第18話駿河国

 豊臣幕府の中には序列というものがある。

 要するに大名の格だ。国力や豊臣家への貢献度によって決められている。

 しかし序列に数えられるのは豊臣幕府の大名家の中でも、たった七家しかない。

 その七家はどれも名高い大大名家であり、その他の尊敬を集めている。


 ちなみに雨竜家は序列三位である。関八州を治めるかの家でも、上位二家には敵わないのだ。

 雷次郎やその父秀晴はそのことについて特に何も思っていない。傘下の大名や配下の家臣などは少し何か思うところがあるかもしれないが、それ以上に気にしているのは、他の大名家である。自身の格を高めるためには、上位の大名家を蹴落とすしかない。天下泰平となった今、戦で手柄を立てるのは現実的ではなかった。


 そういうことを考えれば、雨竜家の跡取り息子である雷次郎が、序列五位の徳川家が治める駿河国に入るのは、いささか不用心かもしれない――


「くれぐれもご用心ください。いくら殿と徳川家当主の信康様の仲がよろしくても、家臣たちがどう思っているか分かりませんから」

「承知しているよ。俺が子供のときに起きた小田原征伐を思えば、当然のことだ」


 雷次郎は不安そうに耳打ちしてきた雪秀にそう返した。

 彼は当主の信康を気のいいおじさんと思っていたが、その傍に仕える者たちのことは信用していなかった。

 どうもすっきりしないのだ。本多忠勝が仕えていたとは思えないくらいに、気持ちの良い者がいない。


 駿河国の駿府城の城下町を通りかかった一行。

 光は雷次郎の気まぐれに対してどう思えばいいのか分からなかった。寝ている間にすべて解決したとはいえ、共に行動していた凜から聞いた話を聞く限り、綱渡りが過ぎると考えた。


「何こそこそ話しているの? さっさと行くわよ。今日の宿はまだまだ先なんだから」

「へいへい。分かっているよ」


 光の不機嫌な態度を雷次郎以外の二人、雪秀と凜は仕方ないなと諦めていた。

 雷次郎の気まぐれに何度も付き合ったことのある雪秀は、その気持ちが十分に分かってしまう。


「光。あまり焦ると転ぶぞ」

「子供じゃないんだから……でもそうね、ありがとう」


 雪秀が分からないのは、凜が光に対して気遣いを見せていたことだった。

 風魔衆頭領になってから、情けなど捨てたと公言していた、あの凜が……

 それに光も凜に心を開いている気がする。同性だからだろうか?


