219話 第一発見者

「ずいぶん人が増えたな」

「当たり前よ。ここは繁華街なんだから。この国で一番賑わうところよ」


 ラナーは繁華街を歩きながら、心の底から嬉しそうな笑みを浮かべていた。それほどにこの街が好きなのだろう。


 まだ昼過ぎだというのに、繁華街はかなりの人出があった。それこそ、夜間とあまり変わらないほどに。

 もちろん、日本の大都市圏にある繁華街も似たような状態ではあるが、観光客や近くで働く労働者が多くなりがちな日本とは違い、ここはただ遊びに来ているだけという風情の者が目立つ。逆に観光客らしき姿は全く見かけない。


 そこで、矢沢はジャマルから聞いた話を思い出していた。


「ラナー、この国の国民は労働を恥辱と考えているとジャマルから聞いたのだが、それは本当か?」

「あー、概ね合ってるかもね。けど、正しくは肉体労働かな。兵士は例外で人気の仕事なんだけど、荷物運びとか建築はみんな嫌がるわ。頭脳労働を嫌うマオレンとは真逆ね。だから、その辺のお店とかは店長が接客をやってるけど、荷物運びとか農作業は奴隷がやってるの。もちろん、奴隷が稼いだお金は主人に入るけどね」

「ふむ……」


 矢沢は通りに並ぶ多様な商店を眺めつつ、何度か頷いた。


 確かに接客は活気に溢れたエルフがやっているが、店の前や、ちらりと見える店の裏口で掃除や荷物の受け取りをしているのは人族や獣人が多い。商品を搬入してくる人々も同様に。


 要するに、この国のエルフは泥臭いのが嫌なのだと見える。兵士が例外なのは、地球と同じく国を守る英雄と呼ばれるからか、教義上そうなっているかのどちらかだろう。


「労働は恥辱、か。私が住んでいた地域では、泥臭い職業でも価値を見出す。どのような仕事であれ、他人のために努力した者は尊いものだ。もちろん肉体労働を嫌う者も多いが、それは都市部に多い気がする」

「ふうん、変わってるね」


 ラナーはさらりと流すように言うが、矢沢からすれば変わっているのはエルフの方だ。


 だが、スパイ活動を行う以上、そうとは口が裂けても言えない。今やるべきは取り入ることであって、他人のやり方を批判することではない。


 それからしばらく繁華街を見て回ったが、特に寄るところもない。というより、ラナーと一緒では立ち寄りがたいところが多い。特に情報が集まりやすい酒場は食事が用意されているからとラナーに断られた。風俗店に至っては女性と行くところではない。


 そうなると、下見は終了だ。この国に潜入したばかりの頃と大差ない情報しか集まっていないが、それでもラナーがもたらしてくれる情報は貴重なものだ。矢沢は疲れた風を装い、ラナーに戻るよう提案する。


「そろそろ戻ろう。食事は用意されているのだろう?」

「ええ。特にやることもないし、帰ろうか」


 ラナーは矢沢に目を向けると、ニコリと可愛らしい笑顔を見せた。


  *


 玄関のドアを開けると、その場にいた3名の使用人たちが挨拶をしてくる。


「「「お帰りなさい、お嬢様」」」

「うん、お出迎えありがと!」


 ラナーが応えると、若い女性のメイド2人はエントランスの清掃に戻った。一方で、同じく使用人らしい黒髪の少年はラナーに近づく。


「食事の用意ができたので、帰ったらダイニングに来るようにってコニーさんが言ってました」

「ええ、わかったわ。ありがと、マサヒロくん」

「は、はい……!」


 マサヒロと呼ばれた少年はラナーに頭を撫でられると、頬を赤く染めながら微笑んだ。


 一見すると可愛らしい少年という風情だが、矢沢は彼の名前を聞き逃さなかった。確かに、彼はマサヒロと呼ばれていたのだ。興味は彼の容姿ではなく、名前に全て行っていた。


 どこからどう聞いても日本人の名前だ。エルフの言葉もアメリアの魔法で翻訳されてはいるが、それでも他の国の単語が混ざると違和感が出る。特に日本語はその傾向が強い。


 彼の正体を探るべきだと感じた矢沢は、マサヒロに優しく声をかける。


「ふむ、君はマサヒロ君というのか。初めまして」

「あ、はい……」


 マサヒロはやや控えめに返事をする。元から恥ずかしがり屋なのかもしれないが、声を発する直前に瞳が揺れていたのを矢沢は見逃さなかった。


「私はネモ、沖縄出身だ」

「沖縄……っ!?」


 マサヒロは度肝を抜かれたように驚いていたが、淀むことなく『沖縄』という単語を口にしていた。


 間違いない。彼は日本人だ。


 彼とは接触を図りたい。メイドたちはエントランスの2階に上がって掃除をしているので話は聞かれないだろうが、ラナーはここから遠ざける必要がある。


「ラナー、お手洗いに行ってから食事をしたい。君は先に行ってくれないか」

「うん。それじゃ後でね」


 ラナーは軽く返すと、朝食を取ったところとは違う部屋へと足を向けた。彼女が見えなくなるまで見送った後、その場で固まっているマサヒロへ話しかける。


「思った通りだ。君は日本人だね?」

「は、はいっ! そうです!」

「シーッ、静かに」


 マサヒロは興奮気味に大声を発するが、矢沢はそれとなく口に人差し指を当てて注意を促す。彼はとっさに口を手でふさいだが、メイドの1人が何事かと上から矢沢とマサヒロを覗き込んでいた。


「どうしたの?」

「いや、なんでもないよ!」

「ふーん……まぁいいけど」


 メイドの少女はマサヒロに一瞥をくれたが、すぐに掃除へと戻っていった。何とかやり過ごしたと安堵した矢沢は話を続ける。


「私は海上自衛隊の矢沢だ。君たち日本人を救助するためにこの国へ潜入している。君の名前を教えてほしい」

「はい! えっと、僕は秋原雅裕、佐賀出身です」

「佐賀か、いいところだ。今は私たち自衛隊が邦人救助のため、この国で隠密活動をしている」

「それじゃ、僕たちは助かるんですね!」


 雅裕はまだ熱が冷めていないが、声は小さく絞っている。矢沢は彼の肩に手を置き、目をじっと見つめる。


「ああ、必ず助ける。しかし、今はまだその状況にない。安易にアモイと戦争をすれば、君たち日本人の身に危険が及ぶからだ。必ず助けると約束するから、私のことは内緒にしてくれ。ただし、噂が広まるのを阻止するため、他の日本人にも内緒だ。君には私の協力者になってほしい。君も日本人を助けるために協力するんだ」

「えっと、はい。わかりました」


 雅裕は戸惑い気味だったが、それでも強く頷いた。他の日本人には伝えるな、と言ったせいだろうか。


 ともあれ、日本人を発見したことは僥倖だった。しかも、この家を出ていってからも協力関係を維持できるときた。


 矢沢の工作は既に始まっている。この屋敷に協力者を得た今、外堀は埋まりつつある。

 後は、ここの主人であるラナーを引き込むだけだ。時間はかかるだろうが、それでも優位な状況になりつつある。


 本格的な国への介入も近い。矢沢は既に来るべき交渉を眼前に見据えていた。

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