227話 抗えない安らぎの中で

 ダーリャ沿岸の高台には政府機能でも重要なものが集約されていて、ネイト教の大神殿もそのうちの1つだ。


 スキャンイーグルによる空撮では、広さは一般的な小学校の敷地と同程度の広さを持っていて、中央部に中庭を持つ石造りの神殿だ。白い化粧石で飾り立てられた建物の入り口では警備の兵士が常に巡回しており、神殿の修復を担当する作業員も各所に見られる。


 古代エジプトの神殿や都市部なども、当時はこのような風情だったのだろうか。矢沢はふと考えていると、先導する兵士に急かされる。


「おい、止まるな。早く来い」

「ああ、すまない」


 王宮前広場から徒歩5分。さほど歩いていないはずだが、高圧的な兵士のせいで余計に疲れが出てしまっており、足取りは重い。


 やはり、エルフに夢を見過ぎていたのだろうか。ヤニングスやロッタの話は『敵対国家の意見、眉に唾をつけて聞かねばならない』と考えていたが故に、いつの間にか彼らへの偏見の反発として好意的に見てしまっていたのかもしれない。


 もちろん、ラナーのように種族関係なく奴隷を助けたいと考えているエルフもいるだろうが、アモイのエルフは一般的に人族への当たりが強い。先導する兵士の態度もその典型例だ。


 入口で神殿への入場手続きをやらされたが、想像通り身分証明で時間を取られた。ネモとは別に用意された偽名を使い、ロッタから支給されたフランドル騎士団隊員のメダルとアモイへの偽造入国許可証を見せ、そしていくつかの質問に答えた上でようやく奥へと通される。


 広場から神殿への移動も面倒だったが、手続きの類はそれ以上に神経をすり減らす。特に身分を隠しての工作活動ともなれば、バレないように気を遣うことも多い。二階の応接間に通されたところで、矢沢は木製の質素な椅子に腰かけて力を抜いた。


「あぁ……これなら事務作業の方がマシだ」


 矢沢は自分らしくないと思いつつも、椅子の背もたれに寄りかかって独り言を発する。ラナーや屋敷の者たちと緩い生活を送っていたせいか、艦にいた時よりずっとなまっている気がしていた。


 もちろん、それではいけないと分かっているつもりだが、自分を律する自衛官としての自分より、休みたい、だらけたいと思う不甲斐ない自分が勝ってしまう。大神官というアモイの上層部との面会を控えた今でさえも。


 結局、矢沢は弱い自分に身を任せ、全ての体重を椅子に預けた。ちょうどよい柔らかさの座面クッションが矢沢の心をさらに解きほぐしていく。


 すると、何の前触れもなく応接間の扉が開かれ、奥から身なりのいい老人が姿を現した。矢沢は驚いたまま、姿勢を正すこともなく彼を眺め続けていた。


「──っ!?」

「まあまあ、そのままでよい。全てを流れに任せるのだ」

「いえ、このままでは……あぁ……」


 相手を前にしてもリラックスしている矢沢に対し、老人は穏やかな笑みを浮かべて言う。


 本来であれば、規律して姿勢正しく相手と向き合い、挨拶をするべき状況ではあるが、体も心もそれを許さなかった。理性では完全に失礼でしかないとわかっているが、自分の本能に近い部分がこのままでいいと訴えかけ、体も理性に従うことを拒否している。


 何かがおかしい。それなのに逆らえない。緊張するのなら理解できるが、ずっと怠けていたいと考えるなど、おかしいにも程がある。


 決して笑みを崩さない老人は確かな足取りで向かいの席まで移動し、ゆっくりと席に着く。


 老人は背が高く、浅黒い肌を持つ細身の男性で、下半身には上等な白い腰布を巻いているが、上半身はほぼ裸だ。首回りには金や宝石で作られたネックレスを幾つも身に着けている。白い頭巾の上からはガラスと青い宝石のティアラと、ラナーと同じ白い羽飾りをつけていた。


 彫りの深い顔立ちに、すっきりとした鼻筋。緑色の瞳がはまる目は大きく、黒いアイシャドーでそれを際立たせていた。強面ではあるが、態度は極めて紳士的だ。


「フフ、そのまま動けないほどにストレスを抱えているのだな。この場は正式な会談などではない、安心するといい」


 老人は何かを察したように頷きながら鼻を鳴らす。これも優位性を示すための仕掛けの1つであることは確かだが、どのようにこの事態を打ち破ればいいのか全く思いつかない。


 矢沢は何も手を打つことができないまま、老人の話を聞くしかなかった。


「自己紹介がまだだったな。俺はエルヴァヘテプという。王族の1人だが、今は大神官という立場に身を置いておる」

「やはり、大神官か……く、私は……」


 目の前にいるこの男が大神官であることは雰囲気で察せられた。矢沢も名乗ろうとしたが、大神官、もといエルヴァヘテプは手のひらを前に出して制止する。

「名前は聞き及んでおる。海上自衛隊1等海佐、矢沢圭一といったか」

「……! なぜ、それを」

「ループだ。俺も神器を受け継ぐ者なのでな」


 エルヴァヘテプは矢沢の目をじっと見つめながら、ゆっくりと1つ1つ言葉を拾うように答える。


 そこで矢沢は悟った。これは罠だったのだと。


 ループで矢沢の存在を知っていたのなら、最初からアモイへの浸透は作戦開始時から失敗していることになる。


 その一方で、エルヴァヘテプは笑みを崩さない。


「安心するといい。お主を軍に突き出すようなことはない。むしろ、協力できんかと思ってな」

「協力……だと」

「左様。俺は王族ではあるが、現状の奴隷の扱いには不満が多い。ジンとの関係も良好でなくてはいかんとも思っている。ジンとのパイプを持ち、この世界の者ではないお主らならば、この国を変えられるかもしれんと、俺は思っておる」


 何の躊躇いもなく、エルヴァヘテプは滔々と言葉を続ける。


 協力者なのか、それとも敵の工作か。どちらにせよ。彼は警戒すべき対象であることは間違いなかった。

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