296話 目覚めの朝
リーン、リーン、と朝を告げる鈴が鳴る。自分で設置したはずの目覚まし機構を疎ましく思いながら、居心地のいい布団に別れを告げて鈴を水時計から取り外した。
窓から差し込んでくる朝日はいつもと変わりない。今日もいつもと変わらない一日がやって来た。それだけのこと。
寝起きの気付けに伸びをして、寝ている間に硬くなった体をほぐす。
「んん、ん~~~っ! あぁ……」
力を抜くと何故かどっと疲れが来るけど、それは単純に自分がもっと寝ていたいだけと思い直し、朝食を求めてリビングへ移動する。
「……おはようございます。ラナー様」
「ええ、おはよう」
色とりどりの工芸品が並ぶリビングに入ると、メイドのコニーがどこか煮え切らないような不自然な笑顔で挨拶をする。
コニーは歳を重ねた恰幅のいいメイドで、耳はさして長くなく、人族に近い形をしている。この別荘での業務を束ねるメイド長で、とても勤勉かつ愛想がいい。まさに召使の鑑のような人だけど、たまにお節介が過ぎるのがうっとうしくもある。悪い人ではないのだけれど。
「朝ごはん食べたい」
「今日はトリマのムニエルです。主菜に塩漬けした漬物もございます」
「ムニエル? うーん、まぁいいけど」
今日はムニエルという気分ではないが、コニーからは普段から魚を食べろと口うるさく言われているからと諦め、一切れをつまんで口に運ぶ。
「ん……あ、美味しい」
トリマは近海で獲れる白身魚で、ムニエルにすると身の柔らかさが際立ち、タルタルソースにも合うのでとても美味しい。
好物の漬物もいい感じに味が染みている。これほどに美味しく、体を起こすくらいに栄養をくれる食事も早々ない。
「コニー、今日もありがと!」
「喜んでいただけて何よりです。それと、今日はご報告したいことがございまして」
「うん、何?」
朝っぱらからコニーの報告。こういう時は決まってテンションの下がることで、あまり聞きたくない。
それでも聞くのは別荘の所有者だから仕方ないとはいえ、食事を終えていい気分になったところでこれは気が滅入る。上げて落とされる、というけど、本当にそんな感じ。
「あー……うん、いいから言って」
「はい。陛下から住居をアケトカロクに移すよう通達が来ています。最近は人族との関係もこじれているようで、いつダーリャが戦場になるかもわからないとのことで……」
「パパがそう決めたんだし、それでいいわよ」
やっぱり嫌な話だった。こんな朝っぱらからそんな話を聞かされてしまえば、気分も下がるに決まっているのに。
ただ、この国の国王かつネイト教の教主である父親には逆らえない。
アモイ王国の国教『ネイト教』は歴史も浅く黎明期は他のエルフたちから異端扱いされながらも、前の王朝で獲得していた神器の力で世界一の国家になったアモイ王国の国教に制定されたことで、一躍メジャーな存在として認知されることになった。
教義は、言ってしまえば教会への奉仕。教会はこの国の実権を握る上での重要な役割を果たしていて、国王から任命される大神官の地位は国民の間でも羨望の眼差しで見られる。王族による実務的な政治志向と、教会による国民へのメンタル面での統治。その活動のため、教会は喜捨を推奨している。金銭や食物を捧げることはもちろんだけど、いわゆる『お布施』は禁止。だからお布施のために喜捨用奴隷と呼ばれる奴隷を買わせる。
喜捨用の奴隷は買った後で何か社会のために奉仕しているらしいけど、内容はよくわからない。その辺の人たちはよく「奴隷身分じゃなくてよかった」って言ってるけど、あたしがそのことを聞いてもしらばっくれられるし、よくわからない。
「じゃ、あたしは準備してくるから」
「はい」
コニーは軽く会釈すると、慣れた手つきで皿を持ってキッチンへ下がった。手際のよさも一流の召使ではあるけど、どこか味気ないところはコニーの悪い面だった。
自室に戻り、映し鏡を見ながら身だしなみを整える。
明るい金色の前髪の横部分はもみあげや後ろ髪と一緒に伸ばしつつ、顔にかかる部分は切って真面目な女の子っぽく、眉も薄めで、緑色の瞳を納める目もアイシャドーでぱっちりちと大きく見せる。まだ公務には就いていないとはいえ、王族かつ未成年だから見栄えもしっかり整えておかないといけない。
身長は175㎝、同年代のエルフ女性で見ればド平均もいいところ。やっぱり王族だからと見た目も気にされて徹底的に磨き上げたボディスタイルも、その辺のファッションモデルに引けを取らないレベルだと自覚している。
普段着用の緑地のワンピースに白いボレロ、ガーターベルトで留めた黒いニーソックス、そして木と布で作った白いサンダル。どれも普通の人たちが着る服ではあるけど、王族の特権で少しばかり高価な材質を使っているので快適だった。
今日はお兄ちゃんとのデート。なるべくオシャレしていきたかったけど、当のお兄ちゃんは「本当の君のままがいい」っていうから、この恰好で行ってみようと思っていた。
「じゃ、行ってくるね!」
「全く、今日こそ時間通りに……あら、行ってらっしゃいませ」
「お、お気をつけて」
家を出る時、ちょうどエントランスにいたコニーに加えて、皿洗い担当の奴隷少年マサヒロに見送ってもらった。2人の笑顔を見ると、さっき聞いた嫌なことも自然と忘れられる。
ただ、今日のマサヒロはコニーさんに怒られてしょんぼりしていた。そのせいか、あたしに向ける笑顔もどこか暗い。
これから向かうのは、お兄ちゃんが待つ中央市場。オアシスに建てられたこの街の憩いの場でもある。
ここはとても素敵な国。パパが統治して、多くのエルフたちや他の種族、そして自分が暮らす大切な国。決して100点満点というわけではないけど、このラナー・キモンドは、確かにここで生きているんだ。
でも、何か違うような気がする。ここはあたしの国だけど、何かこう、もっと大切な何かを、忘れている気がした。
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