満月の森の物語
ゆうき
第1話
とある深い森の中、魔法の力をもった真っ白な牝鹿が住んでいた。牝鹿は夜な夜な美しい人間の乙女に姿を変え、森の中で遊ぶことが大好きだった。
ある日森の外れの小さな城から王子と狩人の一団がやってきた。黒い巻き毛の王子は、姿は美しかったが気が小さくて有名だった。狩りなどしたくはなかったが男らしくなって欲しいという父王の命令で逆らうことができなかった。 しかしひとたび森に入ると、緑の林冠から差し込む光やさえずる鳥の声にたちまち心を奪われた。
「あぁなんて素敵なところなのだろう。ここはまるで天国のようだ!」
心の赴くまま足を運び、誰も気がつかないうちに彼は一団から1人離れていった。
白い牝鹿は森の奥で目を覚ますと、軽やかな足取りで近くの泉にでかけていった。日も暮れ始めるなかこんこんと湧き出る清水に身を浸した。一掬いした水を身体にかける、それを繰り返しているうちに森を紅く染め上げていた夕日が一際大きく輝いた。その瞬間そこには1人、白く輝く美しい森の乙女が現れた。
森の奥深くまで足を踏み入れた王子は、やがて自分が1人になってしまったことに気がついた。
しかし産まれて始めてたった1人になれたことにも気づいていた。落ち葉でふかふかの地面に横たわるとふくよかな土の香りがする。深い安らぎを感じ王子はそっと目を閉じるとそのまま眠ってしまった。
乙女に身を変えた牝鹿は高揚した気持ちで森を駆け巡っていた。日が沈み、闇が深くなるにつれ彼女の姿は一層白く輝いく。噂好きの若い樹々たちは、彼女に森の外れの狩人を教えた。また、ほっそりとした白樺の木からはここからそう遠くないところで王子が眠っていることを囁いた。
「まぁ、人間の男ですって。面白そう。見にいってやろう」
雌鹿は好奇心旺盛に目を輝かせ風のように駆け出した。
木々の少しだけ開けた場所で王子は健こやかな寝息をたて、長い手足をなげだして眠っていた。
乙女は木陰に身を潜めていたが王子がぐっすり眠っていることがわかるとそっと近づいていった。
そして長い髪を垂らし、息を潜めて顔を覗きこんだ。
夢のような甘い香りに王子はそっと目を開いた。
「君はだれ?」
娘は王子の澄みきった緑の瞳に警戒心を忘れた。
「私は、森の娘」
「君のように美しい人を私は見たことがないな」
「森の娘は美しいものよ」
「そうか。私は今日この森に強く心を奪われた。そして君もこの森の娘というから、心を奪われているのかもしれない」
そのとき、木々が不安気な音をたてて葉をゆらし始めた。危ない、危険、危険、危険……。
娘ははっと身体を強ばらせた。
「私、行かなくては」
何も聞こえない王子は驚いた。
「いきなりどうしたんだい? 待ってくれ、行かないでくれ」
身体を引こうとしたのを感じて、とっさにその手を掴んで引き寄せた。娘は拒めなかった。その真摯な瞳から目を反らすことができなかった。
「何者だ、王子から離れろ!」
突然大声が聞こえ二人のすぐそばの地面が跳ねた。狩人たちが二人を見つけ考える間も無く銃を撃ったのだ。身を翻すと乙女は一瞬で牝鹿に姿を変え、闇に跳んだ。
「待って、待ってくれ!」
「王子、大丈夫ですか?」
駆け寄って来た狩人たちの声は王子には届かず、ただ悲しく乙女の消えた闇を見つめるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます