642 口裏合わせ

 昨日、王宮図書館で閲覧したサルンアフィアの魔導書について、ようやく話し終えたのだが、話を聞いていたトーマスが沈黙してしまっている。恐らくは俺の話を咀嚼しきれてはいないのだろう、口を横一文字にしたままだ。俺はすっかり冷めてしまった紅茶を口にした。


 今まで息をつく間もなく話したので、喉が渇いたからである。ようやく話が終わって、静まり返る部屋。俺とトーマスしかいないのだから仕方がない。時間は四限目をとっくに終えて、放課後に入っていた。緊張していたからだろうか、暫くしてトーマスが「はぁ」と、大きなため息を吐く。


「これじゃ、誰にも話せないよ・・・・・」


「だろ」


「グレンが話さなかった理由はよく分かった。これじゃ、言えない」


 そうなのだ。女帝マリアは処女懐胎かいたいは嘘でした。平民のサルンアフィアと盛って、カールが生まれましたなんて言えるかって話。しかもそのサルンアフィアが転生者で俺の友人でしたとか説明したって誰得な訳で、正直話せるような内容じゃない。だから王宮図書館の帰りの馬車で、さわり・・・の部分しか話さなかったのだ。


「でも御嬢様は、必ず聞かれようとされるだろうし・・・・・」


「だな」


 カンが鋭いクリスが黙って見過ごす訳もないよな。「改めてお聞きします」と言ったのは、車上で攻めても馬車が学園に到着すれば逃げられる。そういった判断が働いたのだろう。いずれにしても、近々俺と話す機会を持って、サルンアフィアの魔導書の内容について聞いてくるのは間違いない。


「言える話は全て言うしかない」


「言えない話は全て黙るって事だな」


「そうとも言うね」


 俺の言葉にトーマスが苦笑した。じゃあ、どの話を言って、どの話を言わないかって話になる。その辺り、トーマスはどう考えているのか。


「サルジニア公国との結界の話と、モルト教の話は重点的に話すべきだと思うんだ。ただ・・・・・」


「ただ?」


「当家の話は抜きとして」


「ああ、そういう事か」


 サルンアフィアのクラウディス評を話すなと言っているのである。仕えている者としては気分が悪いわな。それにクリスの耳に入れたくないという、従者の心理も働いているのだろう。まぁ、クラウディス家の話をしなくても十分に話の筋が通る訳で、トーマスの意見を容れても問題はないだろう。


「サルンアフィアが私塾を作った話や、マリア陛下の教育掛だった話。私塾を開いた経緯も問題がないと思う」


「だな」


 俺はトーマスの同意した。全く喋らなければ聞き手が不信感を募らせるだけ。その話は有名だし、まぁ大丈夫だろう。但し、サルンアフィアとマリア王女との関係については、これは言えないと釘を刺された。そんな事は言われるまでもない。言える筈がないじゃないか。


「分かっているけどさぁ。グレンの話を聞いていたら、この話がキモみたいになっているだろ」


「まぁ、そうだが・・・・・」


 その言い方に思わず苦笑してしまった。サルンアフィアの魔導書、いや拓弥の日記のクライマックスみたいなものだから、そこを外したら他愛もないものになってしまう。しかしこの世界にとって、刺激があまりにも強すぎて、知られたらどうなるのかは予想がつかない。


「だからもう「サルンアフィアは突然消えました」でいいじゃないか。今までもそう言われていたのだし」


「まぁそうだけど、そんなありきたりの話をクリスが受け入れるだろうか?」


「だから・・・・・」


「どうした?」


 従者トーマスに何か策でもあるのか? そう思って聞いたら、意外な案を提示してきた。


「だから、サルンアフィアがグレンの同級生だって話をするんだ。親友だって」


「しかし、それを話したら佳奈の事も・・・・・」


「親友ってだけを強調する」


「佳奈の話は・・・・・」


「それは・・・・・ 言わないでくれ」


 トーマスから待ったがかかった。佳奈の話を言わずして、拓弥の話だけを言えというのか。しかし一体不可分の話を切り離してしまって大丈夫なのだろうか。


「それじゃ、話が不自然にならないか? 俺が拓弥だって分かったのは、愛羅のおかげ。愛羅の親は佳奈。拓弥はずっと佳奈を引きずっていた。だから愛羅の名前を書いたんだ。この話を外したら、話がおかしくなるだろ」


