第65話:やってもたー案件

 翌日、太陽が昇り始めて、あれよあれよと数時間が経過し、午前が終わろうとする頃。アーニャとジルは……寝ていた。


 恋心が開花したジルの甘えん坊アタックにやられたアーニャは、明け方にようやく就寝。眩しい光を顔面に浴びながらも、ポッカーンッと口を開けて、気持ちよさそうに眠っている。仲良く繋いだジルの手を、しっかりと握りしめたまま。


 当然、大好きなアーニャと一緒に眠るジルも、幸せな夢の世界へ羽ばたいている。むにゃむにゃと口を動かし、エリスお姉ちゃ~ん、といつも一緒に眠るエリスの名前を呼びながら、アーニャにすり寄っていくほど、爆睡。魔力酔いが影響しているのか、一向に起きる気配はない。


 その近くでは、ギィシャアアア、だの、グォオオオ、だの、ブヒィイイイ、だの……、三体の魔物たちが活発に動き回って争っているのだが、互いに気付くことはなかった。


 魔物がいる街の外で呑気に過ごす二人を守り続けているのは、結界石だ。ジルと安全に過ごすため、アーニャが丹精込めて作ったこともあり、品質は最高級。そのため、結界内はポカポカと温かい気温になり、外界との音を遮る安眠効果付き。効果時間まで延長された結界の中で快適に過ごした結果、スヤッスヤの朝……を通り越し、昼になろうとしていた。


 しかし、形があるものは、いつか壊れる宿命にある。眠りこけているアーニャとジルは、結界石の異変に気づかない。


 魔石を加工して作られたこともあり、結界石は魔力を消費して結界を維持している。当然、魔力が枯渇するとピキピキッと亀裂が入り、限界を迎えて壊れ始める。それが、今だった。


 冒険者として長年活動していたこともあり、不穏な音に敏感に察知したアーニャは、ふにゃ……と情けない声をあげて、体を起こす。その瞬間、パリーンッ! と大きな音を立てて、結界石が砕け散った。


 ビックリしたアーニャが戦闘態勢を取る。が、時すでに遅し、とはこのことだろうか。衝撃的な光景が目に飛び込んできた。


 赤いうろこを持つトカゲの魔物、レッドリザードマンに、力に特化したムキムキの豚の魔物、パワードオーク、そして、土魔法を得意とする鳥の魔物、ロックバードの三体が争っていたのである。


 しかも、結界石が割れた音に気を取られた三体の魔物は、いつからそこにいらっしゃったんですか? と問いかけたいかのように、硬直してアーニャと目線が重なった。


 寝坊して遅刻……では済まされない、人生やってもたー案件である。


 魔力の強い土地には、知能も戦闘力も高い魔物が生息することが多い。出くわした三体の魔物はすべて上位種族であり、Aランクに近いBランクの魔物になる。ジェムをパリンパリンッと割らないと戦えないほどの相手で、弱体化したアーニャが三体同時に出会っていい魔物ではない。


 戦闘の経験が豊富なアーニャとはいえ、ジルを護衛したままでは厳しい相手になる。ゴクリッと唾を飲み込み、アーニャは口を開く。


「寝過ごしたわね……」


 まずは状況を適切に把握した。非常に大切なことではあるものの、緊張感は足りない。寝起きでイマイチテンションがあがらない、アーニャなのである。


 しかし、硬直していた魔物は違う。


 お嬢ちゃんは呑気なこと言うてますな、という気持ちではなく、おいしそうな子供も連れてんじゃないの、という気持ちでもなく、久しぶりの人間はうまそうだ、という気持ちでもない。


 この地の支配者、悪魔の人間がお帰りになられてしまった、という思いである。


 今から三年前、この地の魔物が大繁殖をした時期、三大勢力に分かれて大きな争いが行われたことがあった。繁殖しすぎた影響で食料が減り、互いに縄張りを広げざるを得なかったのだ。


 しかし、壮絶な争いに発展した魔物同士の勢力争いは、たったの一人の人間に阻止された。


 もうおわかりのことだろう。たまたま通りがかって、騒がしくて眠れないわ、とイライラしてやって来た、アーニャである。


 平然とした顔でアーニャが歩く度、今までに聞いたことがない魔物の断末魔だけが鳴り響いた、あの日の夜。ギィッッッシィ……ン、だの、グッオッッオォ……ン、だの、ブッヒヒィィ……ン、だの。なぜ同胞が悲痛の声を出さなければならないのか、知能が高い魔物たちは、恐怖を植え付けられてしまった。


 そして、魔物たちは手を取り合う。


 得体のしれない何かが、この地を支配しに来た。我らで争っている場合ではない。三大勢力の力を一つにして、未知の悪魔を討伐するべきだ。そのために我々は、大繁殖をしていたのではないか、と。


 心を一つにした魔物たちは、当時十九歳の女の子、アーニャに容赦なく襲い掛かった。武器を取り、咆哮を上げ、次々に魔法を打ち込む。が、聞こえてくるのは、同胞たちの断末魔だけ。慈悲のないアーニャの攻撃は圧倒的であり、傷一つ付けられなかった。


 その結果、生き残った魔物はいたものの、三大部族は衰退。ようやく力を取り戻し始めた昨今、久しぶりに部族長が集まって、近況報告をしていただけなのだが……。


「マズいわね。上級クラスの魔物が三体もいるなんて」


 この地の支配者である悪魔と出くわしたコチラの方がまずいですけど! という魔物の気持ちには気づかない。マジックポーチに手を突っ込み、戦闘態勢を取って腰を落とすアーニャに、魔物たちは後退りを始める。


 もう一度戦えば、この地の魔物が無に帰るだろう。それだけは避けなくてはならない。


 戦闘の意思がないことを伝えるために、絶対に手を出すなよ。絶対だからな! フリじゃないぞ! などと思いながら、スススッ……と後退りをする魔物たち。ある程度の距離を取った後、ピューーーッ! と音が聞こえてきそうな勢いで撤退した。


 破壊神と呼ばれるアーニャが恐れられているのは、決して人間だけではないのだ。


「戦闘が苦手な魔物もいるのかしら。ラッキーなこともあるものね。そういえば、昔もこうやって逃げる魔物がいたような……」


 それは数年前の我々です! なーんて魔物が突っ込むわけもなく、必死に仲間の元へ帰っている。しばらく大人しく隠れて、部族が殲滅されることを防ぐために。


 呆気なく追い払うことに成功したアーニャは、フゥーッとため息を吐き、肩の力を抜く。他にも周囲に危険がないか見渡すと、まだ呑気に眠っているジルが目に入った。手を繋いでいたアーニャがいなくなり、エリスお姉ちゃ~ん、と寝ボケている。


 あんな魔物に遭遇しても眠っていられるなんて、この子は大したものね、と思いつつ、アーニャはジルを優しく起こすのだった。

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