330 目論見と見立て

 学園にある学食『ロタスティ』の個室で行われた俺とザルツ、ロバート、リサの四人での会合。その会合で小麦問題を中心とした、アルフォード家の今後の対応が決まる中、ザルツは静かに言った。


「お前達。一ヶ月後、王都では空前の大商いが始まるぞ。心してかかれ」


「空前の大商いって?」


 ロバートに疑問に対し、ザルツは俺達に厳しい表情を向ける。


「これから起こることは札で札を殴り合う戦いだ。一つの判断ミスが命取りになりかねん。皆、覚悟しておくように」


 札で札を殴り合う。つまり小麦相場に多くのカネが流入し、今のレジドルナ以上に暴騰する。つまり投機資金が大量に入り、小麦価格は更に上昇するというのが、ザルツの見立てなのだろう。ザルツの話が終わったタイミングを見計らって、リサが声を上げる。


「お父さん。私は王都通信社の仕事を片付けたいから、ムファスタに行くのはそれからでもいい?」


「ああ、構わぬ。宰相府からディルスデニアへの書簡を受け取った後に出発する。それまでの時間、自由に使え」


 リサはニッコリ笑って頷くと、これから行ってくるとそのまま部屋を出ていってしまった。どうやらザルツの言葉を見越して馬車を用意しておいたようである。さすがはリサ、用意周到だ。俺達が『グラバーラス・ノルデン』に向かうために馬車も用意してあるからと言うと、サッサと立ち去ってしまった。


 どうやらリサの頭の中は『週刊トラニアス』のことで頭がいっぱいのようである。まぁ雑誌の実質的な創設者なのに、実際の誌面を見ていなかったのだから、焦るのも無理はないか。リサが学園の馬車溜まりに到着した直後、俺が持っていた創刊準備号、創刊号、第二号を渡すと食い入るように見ていたもんな。


 俺とザルツとロバートは、リサの用意してくれた馬車に乗り『グラバーラス・ノルデン』に向かった。ザルツからの連絡を受け、ホテル内にあるノルデン料理店『レスティア・ザドレ』の個室に集まった面々は、皆一様に深刻な表情になっていた。


 集まったのはジェドラ商会のイルスムーラム・ジェドラと息子のウィルゴット、ファーナス商会のアッシュド・ファーナス、『金融ギルド』のラムセスタ・シアーズ、そして『投資ギルド』のリヘエ・ワロスの五人。そしてアルフォード家からは当主のザルツと長男のロバート、そして次男の俺の三人が参加。合わせて八人の会合である。


 リサは『週刊トラニアス』の打ち合わせの為、出版元である王都通信社に向かったので、参加はしていない。まず会合で注目を集めたのは若旦那ファーナスで、ブラウンの三つ揃を着ていた事だ。またこれが足の長いファーナスによく似合う。


「色違いの平民服だったら、普段着ることができるのではと思い」


 皆からある種の羨望の眼差しを浴びたファーナスは照れくさそうに言っている。現実世界だったら出来るビジネスマンで十分通るよ。このファーナスのチャレンジに、ジェドラ父やシアーズが「俺も作るぞ」と言い出したので、暫しこの話題で盛り上がった。しかし本題であるレジドルナで起こっている小麦暴騰の件に話が移ると、会合の空気は一変する。


「なんだと! 去年の末に・・・・・」


「完全に計っておりますな」


 話を聞いたジェドラ父は驚いていたが、それとは対照的にワロスの方は冷静である。ワロスが言うには、足りない事が分かっているものをカネに糸目を付けずに買い占めると、価格値はある時を境に一気に上昇するのだという。


「昔、墨を他所から仕入れている国がありまして、墨を運んでいる船が難破した情報を仕入れた商人が、国中の墨を買い占めたのです。すると墨が必要な人々は、カネを惜しまず買うようになりました」


 まるで経験者語るみたいな話だな、ワロス。しかし墨ってそれ、お前の前世、仮想室町時代の話じゃないのか。


「墨が市中に無くなる寸前に暴騰したということなので、レジドルナの小麦もおそらくはその状態かと」


「では今、レジドルナの市中に小麦は・・・・・」


「ありませんでしょうなぁ、多分」


 ファーナスからの問いに、ワロスはあっさりと答えた。そして現段階、レジドルナ周辺の村々の小麦は根こそぎ買われているのではないかとワロスは推測。値が平時の十五倍となったら、家に蓄えておいた必要な小麦まで手放す者が出てしまうだろうと付け加えた。そのワロスの読み、実に正しい。流石転生者、人の心を読むに敏である。


「しかしこちら側が小麦を流通させているのに暴騰するとは、相当な額をつぎ込んでおるでしょうな」


「まさにワロス殿の申される通り。これまでとは桁外れのカネが動いているのは間違いありません」


 ワロスの見立てについて、ザルツは肯定する。従来のような散発的な買い占め、小規模商会や穀物商店レベルの買い占めではなく、おそらくは大規模商店、あるいはそのクラスが動いての買い占めなのであろう。


