【図書室の魔女シリーズ.2】

逆佐亭 裕らく

第1話【ヒトガタサマ①】

 厄介事というものは望まずして飛び込んでくる。そりゃそうだ。誰も望んでまでそんなものに首を突っ込みたくはない。出来る限り平穏に日々を過ごしたいというのが人情というものだろう。だからこそ、僕は今、目の前で興奮気味に話す、同じクラスで幼馴染の朋美に辟易していた。

 「……ねぇちょっと、聞いてる?」

 「聞いてる聞いてる」

 「ほんとに?まぁいいや、でね……」

 結局は聞いていようが聞いていなかろうが構わないのだ。頬杖をついて話を聞き流す僕に向かって捲し立てるように朋美は話し続ける。

 「なんか校内でも密かに流行ってるんだって。あたしも昨日そこに行ってみたんだけど、マジであったのよ。それも三つも、だよ?ちょー怖くない?」

 「うん、ちょーこあいね、ほんとだね」

 人もまばらな放課後の教室で、時計を眺めながら適当な相槌を打つ僕に、いよいよ堪忍袋の緒が切れたのか「真面目に聞け!」と朋美が丸めたノートを振りかぶる。危ない。昔どこかで、頭を叩くと脳細胞神経が破壊されると聞いたことがある。今、破壊されるわけにはいかない。テスト期間なのに。

 「ごめんごめん、で?」

 慌てて姿勢を正した僕は改めて、朋美の気が済むまで話を聞いてやることにした。


 話をまとめると、つまりはこういう事だ。

 今、この学校では、とある“おまじない”が密かに噂になっているらしい。そのおまじないは「ヒトガタサマ」と呼ばれていて、所謂、恋愛成就のおまじないだということだ。しかし、流行っているとは言っても実際に実行する生徒は少ない。この手の噂話にしては比較的とっつきやすく、手順も簡単であるにも関わらず、だ。

 その理由というのが、“意中の人と結ばれる為のもの”ではなく、“恋敵を貶める類のもの”であることが一番の要因である、というのが朋美の見解だ。

 「だってさ、やっぱ後ろめたいじゃん。そういうのって」

 眉間に皺を寄せながら、自分の発言にウンウンと頷きながら話す朋美に、

 「でも恋愛が成就するってのは結果的にはそういう側面もあるんじゃないの?」

 と返すと、

 「そうじゃないんだってば。わかってないなぁ、ヨシキは。結果としてそうなるならいいの。でも、初めから目的達成の為に邪魔者を排除するような考え方って、なんていうか、その、嫌じゃん、なんか」

 確かに。それはそのとおりだ。ほとんどの人間が感じるであろう、その後ろめたさから噂だけが先行していて、いざ本当に実行する生徒が少ないということはよくわかる。なるほど。

 僕はさっきまで散々聞き流していた、その「ヒトガタサマ」のルールをもう一度、頭の中で反芻することにした。


 必要なものは、紙とまち針。これだけらしい。

 紙はノートの切れ端でもいいし、折り紙でもなんでもいい。その紙に排除したい恋敵の名前を書いて、人型に切り抜いたら、縦に一回折る。たったこれだけで下準備は終わりだそうだ。そして、その紙、ヒトガタサマを学校の裏山にある小さな祠の傍に佇む大木に、まち針で留める。

 これでおまじないの手順はすべて完了する。呪文めいたものも、対象の人の髪の毛だとかも、そういうものは一切必要ない。それをするだけで、あとは勝手にその邪魔者が不幸な目に遭う、というお話らしい。


 「一応、そのおまじないを解除する方法もあるらしいけど……。とにかく、紙を木に留めてから三日後、陽が沈んだら成功だってさ」

 「成功って、その書かれた人はどうなんの?」

 「さぁ……。怪我したりとか、病気になったりだとか?みたいな?わかんないけど。だから、すごいんだってさ、今。ちょっとでも怪我したり、熱が出たりすると、自分の名前が書かれたんじゃないかって疑心暗鬼になる人が続出してるらしいよ。この学校で」

