第36話政宗の計略
浜松城の一室にて、雷次郎と勝康、そして伊達政宗が向かい合っていた。
雷次郎と勝康は並んで、伊達政宗と正対している形になっている。
しかも互いに護衛をつけていない。異常な光景とも言えた。
「手を組むと言ったな。お前さん、本気で言っているのか?」
「冗談を言っているつもりはねえよ。そっちの坊主も協力してもらう。ま、話を聞けよ」
「わ、私も……?」
余裕綽々な政宗に対し、どう応じていいのか、雷次郎と勝康は迷っていた。
敵の大将が敵陣にふらりと来たのだ。経緯を考えればこの場で捕らえられても仕方ないのに、実に堂々としている。
「話を聞いてやってもいい。だが、俺の前によくもまあ顔を出せたもんだ」
「この俺に指一本でも触れたら戦が起きるぜ。それも泰平の世を揺り動かす大乱になる」
脅しではない。事実を淡々と述べているという感じだ。
これは一筋縄ではいかないな、と雷次郎は背筋を正した。
勝康はすっかり飲まれてしまっている。とても口を挟める状況ではない。
「今、大坂に向かっている『女』を止めてくれねえか。今なら全て無かったことにしてやるって条件だ」
「それが手を組むの内容か? 答えは一昨日来やがれだ」
にべもなく断る雷次郎に「少し違うな」と政宗は嘲笑った。
「女の説得は前段階さ。『あれ』のことを気にかけているお前への気遣いと受け取ってくれ」
「…………」
政宗の言いように怒りを覚える雷次郎。
しかし理性は保とうとしている。
「それでだ。俺が後見人になってやるから雨竜家を継げ。そうすりゃあ万事上手くいく」
「……俺はお祖父さんと違って政治が分からねえ。もっと分かりやすく言ってくれねえか?」
「はん。どうせ『百万石の陰謀』も承知してんだろ? はっきり言っちまえば、俺も博打だと思っている。それも分の悪い賭けだ」
ここまで言っても雷次郎にはピンと来なかった。
勝康は百万石の陰謀を知らない。だから二人の言っていることが分からない――はずだった。
「……百万石の陰謀は分からないが、雷次郎殿が雨竜家を継ぐことで、伊達家に便宜をはかるということか?」
徳川家の次期当主なだけにそういう嗅覚が優れている勝康。
雷次郎は息を飲み、政宗は「へえ。ただのぼんぼんじゃねえんだな」と感心した。
「百万石の陰謀は、蝦夷地攻略のために他大名から領地を借り入れる政策だ。借りる石高は三十五万石。それを二倍にして返すってなると、六十五万石しかねえ俺たちには無理だ」
「な、なんだと……!?」
あっさりと陰謀の内容を暴露した政宗。
勝康が驚愕する中、続けて「だけど雨竜家の石高がある」と言い出した。
「雨竜家の石高は傘下の大名を含めて二百万石以上だ。そいつで足りねえ石高を支払えばいい」
「ふざけているのか? そんな話、親父が飲むわけねえだろ!」
「飲むわけないと思っているのは、俺も同じだ。だからこそ、お前がいる」
政宗は雷次郎を指さした。
まるで神仏の宣告のように。
「お前が雨竜家を継いで俺に協力すれば――解決するんだよ」
「…………」
「そこまで飲み込んでくれれば、あの女は自由だ。大手を振って生きられる」
雷次郎はその提案を一蹴したかった。
政宗の自分本位な要求を蹴りたかった。
しかし、その要求を飲むことで――光が自由になれると考えれば。
「なあ。お前はどう思うんだ――小次郎」
ふいに政宗が大声で名を呼んだ。
雷次郎と勝康は身構える――すると天井から音もなく男が降り立った。
「お前さんは……どうして?」
雷次郎が目をむいて驚くのは無理もない。
自分たちの中心に立っている男は――般若の男だったからだ。
「な、何者だ、貴様は!?」
初対面の勝康が喚くが、それを一切意に介さない般若の男。
努めて冷静な声で「よく分かりましたね」と政宗に言う。
「黒脛巾組を舐めるなよ。お前があれの傍にいないのは調べているさ」
「……では、私がここにいる理由は分かりますね」
忍び刀を逆手に抜いて政宗と向き合う般若の男。
命を狙われているのにも関わらず、政宗は涼しい顔をしている。
「この俺を殺すため、だろう? それ以外理由はない」