「そんな事は分かっているよ。でも・・・・・ 御嬢様が悲しむのを見たくない」


「!!!!!」


 これには何も言えなかった。佳奈の事を考えるのに頭が一杯で、クリスの気持ちを考える余裕なんて全く無かったのである。トーマスが何を言わんとしているのか。それを思うと、もうすぐ帰られると心湧き立っていた俺のテンションは、一気に下がってしまった。俺は一体どうすればいい・・・・・


「だから妻室や娘さんの話はなかった事にして、サルンアフィアはグレンの親友だって話だけに留めればいいと思うんだ」


 トーマスは通っていた学校の特徴が一緒だった事から、拓弥だと分かったという話にすればいいと提案してきた。つまり、どうしてサルンアフィアが拓弥だって分かった理由について、創作をしようという言う話か。「出来るか?」とトーマスが聞いてきたので、やるだけの事はやろうと答えるしかなかった。


「同じ教官から教えてもらったとか、共通項を見つけてさぁ」


「共通項かぁ・・・・・」


 そもそも拓弥とは学部から違ってたからな。拓弥と俺が知り合ったのは、悠真ゆうまという共通の友人を介してだった。俺と同じ学部だった悠真に連れて行かれた先に拓弥がいたのである。そこからたまたま、イベントの短期バイトを一緒にしたところから仲良くなって、色々とつるんでいったんだよなぁ。


「やっぱりグレンの世界って、全く違うよね」


 短期バイトって何? という話から、トーマスがあれこれ聞いてきた。そんな中で、当時出入りしていた店とか、一緒にライブへ行ったバンドとか、俺と共通する細かな話の積み重ねで分かった事にすればいいのではないかという話になった。それなら俺も話は出来そうだな。


「兎にも角にも、サルジニア公国の結界の話と、モルト教が禁教になった話を重点的にしたらどうだ? 関心をそちら側に・・・・・」


「本当の話に向けろって言うのか?」


 俺が聞くと、トーマスは黙って頷いた。俺にそこまでの話術があるかは別だが、本当の話にウェイトを置くべきという指摘は正しいと思う。今後、サルンアフィアの魔導書について聞かれた場合、どのように答えるべきか。その整合性を取るべくトーマスと話し込んだので、結局のところ四時間以上、ロタスティの個室に籠もった形となったのである。


 ――俺がサルンアフィアの魔導書を閲覧したからといって、それが学園の噂になる事はなかった。フレディやリディアも俺が休みだった理由については確認してきたが、魔導書の話については何も聞いて来ない。まぁ、俺から「王宮図書館へ行って、魔導書を読むんだ」と知らせた訳ではないので、聞いてくる理由がないと言えばそうなのだが・・・・・


 トーマスが言うには、魔導書の閲覧許可について全く知られていないので、噂になりようがないのだと言う。確かに学園でこの話を知っているのは、国王陛下の使節として閲覧の許可を伝えた正嫡殿下と、ボルトン伯くらいなもの。後はクリスとシャロン、アイリとレティくらいなものか。考えてみれば、誰も知らないな。


 いつもなら放課後、トーマスは女子寮の一階にある通称「武者溜まり」に詰めているのだが、昨日はサルンアフィアの魔導書の話についてロタスティの個室で俺とあれこれ話したために、詰める時間が大幅に遅くなった。俺が大丈夫なのかと聞いたのだが、今まで呼び出された事が殆どないので心配ないと、トーマスは言う。