 「へぇ」

 なんて悪趣味なんだろう。聞いてて胸糞が悪い。そこまでして勝ち得た恋にどれだけの価値があるのか。それなら潔く玉砕した方がよほどマシだ。

 そこまで考えて、ふと三カ月前に自分に起こった出来事を思い出した。

 薄暗い教室、ソファの手触り、唇をかすめる髪の毛の感触、雨音、初めて経験した失恋の痛み。

 ……いかん。気持ちが落ち込んでくる。やめやめ。


 「まっ、とにかく。そういう噂が横行してるってことはよくわかったよ。お互いに名前を書かれないように慎ましく生きていきましょう。では、解散」

 そう言って、僕は鞄を手に取り教室を出ようとした。

 「ちょっと、ちょっと!待ってよ!ここからが本題なのに!」

 もうなんとなく、その先の展開が読めたからこそ僕は足早に下駄箱に向かって歩く。後ろから走って追いついてきた朋美が、僕の前に立ちふさがる。

 「ねぇ、この後、暇?」

 「暇じゃない。テレビ観たいし、本も読みたいし」

 「まぁまぁ、そういうのはいつだって出来るじゃん、ね?」

 通せんぼをする朋美の横をすり抜けて下駄箱に向かって僕はまた歩き出す。

 「今から裏山まで一緒に行ってほしいの。同じ部活の子が名前を書かれたみたいでさ、気にしちゃってて、かわいそうなんだよ」

 「他の部活仲間に任せればいいじゃん。っていうか、それを見つけた人がさっき言ってた解除ってのをやれば良かったのに」

 「気味悪がって誰もやりたくないんだって。そりゃ、あたしだって本当は嫌だけど……、泣いてるあの子を見てたら、ついつい名乗り出てしまいまして」

 「素晴らしいね。正義の味方だ。その勢いで、一人で行ってさっさと終わらせて来ればいい」

 「ああ、もう!一人で行くのが怖いんです!言わせんな、ばか!」

 「いやいや、昨日も行ったんでしょ?じゃあ今日も行けるでしょうよ」

 「昨日は、いざ木に貼り付けられたヒトガタサマを目の前にしたら怖気づいちゃって、恥ずかしながら逃げ帰って参りました!ねぇ、お願い!一生のお願いだから!」

 朋美が後をついてきながら、喚き散らす。うるさい。うるさ過ぎる。すれ違う生徒の目が痛い。これはおそらく僕が首を縦に振るまで騒ぎ続けるだろう。昔からそうだ。なんだかんだで押し切られる。

 ああ、もう。めんどくさい。めんどくさいけど、こうなったら仕方が無い。しつこいんだ。こいつは、本当に。

 とうとう僕は諦めて朋美の方を振り返り、溜息交じりに答えた。

 「……わかった。わかったよ。行くから」

 「ほんとに!?ありがとう!!さすがヨシキ!!よっ、男前!!」

 うるさいよ、と言い捨てながら、僕は上履きを下駄箱へ放り投げた。



 「このヒトガタサマの効果はね、書くのも書かれるのも一回きりなんだって。だから、一回解除しちゃえばもう大丈夫だってさ」

 朋美が裏山の石段を上りながらこちらを振り返る。

 「ふぅん。で、その解除の方法ってのは?」

 さっさと終わらせて帰りたいので、僕は結論から聞くことにした。

 「えっとね、確か三つあって……ちょっと待って」

 朋美はスマートフォンを取り出し、何やら画面をスクロールしている。どうやらメモ帳代わりに書き留めているらしい。

 「あ。あった、あった。えーと。一つ目は【名前を書かれた対象と同性の人がヒトガタサマを破る】これで解除されるんだってさ。あ、あと本人がそれをやっても効果はないし、異性がやってもダメだって」