「やはりトゥーリッドの仕業か!」


 誰もが抱くであろう疑念。レジドルナに本拠を置く大規模商店の名をファーナスが挙げた。


彼奴きゃつめ、納会の時にはもう仕込んでおったのじゃ」


「だから納会が荒れたのですか?」


 ジェドラ父の言葉に俺の隣にいたロバートが反応した。納会? 去年の末にあった王都ギルドの納会か? 一体何があったのだ? ロバートに聞いてみると、年末の納会は荒れに荒れたらしい。


 事の始まりは納会の冒頭、トゥーリッドがいきなり会頭人事を建議し、フェレット商会の領導代理として出席したミルケナージ・フェレットを会頭の委任状を以て新会頭にすると宣言したことから紛糾。


 ザルツが「会頭人事は皆と計って行うべきもの。それは違うのではないか!」と口火を切ると、三商会側から次々とトゥーリッドを糾弾する声が上がり、納会は荒れ放題となってしまった。


 フェレット=トゥーリッド枢軸陣営の方はそれにもめげず、ミルケナージ・フェレットの会頭就任を強行しようとしたが、ザルツが王都ギルドの規約を持ち出して「ミルケナージに会頭の資格なし!」と追及して、その企みを阻止したのである。


「規約には王都ギルドの会頭資格者は「商会主」とハッキリと明記されていた。代理の者、あるいはそれに準ずる者とは明記されてはおらん」


 ザルツは阻止の名分を話してくれた。これには枢軸陣営も沈黙せざる得なくなり、会頭人事案は流れた。すると今度はジェドラ父が人事案の不手際を質したいと、現会頭であるフェレットの出席を要求。これをミルケナージ・フェレットが病気を理由に拒否すると、ファーナスが病気で職務が遂行できないのであれば、会頭の辞職願を出せと迫った。


 これには枢軸陣営の方が面食らった。まさか会頭の辞職願を出せと要求されるとは思っていなかったのだろう。今度は枢軸陣営が流会に持っていこうと画策を始めたのである。この時、三商会陣営は三つ揃の黒い平民服、枢軸側は商人服と服装まで真っ二つに割れていた。王都ギルドが事実上、分裂状態に陥っている事が鮮明となってしまったのである。


 結局、ザルツが主導して三商会陣営が会頭代行にジェドラ父を推すと、枢軸陣営がミルケナージ・フェレットを会長代行に推し、それぞれの陣営で勝手に選出したことで王都ギルドの分裂は決定的となった。今、王都には事実上、二つの王都ギルドが存在している事になる。その際、トゥーリッドからは「今に思い知るがいい」との言葉が出たという。


「あの時の言葉はこの意味だったのか・・・・・」


 ファーナスが呟いた。なるほど、トゥーリッドがそんな事を言っていたのか。そんな言葉の上に今回のレジドルナでの小麦暴騰。解釈をそこに繋げないという方が無理がある。


「小麦価格の暴騰はやはりトゥーリッドの仕業か」


「もしかするとミルケナージが主導しているのかも」


 ファーナスの疑念に、ウィルゴットが別の疑念を持ち出してきた。トゥーリッドが知っていたならば、フェレットが知らぬはずがないというのである。それは確かに説得力がある見立て。


「しかし、それであれば王都の小麦相場も既に急騰しているはず」


 息子であるウィルゴットの仮説をジェドラ父が否定した。なるほど、それも一理ある。レジドルナの小麦価格が上昇しているのを知っていれば、王都の人間も目ざとく小麦を買い占めているはずで、それならば小麦価格が動いていなければおかしい。だが王都の小麦相場の値動きは数ラント上下する小幅なもの。ならば、トゥーリッドの単独行動なのか?


「今回のレジドルナの件、私は商人の動きだとは見ていない」


 ザルツは見解を述べた。商人ではない。商人であるならば、値動きに沿って買い占めていく筈で、大雑把にドカンと買わないというのである。それはもっともだ。以前、王都でファーナス商会が、レジドルナでドラフィル商会が、それぞれ薬草を買い占めた際も、値動きに注意をしながら買い占めていた。確かに買い占め方が全く違う。


「では『貴族ファンド』が・・・・・」


「まず『貴族ファンド』が直接買い占めなどしないだろう。それにもし『貴族ファンド』が介在していたとするならば、フェレットが知っているはず。とっくに王都の小麦相場が動いている筈!」


 シアーズがロバートの見立てを瞬殺した。『貴族ファンド』が動いているのであれば、ファンドの中核であるフェレットが知らぬ筈がない。知っていれば当然王都の小麦相場に買いが入るはず。しかし入っていない事を考えると、動いたカネは『貴族ファンド』ではないのは確実。


「では誰が値を吊り上げているのだ・・・・・」


 腕組みしながら天を見たファーナス。そのときザルツは言った。


「我々にとって、値が吊り上がることは悪いことなのか?」


「・・・・・」


 その問いかけに、個室は沈黙した。そうなのだ。値が吊り上がること自体は悪くはない。むしろ小麦を安く仕入れているので、値が吊り上がれば吊り上がるほど、利益は増える。皆それが分かっているが、誰も言葉を発しようとはしなかった。

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