第6話【夢見心地から絶望しろ】
リヴが本気の女装をしてウルスラ・ロッシを籠絡する為に出かけていった数分後、ユーシアがようやく気絶から回復した。
「ん、あー……頭痛い……」
強制的に薬で眠らされた影響で、ズキズキと頭が痛みを訴えてくる。
頭痛に顔を
一晩だけだが見慣れた客室と、心配そうな表情で側に立つ少女とメイドへ順繰りに視線をやる。だが、いつもなら側にいるはずの真っ黒なてるてる坊主がいない。
寝ぼけ眼を擦り、ユーシアはすぐ側に控えていたメイド――スノウリリィに「ちょっとお願いできる?」と言う。
「水を一杯ちょうだい」
「あ、はい」
客室に備え付けられた冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出すと、棚にひっくり返った状態で並べられていたグラスに注ぐ。
冷たい水で満たされたグラスを差し出され、ユーシアは緩慢な動きでグラスを受け取る。
喉を通じて冷たい水が胃の腑へ落ち、いくらか気分もマシになってくる。頭痛もいつのまにか消え去り、思考回路もクリアになったところで状況を確認する。
客室にいるのはネアとスノウリリィの二人だけで、相棒のリヴは部屋にいない。どこかに隠れているのか、他の部屋に偵察へ行っているのか、寝ていたユーシアでは分からない。
「リヴ君はどこ?」
「ウルスラを籠絡しに行きました」
「ウルスラ? 誰? リヴ君の彼女?」
「そんなのがリヴさんの彼女でしたら、私は腹踊りしながらゲームルバークを一周してもいいですよ」
スノウリリィが「彼がウルスラですよ」と言って、女性誌をユーシアに差し出してきた。
様々な見出しで
名前をウルスラ・ロッシ――あのピノキオの【OD】は、そういう名前だったのか。
「このムカつく顔をした男のところに行ったの?」
「ええ」
「殺しに?」
「それもありますが、まずは籠絡させて絶望させるみたいですが」
「籠絡……」
つまり、あれか。
彼は、このムカつく面をした男をメロメロにさせてから、殺すのか?
ユーシアはぐしゃりと女性誌を握り潰すと、
「ムカつく」
「どの辺りに?」
「リヴ君、この男の為に女装したんじゃないの?」
「そうですね。嫉妬するぐらい綺麗に着飾ってましたよ」
「綺麗な女の子になったリヴ君の隣に、このムカつく面をした男が並んでいるのが心底耐えられない」
握り潰してしまった女性誌をスノウリリィに突き返し、ユーシアは部屋の隅に置かれたライフルケースを背負う。
「ねえ、そのウスノロって奴はさ」
「ウルスラですね」
「頭文字と数が合っていればいいんだよ」
ユーシアは「そいつ、どこにいるの?」と問いかけると、
「えっと、行きつけのバーにいると思いますよ。女性誌にもお店の名前が掲載されています」
「どこ?」
「『スターゲイザー』という名前のお店です。場所はこのホテルのすぐ近くで……」
スノウリリィが窓を見やり、それから「あ、あれです」と一つのビルを指で示す。
メロウホテルからそこまで離れていない位置に、同じような高さのビルがある。
灯った部屋の明かりがまるでイルミネーションのようにビルを飾り、下部ではショッピングモールが煌びやかな光を落とす。あのビルもホテルだろうか。
「あのビルの最上階にある、会員制のバーみたいです」
「なるほどね」
ユーシアは窓の向こうを観察しながら、
「狙えるかな」
☆
「会員証を拝見いたします」
目的のバーを訪れたリヴは、門番よろしく立っている店員に会員証の提出を求められた。
この『スターゲイザー』と呼ばれるバーが会員制であることは、事前に情報を得ている。情報がなかったら、きっとこの場で足止めを食らっていたかもしれない。
リヴはクラッチバッグから財布を取り出し、さらにカード型の会員証を店員に差し出す。事前に情報を得てから、このバーの会員である女を一人殺しておいてよかった。写真もすり替え済みである。
店員は会員証を確認し、それから「どうぞ」とリヴを店の中に通す。
「ありがとうございます」
優雅に微笑みを店員に投げかけ、リヴは悠々とバーへ足を踏み入れた。
さすが会員制のバーである。
眺めも最高だし、雰囲気も高級感が漂っている。正直な話、こんな場所は相棒のユーシアが似合いそうなものだ。
いや、ユーシアと飲む際は雑多な酒場がいい。二十歳の誕生日には、酒を奢ってもらおうか。
「…………いた」
店内を満たすピアノの音に掻き消されるほど小さな声で、リヴは呟く。
店の奥にあるカウンター席に、寂しそうな背中が一つ。
他の客は数人で楽しそうに会話をしながら酒杯を傾けているというのに、その男の周囲には誰もいない。左右の椅子はガラ空きなので、座りやすそうだ。