 それが気になって改めて聞いたのだが、結果から言えば「大丈夫」だったようである。女子寮の受付といつも顔を合わせているので、すっかり仲が良くなったというトーマス。俺とロタスティの個室で話す事が決まった後、昼休みの段階で受付と話をしていたので、口裏合わせが出来ていたらしい。


 トーマスはあの後、何食わぬ顔で「武者溜まり」へと入ったようである。しかしトーマス。真面目に見えて、女子寮の受付と仲良くなって協力してもらえる関係になっているなんて、意外とちゃっかりしているな。これはシャロンに知られないようにした方がいいだろうなぁ、と話を聞きながら思った。


 しかしそれはそうと。王宮図書館にサルンアフィアの魔導書があるという話は知られているようなのに、思った以上に関心が低い。というのも、王宮図書館の職員達が総出で俺達を出迎えたのに、全く噂にならないというのはおかしいのではないかと感じたからである。これについてトーマスは、王宮図書館の職員も知らないのではと指摘していた。


 よくよく考えてみれば、クリスでさえも立ち入られない区域に俺と一緒に入ったのは館長の   男爵と四人の王宮司書のみ。後の職員達はそれより手前で足止めされていたな。意外な話だが、上手い具合に情報が洩れないようになっている。とは言っても、王宮図書館に平民が入るのは初めてらしいのに、職員達は興味を持たないのか?


「国王陛下の御意向とあらば、それ以上は考えないよ」


 自分だって御嬢様や宰相閣下の御意向と聞けば、それに従うだけだからとトーマスが話すのを聞いて、なるほどと納得した。要は社畜と同じ感覚か。俺もこちらに来て、すっかりその感覚が飛んでいた。確かに言われてみれば、会社の経営状態がどうだろうと、人事がどうだろうと、会社自体が売られようと、気にもならなかった。


 それと同じだというトーマスの指摘は、俺にとって分かりやすい。後もう一つトーマスが言っていたのは、より大きな関心事があるという点。今、学園内の注目は何と言っても「貴族の没落」。多くの貴族家が爵位の返上や褫奪ちだつ処分によって爵位が失われてしまった。今はそちらの方に皆の関心が向いている。




※お知らせ


 いつも皆様には「社畜リーマンが乙女ゲームに異世界転生した件 ~嫁がいるので意地でも現実世界に帰ります~」を応援いただきありがとうございます。


 何を思ったのか、2021年1月1日から書き始め、2022年8月29日現在に至るまで606日間。毎日更新を続けて参りました、この「社畜リーマンが乙女ゲームに異世界転生した件 ~」ですが、次話を持ちまして一旦更新を停止する運びとなりました。


 実は現在、私は仕事の傍ら、家を自力造作している最中でして、この家を来年の1月末までに完成させるべく、こちらの方にウェイトを上げており、結果として執筆する時間が減ってしまっている為です。


 今日は屋内ドアが来る予定。サイズが2400×868という、訳の分からない大きさのドア。ドアが来てから「さぁ、どう付けようか?」みたいな、行き当たりばったり感でやっているものなので、余計に消耗するというのもあります。なんせ図面無しですから。


 夏場での造作は消耗が激しくて、小説の話は頭の中で出来上がっているのですが、出力する前に力尽きるという状態。家の造作が本格化した今年3月以来、7月までは何とか更新を続けられていたのですが、8月の暑さは流石に堪えました。


 物語も遂に佳境というところでの事態、ご了承いただきたいと思います。基本的に休みのない状態で生活していますので、ハッキリとは書けないのですが、更新停止期間を約一週間を想定しています。


 今後は一章単位、十話前後を完成次第、連続更新を行う予定でございますので、今後とも「社畜リーマンが乙女ゲームに異世界転生した件 ~嫁がいるので意地でも現実世界に帰ります~」の方をよろしくお願いいたします。


琥珀あひる

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る