519 委任状剥がし

 貴族会議開催の建議が行われた際、その成否を握る「委任状」。貴族であれば誰でも賛否が述べられる訳ではなく、有力貴族に委任状を渡す事で開催の是非について権利を行使する。故に委任状が重要になってくるのだが、一度出した筈の委任状を取り戻すなんて事が行われているという。その話に俺が呆れていると、あっけらかんとレティが言う。


「だって、提出日当日まで五日あるのよ。それまでは決まっていないでしょ」


「そりゃ、そうだけどさぁ。いくらなんでも節操がなさ過ぎるだろう」


「それが貴族じゃない! 自分達が得する為には委任状剥がしだって、なんだってするわよ」


「委任状剥がし!」


 レティの口から出てきた言葉に絶句した。シュミット伯の元に赴き「委任状を返せ!」と迫る貴族の光景を想像して、なんて修羅場なんだと呆れ返ってしまう。しかし、それが貴族だと断言するレティも相当なツワモノだ。レティは派閥の話題を切り替えて、『御苑の集い』について話してくれた。


「本当に素晴らしいパーティーだったわよ。当たり前だけど、派閥パーティーや襲爵式よりずっとスケールも大きかったし」


 レティが話してくれた内容はミカエルやアイリの話と被る部分が多かった。だが、その印象は二人とは違っていたようである。特に異にしていたのは「錦旗」の話。錦旗、即ち王国旗を持って『常在戦場』の隊士が入場してくるなんて思いもしなかったと、レティが言う。


「錦旗を見て、みんな絶句していたもの。クリスには陛下に働きかける力がある事を見せつけたようなものだったから。そりゃみんな平伏するわよ」


「でも俺はそんな旗の存在なんか知らなかったぞ」


「私達貴族だって滅多に見る機会がないわよ。それもあんなに大量に」


 レティによると、錦旗を見たのは一度だけ。宮殿で行われた、国王陛下主催のパーティーの時だったという。俺から見れば国王旗なんて国旗みたいなものなんだから、何処でも飾っているように見えるのだが、エレノ世界の場合、貴族ですら見る機会が稀なもののようである。


「あれで出席した貴族の多数は腹を決めたと思うの」


「それだけ絶大な威力があったという事か」


「もちろんよ。貴族は王家の藩屏はんぺい。従うことが定められし者だから」


 王国の威光を背景として、その力を見せつけた形となったということか。だからルタードエはそれを献策し、クリスは実行に移したのだな。


「錦旗を持ち出してくるなんて、クリスティーナは本当によくやったわ。あれで勝負が決まったようなものよ」


 レティがそう言ったので、気になっていた事について聞いてみた。『御苑の集い』に参加したバーデット派の領袖バーデット侯と、アウストラリス派の副領袖アンドリュース侯の印象についてである。貴族会議の建議に賛成するか、反対するか。その場にいて二人の挨拶を聞いた、レティの率直な感想を聞きたかった。


「七、三かなぁ」


「七割反対派か?」


「逆よ、逆。賛成七割かぁ、って」


 サラリと二人を分析したレティ。二人を直接見たレティは、貴族会議開催に賛成しそうだという感触を得たようである。


「仕方がないわよねぇ。立場が立場だから。でもお二人共立派だったわよ」


 レティが褒めるとは珍しい。バーデット侯もアンドリュース候も場の雰囲気を壊すこともなく、しっかりした挨拶を行ったとの事。アンドリュース侯は実際に会ったことがあるから分かる。頑固親父だが、剛直なあの性格を考えれば、そんな皮肉とかを言ったりするような人物じゃないのは明らか。しかし、バーデット侯かぁ。


 バーデット候とは実際に面対した事はない。ただドナート候から同級生だと聞かされて驚いた印象がある。ドナート侯爵に誘われて『御苑の集い』に参加したというくらいだから、今日の今日までその友誼が続いているという証左。だがドナート侯の話を聞くに、二人の意見は全く違うらしい。その違いを認め合っているから友情が続いているのだろう。


「聖歌隊の合唱に参加者は皆感動したのよ」


 レティが「華龍進軍」にアイリの詩を乗せた合唱の話を始めた。賛美歌以外にもこんな歌があるのかと、会場にいた貴族達の喝采を浴びたのだと言う」


「アイリスから聞いたわ。詩をアイリスが書いて、貴方が曲を纏めたって。凄いわね」


「いやいや、大した事は・・・・・」


 レティから褒められて妙な気分だ。


「でもそんな事できるなんてグレンしかいないわ。でね・・・・・」


 ん? 何かあるのか・・・・・


「その事をエルダース伯爵夫人に話したら、音楽に興味を持たれて、グレンに会いたいって」


「えっ! エルダース伯爵夫人がか」


 まさかの展開に呆気に取られた。あの厳しそうなエルダース伯爵夫人が、どうして音楽なんかに・・・・・ 


「そうなのよ。アルヒデーゼ伯もなの。だからさぁ」


 待てぃ! どうしてエルベール派の有力者であるアルヒデーゼ伯もなんだ。たまたまレティとエルベール伯爵夫人が合唱の話をしていたのを聞いたアルヒデーゼ伯が興味を持ったというのである。その席に私もとアルヒデーゼ伯が要望したので、断れなかったと。レティが俺とサシで会いたかった理由は、これか!