 「意味がわからん。なんで同性?」

 「や、あたしに訊かれても……。なんてゆーか、友情パワーとか、そんなんじゃん?」

 「なにそれ、すっげぇテキトー」

 思わず笑みがこぼれる。

 「んで、んで。二つ目は、【ヒトガタサマを木に留めてから三日後の日没までに書いた人の恋愛が成就する】これでも解除、と」

 「また随分と自分勝手な話だなぁ。このヒトガタサマってのを考えた奴とは確実に仲良くなれないな。で、三つ目は?」

 そう訊くと、朋美は少し躊躇いながら答えた。

 「で、最後がね……、ちょっとアレなんだけど」

 一呼吸おいてから、こう続ける。

 「【三日後の日没までに書いた本人か書かれた人のどちらかが死ぬ】それでも解除になる、だって……」

 一瞬にして背筋が寒くなった。

 こんな遊び半分のおまじないに“死”だなんてものが絡んでくるとは思っていなかった。思わず鳥肌が立った腕をさすりながら、「穏やかじゃないねぇ……」なんて言いながら顔だけはなるべく平静を装いながら階段を上る。なんだか寒気がするような、そんな嫌な空気を僕は感じ始めていた。


 階段を上りきってすぐ、小さな祠を見つけた。何度か見たことはあるが、この流れで見ると途轍もなく不気味なものに見えるから不思議だ。その横に例の大木が立っている。近づいてすぐにわかった。縦に折られた人型の紙が五つ。大木の幹にまち針で留められているのが見える。朋美の話では昨日来たときには三つあったということだから、それから更に二つ増えたということになる。

 なんとなく近づく事が出来ず、二人してしばらくそれを見つめながら立ち竦んでしまった。ここに来るまでは単純に面倒で早く帰りたかったが、今となってはそれだけが理由で帰りたいわけではなかった。なんだろう、この嫌悪感にも似た違和感は。一秒でもここに居たくない。そう思わせる何かが渦巻いているようにも思えた。

 「さて!ちゃっちゃとやって帰りますか!」

 そんな空気を払しょくするかのように朋美は必要以上に明るく言うと、ずんずんと木に近づいていった。僕もその後に続く。

 目当てのヒトガタサマはすぐに見つかった。朋美はそれをなるべく指先に触れる面積を小さくするかのように、摘まむようにして破り去る。これで本日のミッションは終了、のはずだった。しかし、偉業を成し遂げたかのような表情の朋美は、一山超えたことで気が大きくなったのか他のヒトガタサマに書かれた名前も覗きだした。

 「こういうのって他人が見ちゃっても大丈夫なのかな?」

 僕は素朴な疑問を口にしたが、「だってそんなのルールになかったもん」と一蹴された。それは確かにそうなんだけど、ね。

 少しずつ雰囲気に慣れてきた朋美はいつもの調子を取り戻しつつあった。まち針で留められたヒトガタサマをすべて木から外して、紙に書かれた名前を眺め始めた。すごいな、こいつ。

