第12話 繋がった碧理と美咲

「やっぱり知っているんだ。この指輪もでしょ? ほら、指輪の内側にイニシャルがある。このA・Hって花木さんでしょ? M・Sは私。あとは赤谷に見せられたノートを見れば、残りのM・Tは高田翠子ね。白状しなさい」


 美咲に見せられた指輪の内側には、アルファベットで、A・H。M・S。M・T。と彫ってある。


 それを見せられて、碧理は諦めた。

 お祭りで売っている指輪に、今はその場でイニシャルを入れてくれるサービスがあると聞いた時に、はしゃぎながら彫ってもらった物だ。


「……記念に三人で買ったの」


「そっか。私達は友達だったのか。忘れてごめんね。頑張って思い出すから」


 美咲の純粋な言葉に、碧理の瞳がじわりと潤む。

 心が震えるほど楽になった。

 この二カ月、誰かにそう言って欲しかったのだと気づく。


「……無理に思い出さなくても良いよ」


 涙声で碧理がそう言うと、美咲が悲しそうに笑った。


「そうはいかないでしょ。花木さん泣きそうだし。あ、そうだ。記憶が無くなってから花木さんと接点なかったでしょう? 私の恋がどうなったか知らないよね? 私、正式に振られちゃいました。……悔しいな。最初で最後の恋だと思ったのに」



 そう言うと、美咲も碧理と同じように大きな瞳が潤みだす。


 初めてだった。美咲が碧理の前で涙を流すのは。

 あの時も碧理達が取り乱す中、美咲は冷静に対処していた。

 初めて見せた美咲の弱さに、碧理も口を開く。


「私もだよ。恋は叶いそうになると儚く消えるんだって実感した。だから、しばらく泣いて、また……一緒に頑張ろう」


 碧理が思い出したのは蒼太だ。


 図書館で初めて声をかけられたのは良い思い出。それから話すようになって、あの日、恋が叶った。

 その恋は一瞬で散ったけど、碧理は後悔していない。


「花木さん。あのね……」




「碧理!」


 美咲が何かを言おうとしたその時、病室のドアが勢い良く開いた。


 酷く慌てた様子で現れたのは、碧理の父である拓真。

 いつもは、落ちついていて冷静沈着。その言葉が良く似合う。

 だが、病室に入って来た拓真は、息を切らしてネクタイもしていない。しかも、髪も乱れている。


 こんなにも感情を露わにしている拓真は見たことがなかった。

 何よりも、ほとんど会話がない父と娘が、面と向かって会うのは久しぶりのこと。


「あ、私、そろそろ失礼します。花木さん、またね」


 何かを感じたのか、美咲が気をきかせて立ち上がる。

 拓真に礼儀正しく頭を下げた美咲に碧理が声をかけた。


「美咲! 電話して良い?」


 声をかけると、驚いた後、美咲は嬉しそうに笑った。


「うん。待ってる。あ、連絡先……」


「大丈夫。私、知っているから」


 碧理のスマホには四人の連絡先が残っている。美咲や慎吾の様子を見ると、そのまま残っているのは碧理だけのようだ。


 美咲は何かを悟ったらしく、何事もなかったかのように頷いた。


 そして、もう一度、拓真に頭を下げると病室を出て行く。

 静かになった室内で、碧理は緊張した。

 父である拓真と面と向かって話すのは、八月のあの日以来。

 私は全てが終わった後、一人だけ警察に保護されていた。その時に迎えに来てくれたのが拓真だった。


「……気分はどうだ? 相手の男の子は問題児だそうだな。学校側にも保護者にも抗議をしたから安心しなさい」


 美咲が座っていた椅子に腰かけた拓真は、疲れているらしく大きな溜め息を吐いた。


 壁にかけられた時計を見ると、十六時を指している。

 普段ならまだ仕事で会社にいる時間だろう。

 碧理は淡々と話を聞く。


 学校から連絡を受けた義母である香菜が、拓真に連絡をしたらしい。

 香菜は身重のため病院に来ることが難しかったのだろう。それに、三歳の息子も連れて来るのは重労働だ。


「……抗議はしなくても良いから。私がバランスを崩して派手に転んだだけだから。穏便に済ませて」


 ベッドに横たわったまま天井を見つめた。すると拓真が声を上げる。


「どうして? 碧理をいきなり掴んで引き倒したと、見ていた生徒達が証言している。何も心配しなくて大丈夫だ。いじめられたり報復はない」


「ううん。心配とかしてない。それと、赤谷君は問題児なんかじゃないから。噂で判断しないで。あれは事故だったの。学校にもそう言って」


 頑なに、不注意から生まれた事故だと否定する碧理に、拓真は不満そうに眉を潜める。


「あの赤谷君と何かあるのか? 碧理、八月のことと言い……これ以上問題は起こさないでくれ。それでなくても香菜に負担がかかっているんだ」


 拓真は怪我をしている碧理ではなく、妊娠している香菜が心配なようだ。

 自分に関心がないとわかっていた碧理も、拓真の態度に傷ついた。

やはり、自分の居場所はあの家にはないのだと確信したから。

 新しい家族が出来たら、少しでも家族に近づけると、期待した自分が悪いと戒める。


「……ごめん。私、邪魔ならおばあちゃんとおじいちゃんと一緒に住むよ。二人も負担になるならママの所に行くから。半年だけならママも我慢してくれると思うし。私、大学は寮がある所狙っているの。奨学金借りるから来年はいないよ。だから安心して」


