第89話:意地っ張りなアーニャ3

 討伐した魔封狼の前で座り込むアーニャに、エリスがゆっくりと近づいていった。


「随分と手こずっていたみたいですね」


 ドッキーンッ! としたアーニャは、ビックリして立ち上がる。私はいま怒っていますよー、というオーラ全開のエリスを見て、バツが悪そうな顔を向けた。


「ち、違うのよ、エリス。今日はちょっと……体調が悪いの。そう、体調が悪いのよ! 頭がガンガンするわ!」


「そうですか、大変ですね」


 見抜いてください、と言わんばかりの即席の仮病をエリスは聞き流す。


 やっぱりダメよね、と思うアーニャは、エリスの顔色を伺うように肩をすぼめた。


「エリス、怒ってる?」


「頭痛で戦闘できないアーニャさんが可哀想だなって、同情してるだけです。全然怒ってませんよ」


「……ムスッとして、怒ってるじゃない」


「怒ってるとしたら、ルーナちゃんだと思います。私は、あまり信頼されてないんだなって知って、ちょっと悲しいだけです。仲が良いと思って喜んでいたの、私だけだったみたいですね」


 ひたすらアーニャを心配して、危険な西門までやって来たエリスは、心にポッカリと穴が開いたような気持ちになっていた。


 命に関わるほど大事なことを、気安く言えないことくらいわかってる。でも、アーニャなら相談してくれると思っていた。親しみを込めて、「エリス」と名前で呼んでくれるアーニャは、自分のことを信頼してくれていると思っていた。


 でも、現実は違う。戦えない姿を見ても、アーニャは必死に誤魔化そうとする。エリスには話したくない、そう言われているような気がして……。


「そんなことないわ。私だって、本当はエリスに言いたかった。でも、嫌われたくなくて……どうしても言い出せなかったのよ」


 下手に隠し続ければエリスの信用がなくなると思い、意を決して、アーニャは自分の服を持ち上げ、ヘソに刻まれた封印を見せる。


「私の魔力は、封印されてるの。初めてエリスに会ったときには、もうこの状態だったわ。破壊神と呼ばれた私は初めからいなくて、ずっと騙していたの」


 エリスの顔もまともに見れず、アーニャは目を反らしたまま、今まで隠してきたことを打ち明けた。


「呪いでは、なかったんですね」


「悪化しないって意味では、呪いより楽ね。魔族が死にぎわに残したものだから、どういった影響があるか詳しくわからないけど」


「……えっ? 魔族!? それって、魔物が進化したと言われる人型生物のこと、ですよね」


 魔物よりも遥かに恐ろしい魔族の存在を伝えられ、エリスは動揺する。


(魔族が死にぎわに放ったのなら、すでに討伐済みの可能性が高いわ。世界を救っているのと同じことだし、そんな英雄伝説を話したら、黒い噂なんて一気に払拭できるのになー……)


 ヘソの封印に顔を近づけてジーッとエリスが見ていると、さすがにアーニャは恥ずかしくなったのか、隠すように服を下した。


「あとでルーナにもちゃんと説明するわ。それより、一つだけエリスにお願いを聞いてほしいの」


 魔封狼に押し込まれ、情けなく震える手を見たアーニャは、これ以上の悪あがきを諦める。


「兵士を呼んできてほしいのよ。もう、私はこの門を守る術を持たないから。攻撃アイテムも全部使っちゃって、マジックポーチに入ってるのはポーションだけ。いまの私なら、近辺に棲む魔物にも劣りかねないわ」


 西門を守ると決まってから、冒険者としても錬金術師としても、アーニャは万全を喫したつもりだった。でも、結果は伴わない。たった半日しか戦えないほど、見通しが甘かったのだ。


 もし、魔封狼が二体以上で来ていれば、エリスやジルも死なせていただろう。


 自分の我が儘で、平和に暮らす街の人々を死なせるわけにはいかない。エリスに打ち明けずに、ジルを危険な月光草の採取へ連れ出した自分に、罰が当たったのかもしれない。


 物事を冷静に判断できるエリスは、わかっているはず。私のことより街を優先すべきは明らかで……。


「お断りします」


「……はぇ?」


 アッサリと否定してきたエリスに、アーニャはポカーンと口を開けて見つめていた。


 エリスは初めからアーニャを責めるつもりはなかったし、話してくれなかったとはいえ、弱体化したことを隠すのは、当然のことだと思っていた。


 世界中に黒い噂が流れるアーニャの力を考慮すれば、弱体化したという情報は、国が一つ滅びたと同じくらいの衝撃的なニュースになる。良い意味でも悪い意味でも注目を浴び、命が狙われることは間違いない。アーニャだけでなく、動けないルーナも一緒に。


 だからこそ、エリスは早く相談してほしかった。絶対に裏切らないと誓える自分に、打ち明けてほしかった。もっと早く、アーニャの力になることができたかもしれないから。


「もう少し誰かに頼ることを覚えてください。いつまでも一匹狼で過ごしていたら、足元をすくわれますよ。普通の人間は、自分でできることに限界がありますから」


 ポケットに手を入れたエリスは、ガシャガシャと甲高い音がぶつかり合う袋を差し出す。


 受け取った袋の中を覗いたアーニャは、胸に熱いものが込み上げる。袋の中には、ジェムが入っていたのだ。有り金をすべて費やしたかのような、大量のジェムが入っている。


「内緒にしたいんですよね。それなら、冒険者の皆さんが戻ってくるまで、私たちだけで守るしかないじゃないですか。早くポーションを飲んで、戦う準備をしてください」


 アーニャは混乱した。


 弱体化した自分に、どうして優しくしてくれるのだろうか。ジルを危険な場所に連れて行ったのに、どうして助けてくれるんだろうか。強さしか取り柄のないはずの自分に、価値なんて存在しないはずなのに……。


「エリス、本当に怒ってないの? 私はもう、強くないのよ。自分の力で戦えないの。破壊神と呼ばれた私は、もうどこにもいないのよ」


「圧倒的に強い破壊神様が好きなわけじゃありません。意地っ張りで恥ずかしがり屋で、すぐに大きな声を出して誤魔化すアーニャさんが好きなだけです。もうちょっと素直になってくれるとありがたいですけどね」


「……ごめんね。次からは、気をつける。エリス、


 二年も一緒に過ごして、初めてアーニャに『ありがとう』と言われ、エリスにも熱いものが込み上げてくる。


 恥ずかしい。アーニャに素直なお礼を言われると、妙に恥ずかしい! そして、初めて目がウルウルしているアーニャを見て、恥ずかしさのあまりに体温が上昇する!


「急に素直になられても困りますけど」


 マグマウルフがいた影響で熱いのかな、と変な汗が額に溢れ出すほどには、エリスは動揺している。


「とりあえず、私とジルで攻撃アイテムは確保します。すでに錬金術ギルドでジェムを作ってくるようにジルを走らせていますから、手持ちのアイテムだけでアーニャさんは時間を稼いでください」


「うん。……本当に、ありがとね。エリスのこと、私、大好きだよ」


 素直なアーニャさんが可愛い! と、デレ成分が多めのアーニャに心を打たれたエリスは、すぐに錬金術ギルドへ向かって走っていく。


 未来の弟の嫁を守るのは私だと、謎の使命感に背中を押されながら。

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