「いいかなぁ」


 おねだりをしてくるかのように言ってくるレティ。そんなの言うまでもないじゃないか、答えは一つだ。


「もちろんだ」


 レティが頑張っているのに、それを断るなんて選択肢、俺には無かった。レティが自派の貴族達を猛烈に切り崩しているからこそ、貴族会議を阻止できる流れが来ているとも言える訳で、それに俺は報いなければならない。だからどんなものかは分からなくとも、黙って受けなければならなかったのである。


「ありがとう、グレン!」


 嬉しそうに答えるレティ。いつものような駆け引きに勝ってニヤリと笑うレティではなく、屈託のない少女のような笑顔だったので一瞬ドキッとした。ただ日程が明々後日と決まっていたのには、ちゃっかりしているいつものレティだなと呆れてしまったが。俺が受けてくれると思って、事前に取り決めていたのだろう。


「レティ。一つ聞きたいことがあるんだが」


 レティの要望を聞いたんだ。今度は俺からレティに聞いてもバチは当たるまい。


「ブラッド・レールモンドについてなんだが・・・・・」


「えっ」


 意外な質問だったからだろうか、レティが少し驚いている。


「レールモンドに聞いたんだよ。お前ガリ勉野郎なのに、どうして図書館にいないんだって」


「まぁ」


 レティがあっといった感じで、口を開いた。やはりブラッドが言っていた通りなのか。


「そうしたら、レティが  教官のところに行ったらって紹介されたって言ったんだよ。本当なのか?」


「え、ええ。そうよ。 教官が言っていたから。それが何か?」


 ん? レティが何か慌てているようだ。しかしレティは本当に地獄耳だな。ブラッドだって自分が魔道士を目指している事や、本格的に学びたい事をレティが知っていて驚いたと言ってたからな。問題はレティがどうしてそれを知っていたのかって事なんだ。


「そんな事まで知っているなんて、やけに詳しいな、と」


「わ、私だってたまたま聞いただけだから。図書館にいたレールモンドに声を掛けたのもたまたまだし」


「いや。入学して一週間ぐらいだとか言ってたぞ、レールモンド。それなのによく知っていたな」


「えっ!」


 レティが硬直してしまった。一週間だったらマズかったのか?


「ブラッド、いやレールモンドも驚いていたんだよ。よく知ってるって。どうして知ってるんだ?」


「・・・・・だって」


 一瞬の沈黙の後、レティが話し始めた。


「だって、入学前に同級生になる人の事について調べたのよ。不安じゃない」


「不安?」


 レティが学園生活に不安を抱えているようには全く見えないのだが・・・・・


「だからレールモンドの事も知っていたのよ。グレンの事もね」


「俺の事も?」


「そう。モンセルで急伸するアルフォード商会の次男ってね」


 そういえば、レティ。俺の事を知ってたよな。アルフォード商会の次男って。なるほど、入学にあたって入念に下調べをしてたって訳だ。レティと言えば大胆だとばかり思っていたが、こうした緻密さも持っていたという訳だ。


「これで納得いった?」


「あ、ああっ」


「じゃあ、今度は私からの質問。小麦相場のあの暴騰。どうして?」


「いや、あれは『貴族ファンド』の小麦特別融資のカネが相場に大量に流れて、ああなっているんだよ」


「以前から小麦相場にそのお金が入っているでしょうに、どうしてそれが突然二〇〇〇〇ラントとかになるのよ!」


 あれ? いつの間にか話題が変わってしまっている。レティが小麦特別融資が急に増えたからって、五〇〇〇ラントだったものが、急に二五〇〇〇ラントなんて額になる筈がないと追及してきたのだ。俺はあれこれ言ってはぐらかしたしてみたのだが、結局通じることがなく、小麦相場の釣り上げについて白状せざる得なくなった。


「やっぱりぃ。思った通りじゃない!」


 口とは裏腹に勝者の笑みをたたえるレティ。相場のあまりの急変を見て、絶対に俺がやっていると確信したらしい。『御苑の集い』が終わったら、絶対に聞こうと思ったというので、何か俺がブラッドの件を絶対に聞いてやろうと思ったのと同じだったので、内心笑ってしまった。レティが深い理由があってなのだろうが、どうしてそんな事をしたのかと聞いてくる。


「『貴族ファンド』のカネを干上がらせる為だ」


「『貴族ファンド』の?」


「相場が上がれば、一袋当たりの単価が上がる。単価が上がれば、当然ながら融資額が増えないと量が購入できない。買える量が少なければ融資を受けるメリットが減る。メリットが減れば・・・・・」


「わざわざ借りないわよね」


 レティがそう言うと、何度か頷き「そういうことね」と言っている。何か心当たりがあるのだろうか。俺がどうしたのかと尋ねると「だから話が違うって言ってたんだ」と話した。レティは何処かで何かを聞いたようだ。


「小麦があまり買えないから、もっと融資をくれと手続きをしても、融資が降りてこないらしいのよ」


 融資が降りてこない。これは・・・・・

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