるのね……!」


 紅子は興奮に息を荒げる。


 紅い瞳に、一度は消えた炎が再び燃え盛っていた。


「この地域に、高級マンションはさほど多くはなさそうです。それに、奴は今日の花火がベランダから見えると言ってます。水無瀬川との位置関係を考えれば、東向きのマンションということですね。この辺の情報を加味すれば、さらに絞り込んでいけると思いますよ」


「よしっ!」


 紅子は勢いよく立ち上がった。


「あんたたちはここで、条件に合うマンションを調べ上げて。わかったら後で連絡して」


「紅子様は?」


「今から現地へ向かうわ」


 そして紅子は、反射的に、以前と同じように――イルカに声をかける。


「イルカ、行くわよっ!」


「はい、お嬢様!」

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