398話 檻の中で

「にしても、どうするんだこれ」

「しらん」


 かがみと絵里はほとほと困り果てていた。


 主人から「これからは豚を放し飼いにしなくていい」と言われたので何事かと思いきや、放牧するための草地が、丸ごと軍隊の野営地に変貌してしまっていた。


 放牧場のあちこちがテントや物資だらけで、もちろん放牧などできるわけもなく、豚舎の掃除もままならない。


 こうなれば、きついお仕置き覚悟でストライキでもしてやると思ったのだが、次の日には兵士たちが出荷用の豚を手当たり次第に食い漁る始末だ。


 当然、仕事になどなるわけがない。今は動くものが無くなった豚舎を出て、草原で兵士たちを眺めながら日向ぼっこをしているのがせいぜいだ。


 すると、そこに見慣れない女性がやって来る。きれいに整えられたショートボブに、自信に溢れた釣り目。そのくせに背丈は絵里より頭1つ分も高い。服装は陸自の一般的な迷彩服で、あの艦長の仲間であることは明白だったが、どう見たって海自隊員ではない。


「あなたが辞書を作ったっていうかがみちゃん?」

「俺だけの力じゃない。母さんやシエラも手伝ってくれたからな」

「その誇らない性格、ちょっとステキよ」

「ちょっとだけなのか」


 どういう意図で言っているのかは知らないが、かがみにしてみれば迷惑この上ない。自衛隊関係者は変人しかいないのかとキレそうになるが、それを我慢して平静を装う。


「ところで、お前は何なんだ。他人に名前を聞くより先に名乗れ」

「おっと、ごめんなさい。あたしは波照間香織、自衛隊員よ」

「そんなの格好を見ればわかる。こんな猫野郎どもが手ぐすね引いて野営してる危険地帯に、迷彩服のままたった1人で乗り込んでくるお前は何なんだって聞いてるんだ」

「あ、あはは……えーっと、艦長さんが行方不明になるし、こんな大部隊が南に移動するなんておかしいと思ってたから、偵察しに来たのよ」

「1人で特殊部隊ごっこか」

「ごっこじゃなくて、本物なの」

「そうだったのか」


 かがみが疑いの目を向けると、波照間と名乗った女性自衛官は呆れたように言葉を返す。本物の特殊部隊員にしては何もかもバレバレの格好だが、それでいいのだろうか。


「連中の様子を見ると、多分あおばを攻撃するつもりだから、こっちで偵察やらいろいろしないといけないの。ちょっと協力してくれない?」

「協力って何を?」

「この豚舎を貸してほしいの。とは言っても、隠れたりするだけだから何も問題はないんだけどね」

「嘘つき公務員め、危険じゃないわけあるか」


 かがみは波照間を痛烈に批判するが、当の彼女は全く聞く耳を持たないらしい。


「別にいいじゃない。減るもんじゃないし、むしろ有益なはずよ」

「そういう問題じゃないだろう。根拠もなしに大丈夫だなんて言うなと言ってるんだ」

「そういうことなの? ああ、ごめんなさいね」


 波照間は愛想よく笑うが、かがみには本当にうわべだけの笑顔にしか見えなかった。


 こんなのが本当に特殊部隊なのか。かがみは建物の中に消えていく波照間を見守りながら、あんなのが仲間で本当に大丈夫なのかと自衛隊を心配していた。


  *


「ふむ、どうしたものか……」


 困り果てていたのは矢沢も同じだった。


 地下に建設された奴隷の「倉庫」は、出荷待ちの奴隷たちで溢れていた。塀や檻などの設備はなく、部屋自体が倉庫として使われ、ドアには鍵がかけられている。


 押し込まれた人々は老若男女種族を問わず、まだ10歳にも満たないとみられるエルフの少女や片足しかないドレイクの男、立つのがやっとの人族の老婆など、奴隷として役に立つのか怪しい者たちもいる。


 唯一共通しているのは、誰もが全裸であることだ。さながらパッケージされないまま詰め込まれるお徳用のピーナッツにもなった気分だ。


 一部の人々は絶望に沈んだ表情を浮かべているが、彼らはまだマシだろう。もっと悲惨なのは、何の表情も浮かべていない、もはや感情さえ失われたとしか思えない人々も多くいる。


 今のところ、レン帝国との交渉に赴いていた者たちは、先に解放されたミルを除いて全員揃っている。ここからどうなるかはわからないが、離散させられてしまう前に事態を打開する手段を模索せねばならないだろう。


 集まった隊員たちにしばらくの沈黙が流れると、腕で大きな胸を隠した環がおもむろに口を開く。


「いずれにせよ、脱出手段を模索しないことには始まらないと思います。何か連絡手段は……」

「ないだろうな。通信機も取られてるんだ」


 大宮はぼんやりと天井を眺めながら、つぶやくように言う。


 そこで再びしばしの沈黙が流れると、今度は愛崎が隊員たち全員を見回す。


「もしかすると、あおばまで接収されるのかな……やっぱり、どうにかしないとですよ」

「もちろん、我々は艦を防衛する義務がある。とはいえ、今はそれを行う方法がない。まずは脱出のために、ここの奴隷たちを説得して決起しよう。行動せねば何も始まらない」

「艦長の意見に賛成です。このまま奴隷にされるなんて耐えられません」

「俺も賛成だぜ。一泡吹かせましょうよ、艦長!」


 環と大宮は矢沢の言葉に対し、直ちに賛成意見を述べた。精強な彼らならば当然賛成に回ると矢沢は予測してのことだ。


 だが、愛崎はきゅっと口を結んだままで、佐藤も消極的な意見を述べる。


「僕は、ミルちゃんがパロムに助けを求める方向に期待したいです。ここで事を起こしても、きっと死傷者が増えるだけで、結果は変わらないと思います」

「確かにその意見は一理あるが、私の見立てでは、パロムは既にレンの当局と接触しているだろう。ミルの解放はその結果だと思っている」

「そんな……!」


 佐藤は口をぽかんと開け放ち、唖然とした表情を浮かべる。そこまで考えが及んでいなかったのは間違いないが、そこで矢沢は気になったことがある。


「私も自分で言っていて気付いたのだが、ミルがあおばに通報する可能性はある。それでなくとも、我々との通信途絶を不審に思っているだろう。連絡が取れさえすれば、待機という選択肢も悪くないかもしれない。だが、何らかの形で連絡が来るまでは脱出に動いた方が賢明だろう」


 結果として、矢沢はその場で臨機応変に動くことで結論とした。

 有効な事態の打開策が見つからない中、結論はそうならざるを得ないだろう。全ては外にいる仲間たちに賭けるしかないのだ。

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