「ま、良い変化だってことだよ」

「……相変わらず、私の心が読めるんですね」

「お前のことはお前以上に分かる。というより、表情に出過ぎだ」


 雷次郎は前を歩く女二人を微笑ましい気持ちで見つめる。

 もちろん、周囲の警戒は怠っていなかった。


「雪秀。俺は一つ懸念していることがある」

「なんでしょうか?」

「あれから一度も、敵が襲撃してこない」


 雪秀は一瞬考えて「風魔衆が警護しているからではないですか?」と至極当たり前のことを言う。

 しかし雷次郎は首を横に振った。


「先日、俺と凜が離れたときだ。そのときこそ好機だったはずだ」

「ええまあ。それでも風魔衆が――」

「いくら警護しているからとはいえ、手を出さない馬鹿はいない」


 雷次郎は怪訝そうな顔をしている雪秀にも分かりやすく言う。


「いいか? 敵は集団だ。なら小分けに襲撃する手もあるだろう。こちらの戦力を計るためにな」

「……小分けにする余裕がないと考えるのは楽観的ですか?」

「可能性がないわけではないが、俺ならこうするって考えが二つある」


 いつになく真剣な雷次郎の顔。

 雪秀はごくりと唾を飲み込んだ。


「一つは目的地直前で襲撃する。もう一つは罠を仕掛けるために先回りしている」

「……厄介ですね」

「もっと厄介なのは両方しているかもしれないってことだ」


 雪秀は一度黙ってから「凜や風魔衆に伝えたほうが良いのでしょうか?」と雷次郎の判断を訊ねた。


「いや。ずっと神経張り詰めて警戒してくれているんだ。余計なことを考えさせたくない」

「それでは対処ができませんよ」

「俺とお前ならできる……が、あと一人手練れが欲しい」


 雪秀は思い出したように「そういえば、三島宿で飛脚頼みましたね」と手を叩いた。


「このためだったんですね。しかしいったい誰を……」

「お前と同じくらい頼りになる奴だよ」


 その言葉に雪秀は「私と同じ、ですか」と気分を少々害してしまった。

 軽い嫉妬のようなものだけど、鋭い雷次郎は「おいおい。拗ねるなよ」と雪秀の肩に手を回した。


「そいつとの付き合い考えたら、そう言うしかなかったんだよう。悪かったって」

「べ、別に拗ねてなんかないですよ!」


 その声が大きかったので、光と凜が振り返ってしまう。

 それでいちゃつく二人の男を見て、ひそひそ話をする。


「あの……凜さんが怒っても仕方ないことを言うけど、あの二人衆道の仲じゃあないわよね?」

「ば、馬鹿な。そのようなことがあるわけ……」

「ちょ、ちょっと! そこは否定してよ! 本当みたいじゃない!」

「でも、若様はその、あの雷次郎と仲が良すぎると、前々から――」


 雷次郎は雪秀から離れて「お前さんたち。往来の多い道の真ん中でやめろよ」と苦笑いをした。


「俺たちはそんなんじゃあねえよ」

「そ、そうですよ! 失礼ですよ!」

「あ、えっと、その……ごめんなさい」

「若様、すみませんでした」


 女二人の誤解が解けそうなとき、雷次郎は思い出したように呟いた。


「でもまあ、雪秀から誘われたことはあるな」

「……は?」


 凜の顔が恐ろしいものになろうとしたとき、雪秀が「雷次郎様!」と悲鳴を上げた。


「それは内緒だと、あれほど――あっ」


 口を滑られた雪秀。

 凜の表情が絶望へと変わり、光の顔が真っ赤になった。

 頭を搔きながら雷次郎は咳払いした。


「ごほん。とりあえず、そこの茶屋で休憩するか。俺たち、落ち着く必要がありそうだし」



◆◇◆◇



 重くて気まずい雰囲気の中、雷次郎たちは茶を啜った。

 流石の雷次郎も雪秀に悪いことをしたなと思っていた。団子を食べつつ「凜。誤解なんだよ」と言う。


「雪秀は勘違いしていたんだ。行為にも及んでいない」

「……話はそれだけなのか? もっと説明してくれるんだろうな?」

「いろいろと複雑なんだよ」


 凜は唇を嚙み締めて雪秀を見る。

 見るというよりほとんど睨みつけていたが、雪秀は甘んじて受け止めた。


「…………」

「……凜。私はその、血迷っていたのだ。今はその、衆道に興味はない」

「……『今は』ですか」

「揚げ足を取らないでくれ……」


 こんな嫌な休憩は初めてねと思った光は、何気なく外を眺めた。

 女が男たち数人に絡まれている――


「……ねえ、雷次郎」

「はあ。まったく、くだらねえことしやがる」


 雷次郎は刀を持って立ち上がり、茶屋を出た。

 雪秀も一緒に行きたそうだったが、極寒と言ったほうが正しい冷たすぎる目で見ている凜に制された。まだ話は終わっていないらしい。


「おいおいおい。何してやがんだ?」

「あん? なんだ兄ちゃん。俺らとやる気か?」


 そこで雷次郎は違和感に気づいた。

 真昼だというのに自分以外誰も男たちを止めようとしない。

 よく見れば五人は浪人の恰好をしている。岡っ引きでも呼べば済む話だ。


「嫌がっているから離れろよ。大勢で女ぁ力づくするなんて、男のやることじゃあねえだろ」

「どうやら余所もんみてえだな。いいか、俺らは――」


 そこで女の手首を掴んでいた男が急に離した。

 それどころか「おい! 勝康様だ!」と皆に知らせる。


「げえ!? ちくしょう、覚えてやがれ!」


 三下の決まり台詞を吐きながら、男たちは逃げていく。

 雷次郎は厄介ごとに巻き込まれるのを予感したが、解放された女がその場にしゃがみこんでしまったので、その場から去ることができなかった。


「おいねえちゃん。大丈夫か?」

「わ、私のことはいいですから、あなたも逃げて――」


 妙だなと雷次郎が思うのと同時に「もう遅いよ」と甲高い声がした。

 女はますます真っ青になる。

 雷次郎が声の主に目線を向けた――子供だ。


 十才くらいだが奢侈な着物を着ている。太い眉で恰幅の良い体格。どこぞの商家の息子のようだった。傍には屈強な武士が一人ついている。用心棒だろうなと雷次郎は思った。


「この町で悪さをするとどうなるか、分かっているはずだ」

「……いいや。俺は今日来たばかりだ。よく知らねえ」


 子供の額に青筋が浮いた。

 ふと町人たちを見ると、全員不安そうな顔をしている。

 どうやら子供は偉い身分らしい。


「大須賀! この者を斬り捨てよ!」

「ははっ。仰せのままに」


 歳は二十四か五の男。鋭い目つきは何人も殺めたと思わせる。

 すらりと抜いた刀はかなりの業物だった。


「お待ちください! この方は私を助けてくださったんです!」


 女が平伏して事情を説明するが「ええい、邪魔だ!」と子供が足蹴にする。


「ああ! 何を――」

「女は引っ込んでいろ!」


 傲慢な子供特有の笑みを浮かべたときだった。

 大須賀と呼ばれた男が膝から崩れ落ちてしまった。


「……忠政?」

「気に入らねえなあ」


 雷次郎は怒りを込めた拳で、大須賀の腹を殴った。

 声も無くうずくまる大須賀を見向きもせず、子供へと歩みを進める。


「訳も聞かずに俺を斬るのは別にいい。家来に命じて斬らせるのも許してやる。でもな、女に手ぇあげて、へらへら笑ってやがるその性根は気に入らねえ」


 指を鳴らしながら雷次郎は、呆然としている子供の前に立つ。


「少し、教育してやるぜ――」

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