 看護師をしている碧理の母が、再婚したと連絡はない。

 拓真が連絡をしたかは聞いてはいないが、八月の時も姿を現さなかった。


 一緒に住んでも良いと言ってくれるか不明だが、碧理は説得を試みることにした。これからどうするべきか考える。

 すると、ふと視界に入った拓真の顔が強張っているのが目に入った。


「……何を言っている? 邪魔って……誰かに言われたのか? まさか香菜が?」


 拓真の聞いたことのない震えた声に、碧理は不思議そうに視線を向けた。

 どうやら拓真は怒っているようで、碧理は何が悪かったのかわからず、思わず縮こまる。


 すれ違いの生活をしていた二人は、コミュニケーション不足のせいか、家族らしい会話の仕方がわからない。

 それが更に誤解を生んでいた。


「香菜さんは関係ない。自分で決めたの」


 碧理としては、これが最善の方法だと思っていたのに違ったらしい。そのまま黙り込む拓真に碧理は何も言えなかった。


「……私、もう退院出来る?」


 二人きりの空気に耐え切れず、碧理は拓真を恐る恐る見上げる。


「ああ、検査の結果は異常ないそうだ。学校もしばらくは休みなさい」


「なら、私、おじいちゃん家に行く。……会社に戻っても良いよ。まだ仕事残っているでしょ? 私なら一人で帰れるし」


 ベッドから起き上がった。

 するとズキリと痛みが走る。

 そんな碧理に手を貸そうとするが、接し方がわからない拓真は戸惑うばかり。


「いや。今日は早退した。一緒に家へ帰ろう。……碧理、再婚はお前にとって負担になっているのか? だから八月も家出をしたのか?」


「えっ……」


 拓真を見た碧理は、気まずさからすぐに視線を外す。


 再婚は碧理にとっては考えることが増えて不安も大きくなった。

 いきなり出来た義母と義弟。家族の絆が皆無な碧理には戸惑いも大きい。それを誰かに相談することも出来ずに今に至っている。


 でも、それを拓真には言えなかった。


 碧理とは違い、再婚してからの拓真には笑顔が増えた。あんなにも深夜に帰っていたのに、今は夕食に間に会うように帰る愛妻家となっている。

 そんな拓真を目の前に碧理は不満を口に出来なかった。

 ベッドの上に座り込んだ碧理は、俯いたまま黙り込む。


 八月の三日間、碧理は家出少女として警察に保護された。

 拓真や香菜には「夏休みだから旅に出たくなった」と苦しい言い訳をした。だが、拓真は怒りもせず追及もしなかった。

 やっぱり関心がないのだと思っていたら、どうやら違うらしい。


「碧理は再婚に反対だったのか。すまない……お前の気持ちを無視した形になって。もう少し話合う時間が必要だったのかも知れない」


 項垂れる拓真に、碧理がたどたどしく話し出す。


「私のことは気にしなくて良いよ。もう十八だし。生まれてくる子供と冬矢君を気にかけてあげて。私、今日はおじいちゃん家に行くから。……おじいちゃん家の方が、落ち着くし良く眠れるから」


 そう言うと、拓真は更にショックを受けたように肩を落とした。


 冬矢とは義母、香菜の連れ子だ。

三歳の可愛い盛りで碧理にも懐いていた。表面上は仲良く遊んでいたが、家族の団欒は時に残酷だった。


 自分自身と比べてしまうから。

 こんなにも愛情を貰えて、ただ羨ましかった。嫉妬だと気づいていても、心の中でモヤモヤが大きくなる。

 だから、今、爆発した。

 もう一緒にはいたくないと、心が全力で拒否をした。


「碧理。もう一度香菜と三人で話し合おう。今日は、一緒に帰ろう」


「嫌。頭が痛いの……。子供の声が聞こえると気になって眠れない」


 穏やかに説得する拓真の声を、碧理は頑なに拒否をする。



「……わかった。連絡をくれたらすぐに迎えに行くから」


 何度諭しても、頷かない碧理を見て拓真は情けない気持ちになりながら諦めた。

 離婚をした時から娘との距離が掴めず、我儘を言わない碧理に拓真は甘えた。その結果がこれだ。



 仕事に逃げて、娘と全く関わってこなかった自分に、今さらながら後悔した。

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