ふかふかの絨毯を高いヒールの靴で歩いているにも関わらず、リヴは危うげなく店内を突っ切る。
美女に化けたリヴに、店内の誰もが魅了されていた。男性だけではなく、女性も「綺麗な人」「歩き方も綺麗」などと称賛してくる。
この場において、リヴ以上の美人はいなかった。これなら、あのピノキオ野郎も誘惑できる。
「失礼、お隣よろしいですか?」
声をかければ、男はこちらを一瞥した。
鼻全体を覆うガーゼ、ボロボロになった顔。
昼間、ボコボコにした男で間違いない。確か名前はウルスラ・ロッシだったか。
「うむ。どうぞである」
「ありがとうございます」
女性にしてはやや低めの声だと思うが、それでも女性とは勘違いしてくれるだろう。そうなるように鍛えられた甲斐があるというものだ。
スツールに腰掛けると、ウルスラの視線が自分の身体の上を這い回る気持ち悪さを感じ取った。
まるで品定めしているかのようで、非常に不快だ。このまま勢いで殺してしまいたい衝動が湧き上がってくるが、理性で抑え込む。
「お勧めは何ですか?」
「ここのカクテルは何でも美味しいのである」
リヴはバーテンダーに質問したのだが、答えたのは隣のウルスラだった。
喉元まで「アンタに聞いたんじゃないです」と言いかけたが、これもかろうじて堪える。ユーシアのことがなければ、今すぐ殺してやるところだ。
殺意を押し留めることが出来ているのも、こいつの嘘を信じ込ませる異能力によって狂ったユーシアの為だ。死んではないので仇討ちではないが、誰を怒らせたのか後悔させてやる。
格好をつけるウルスラに、リヴはニッコリと微笑む。
「お酒に詳しいのですか?」
「うむ。我輩は、酒には少しうるさいのである」
そう言って、彼は大きめの氷が浮かぶ酒杯を軽く揺らした。
からん、と氷がガラスとぶつかって音を奏でる。ダンディな自分に酔いしれているウルスラが心底ムカつくが、今の彼の姿を別人に置き換える。
自分の中で酒が似合うダンディな男と言えば、くすんだ金髪に無精髭を生やした相棒。ウイスキーが満たす
「うむ、今宵の酒も最高の味である」
あ、やっぱり無理。
生理的に吐き気がする。誰だ、こんな勘違い馬鹿野郎に信頼できる相棒を置き換えたのは。おかげで変な口調で再生されちゃったではないか。
リヴはそっと視線を逸らして、バーテンダーに「甘めのカクテルをお願いします」と注文する。
「貴方は、ウルスラ・ロッシさんで間違いありませんか?」
「如何にも」
「そうですか!! 私、貴方の作る香水のファンなんです」
シャカシャカというシェイカーを振る音を聞きながら、リヴはウルスラを口説きにかかる。
こういう男は自分を慕う女に弱い。
特に『聞き上手』なんて言っている奴は、自分のことを語りたくて仕方ない男なのだ。リヴの偏見ではあるが、少なくともウルスラのような奴は自分のことが好きで堪らないはず。
美女から「ファンです」などと告げられ、ウルスラは若干頬を赤く染めていた。
「照れるのである」
「ふふ、可愛い人」
もちろん、笑顔も忘れない。
ご注文は黒髪で笑顔の似合う女性だ。
殺意を化粧とドレスで覆い隠し、持ち前の演技力を存分に使いこなして、ピノキオ野郎を籠絡する。そして絶望させて殺すのだ。
さあ、もう少し踏み込め。
「ねえ、ロッシさん」
リヴはそっとウルスラの手に、己の手を重ねる。
「貴方のお話、もっと聞かせてもらえませんか? いつもここで寂しそうに飲んでいらっしゃるから、ずっとお話してみたかったの」
「う、うむ。我輩も君のように魅力的な女性を待ち侘びていたところだ……」
気持ち悪い面が、ドアップに映り込む。
本格的に吐き気を覚え、リヴの表情が引き攣る。
それまで懸命に抑えていた殺意が鎌首をもたげ、鼻の折れ曲がった顔面に一発だけ叩き込んでやりたくなる。見えないように拳を握りしめてやり過ごすが、果たしてこの拳を振り抜くことになるのはいつになることやら。
笑顔を引き攣らせるリヴとドン引きする彼に気づかず熱視線を送るウルスラの間を引き裂くように、外から飛来した何かが窓ガラスを突き破って酒瓶に突き刺さる。
呆気なく粉砕される酒瓶、撒き散らされるアルコール。
店内は悲鳴の大合唱が起き、客たちは慌ててテーブルの下に隠れる。
「な、何事であるか!?」
ウルスラが驚いた様子でスツールから降り、混乱した様子で叫ぶ。
リヴには分かっていた。
窓ガラスを突き破って酒瓶を粉砕したのは、異能力でも何でもない。この場にいない第三者による狙撃だ。
正確にリヴとウルスラの間をすり抜け、酒瓶を撃ち抜く技術を持った人物はリヴの知る中で一人だけだ。
「シア先輩、目覚めたんですね」
あの夜の向こうに『
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