 「わ。男子の名前も書かれてる、うげー。じゃあ、これ男子が書いたってこと?女々しいなぁ。男だったら正面からぶつかれよ!熱くなれよ!」

 と、ヒトガタサマと木に向かって何やら叫んでいる。

 「別に、男子の恋愛成就の邪魔物が男子とは限らないでしょ」

 と、ついつい横槍を入れてしまったが、朋美はきょとんとした顔で

 「ん?どゆこと?」

 とこちらを見返してくる。

 「あー、いや、いい。なんでもない」

 そう返された朋美は左上を見上げながらしばらく考え込んだけど、解決したのか、それとも思考を放棄したのかすぐに手元に視線を戻した

 「でも、あとはやっぱりというか、なんというか。女子の名前だね。よかったね、ヨシキ。あんたの名前はなかったよ」

 「そうすか、そりゃよかった」

 僕の方も緊張感がなくなってきたようだ。欠伸を噛み殺しながら適当に受け答える。朋美は一通り内容を確認できて満足したのか、木の幹に再びヒトガタサマを刺し直し始めた。

 「えっ、破らないの?女子のだけでも」

 どうせなんだし、破れる分は破っちゃえばいいのに、と思ってそう言ったが、朋美はこともなげに答えた。

 「破らないよ。余計な恨みは買いたくないでしょ」

 変なところでシビアだ。こういうところある。

 「それに、誰が見てるかもわからないし」

 ……また、思わずゾクリとしてしまった。たまに鋭いこと言うから怖い。ふと誰かの視線を感じたような錯覚を覚えて身震いする。気のせいだろう。気のせいだ。きっと。やっぱりこんなところには居たくない。気味が悪い。

 「日が暮れそうだ、帰ろう」

 そう言って、僕は来た道を戻ろうとする。

 「ちょ、ちょっと待って」

 朋美は置いて行かれまいと慌てて残りのヒトガタサマを元の場所にまち針で留め始めたのだが、その際にうまく刺せずに、一本のまち針が地面に落ちた。

 この世の終わりのような顔をして涙ぐみながら、薄暗くなってきた地面をまさぐる朋美を見ているとすごく哀れに思えてきて、仕方なく僕も一緒に探す。幸い、まち針はすぐに僕の手に引っ掛かって見つかった。

 「ほら、貸して」

 朋美の手からヒトガタサマを受け取り、木に留め直そうとしたときにうっかり折り目から、書かれている名前が読み取れた。

 今度は僕がまち針を地面に落としてしまった。

 「あーもう!何やってんのよ!」

 横でキーキーと騒ぐ朋美の声は僕の耳には届いていなかった。僕はただ、ただ動揺していた。

 何故なら、そこには三カ月前のあの日、人生初の失恋をしたあの日の、あの人の名前が書かれていたから。



 次の日の放課後、僕は久々に図書室に足を運んだ。ドアの前で深呼吸をする。ここに来るのはあれ以来だ。ううう、気まずい。でも、見てしまった以上知らんぷりなんて出来ない。

 テスト期間ということもあり、部活はよほど熱心に活動をしていない限り休みだ。よって校内にはほとんど生徒は残っていない。いつもより静まりかえった校内の空気がいくらか僕の気持ちを落ち着かせる。

 ……よし、いける。

 ドアの取っ手に手をかけて静かにドアを開けて、室内に滑り込む。本の匂いだ。心が浄化されるような感覚に陥る。いやいや、そんな事をしにきたんじゃない。僕は部屋を見渡した。

 彼女はすぐに見つかった。窓際に置いてある四人掛けのソファに深く腰をかけて本を読んでいる。最後にここを訪れた三カ月前となんら変わっていない。

 彼女は部屋に入ってきた僕に気づき、おもむろに顔を上げてこちらをしばらく見つめる。その瞳からは、いまいち思考は読み取れない。でも、彼女のことだ。案外、僕と同じように気まずさを感じているのかもしれない。

 しばらく無言でこちらを見つめ、そしてゆっくりと口を開いた。

 「久しぶりね。もうここには来てくれないと思ってた」

 この声。あの日以来だ。胸が少しだけチクリと痛む。

 「まぁ、さすがに。ちょっと足が遠のいちゃって」

 僕がそう言うと、彼女は少しだけ申し訳なさそうに笑った。たった三カ月会わなかっただけなのに、その笑顔がすごく懐かしく感じる。彼女はそのことには触れずに、また口を開いた。

 「久々に読書をしに来たとか?」

 何かを期待しているように見えるのは僕の気のせいなのだろうか。気のせいじゃないと信じたい。信じさせてほしい。あ、いや、違う違う。そうじゃない。今日はそんなことよりも大切なことを伝えに来たのだ。

 「“魔女”さん」

 久々に口にするこの名で僕は彼女に呼び掛ける。

 「大事な話があるんだ」

 静かな室内に僕の声が響く。

 さて、何から話したらいいものか。


(続く)

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