「……ええ、そのとおりです」
「お前、そんなにあの女を守りたいのか? いや、愚問だったな」
政宗は般若の男に言う。
「あれは――お前の姪だからな」
◆◇◆◇
光が般若の男の姪である。
その言葉に度肝を抜かれたのは雷次郎だった。
どこぞの忍びだと思っていたら――親族。
「お前さんは……まさか、伊達政宗の……」
「そのとおりだ――」
般若の男は面をあっさりと取る――その露わになった顔は、政宗とよく似ていた。
「伊達小次郎。それが私の捨てた名だ」
雷次郎と勝康は、伊達小次郎という名を知っていた。
武士の間では有名な話だ――
「だ、伊達小次郎は、死んだはずだ……伊達政宗が殺したと……」
勝康の呟きに雷次郎はハッと気づいた。
「虚言だったのか。弟を殺したのは、嘘だったのか!」
「ああ、そうだ。全部でたらめだ」
政宗は「弟を殺すのは忍びなくてな」と喉奥で笑った。
「偽首を用意した。母上は大層嘆き悲しんだが、それが証明となった。以来、小次郎は忍びとなって伊達家を陰ながら助けたのさ」
「…………」
「なあ小次郎。俺を殺せばあの女は死ぬことになる。もしくは生涯追われる身になるな」
般若の男――小次郎は動かずに政宗の話を聞いている。
「それは嫌だろう? お前が守り切ればいいけどよ。若いあいつと老いたお前じゃ寿命が違う――」
「承知しています。だから兄上にお頼み申す」
小次郎は忍び刀を捨てて、政宗に土下座した。
「光殿を、どうか――見逃してくだされ」
「俺にじゃなくて、雷次郎に頼むんだな」
冷たく返す政宗。
小次郎はそのまま動かない。
「はあ。ここまであれを利用したんだけどな。雷次郎は協力しないか」
「利用してきた? 何を言っているんだ?」
勝康が指摘すると「あれが今日まで生きてこられたのは、俺がそう命じたからだ」と言う。
その言葉に小次郎は顔を上げた。
「考えてみろ。使用人が次々と殺されて、一人きりになったあれを、殺せない道理はないよな?」
「それは、私が――」
「いや、小次郎が守っても無理だっただろう。しかしこうして雷次郎と出会わせた。そう考えると分かることはないか?」
小次郎と勝康は政宗の意図を考えあぐねていた。
そこに雷次郎が小声で呟いた。
「俺に会わせるためか? 会わせて一緒に旅をさせて――」
「情を移させた。可愛そうなあれを、お前は同情するだろうと分かっていた」
政宗は端正な顔立ちを歪ませて、実に醜悪な表情になった。
勝康のような子供が嫌悪感を抱くほどだった。
「あの女もお前の言うことなら聞くだろう。たとえ命がけの旅をしてきても、自分の身の安全が保証されればな。それにお前もあれが好きになっているはずだ。だから俺の要求を飲むしかない」
政宗はまるで魔の如く、雷次郎の心に忍び寄る。
語る言葉は徐々に浸透していく。
「お前が跡を継ぎ、土地を譲れば――全て上手くいく。あの女も不幸な身の上から自由になれる。しかしだ。お前が首を横に振れば女は死ぬ。それどころか生き地獄を味わうだろう」
雷次郎は目を閉じた。
思い返すのは旅の記憶。
そして光の笑顔だった。
「さあ、雷次郎。俺に協力――」
「勝康、ごめんな」
雷次郎は謝った後、立ち上がり――政宗の袖を掴んで無理矢理立たせた。
皆が唖然とする中で、雷次郎は言う。
「外道の血で、浜松城を汚すことになる!」
右手を握り、後ろに振りかぶって。
呆然としている政宗の頬を思い切り殴り飛ばした。
政宗は襖を突き破り外の廊下まで吹き飛んだ。
点々と雷次郎の拳から血が流れる。
「ら、雷次郎殿! 正気ですか!? これでは戦に――」
「ああ、戦だな。分かっているさ、勝康」
倒れてしまった政宗がゆっくりと起き上がって「やるじゃあねえか」と笑った。
「戦になってもいいのかよ、ああん?」
「知ったことか。俺は――」
雷次郎は拳を構えた。
全てを覚悟した、男の姿だった。
「自分の娘をくだらねえことに利用した外道をぶん殴るだけだ!」
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