第2話真柄雪秀と禁忌の言葉
雷次郎がのん気に馴染みの飯屋でご飯を食べていると「ここにいましたか!」と町人風の格好をした少年が入ってきた。
冬近くなってすっかり脂が落ちてしまったさんまを食べつつ雷次郎は笑顔で応じた。
「おう、雪秀。今日は早かったな」
「佐助殿と才蔵殿の手を借りたのですよ……」
「流石になりふり構わないって感じだな」
「当たり前ですよ! 今日が何の日か分かってないんですか!?」
少年は名を真柄雪秀という。彼は汗をかきながら文句を言っていた。
雷次郎は飯屋の女中に「こいつに白湯をやってくれ」と注文した。女中は笑顔で「あいよ!」と元気良く返事をする。
「今日が何の日? ……ああ、親父が俺に家督を譲る日だったな」
「……分かっているなら、どうして城に――」
「言葉に気をつけろよ。今の俺は『ただの』雷次郎だ」
雪秀は周りをきょろきょろ見渡して、真向かいではなく雷次郎の隣に移動した。
「雷次郎様。あなたは継ぎたくないんですか?」
「まだ親父も元気じゃねえか。それに俺ぁまだまだ若輩者だ。従う家臣も少ない」
「何まともなこと言っているんですか!」
「なんだよ。俺だっていろいろと――」
「考えているのは、屁理屈でしょう? そんなに嫌なんですか?」
そのとき、女中が白湯を持ってきたので、話は中断してしまった。
雷次郎は食事を再開し、雪秀は白湯を飲んだ。
それから食べ終わるまで雪秀は言葉を噤んだ。
「正確に言えば、まだ継ぎたくねえな。自由な時間が無くなっちまう」
「今まで散々、自由気ままに遊んでいたではありませんか!」
「そんな大声で言うなよ……今の立場のほうが気楽なのは間違いねえけど。いろいろ遊べるし」
「遊べる? それは賭場を仕切っていた佐倉一家を潰すことですか?」
雪秀は頭を抱えながら「あれは流石にやりすぎですよ」と苦言を呈した。
「何の理由で潰そうとお決めになられたのか知りませんけど、あれで当主様にお叱りを受けたんですよ! 他の家臣にも愚痴を言われました!」
「どうせ大久保のじいさんに言われたんだろう? 想像はつく」
「とにかく! 今すぐ帰りましょう!」
雷次郎が食べ終わったのを見て、雪秀は勘定を置いて無理矢理飯屋から引きずり出す。
抵抗しても無駄だと分かっている雷次郎は無駄なあがきをせずに外に出る――
「出てきたぞ! ――おい、雷次郎!」
飯屋の中から出てきた雷次郎と雪秀を待ち受けていたのは、十数人のごろつきたち。全員、やくざ者だと分かる風貌だった。
雷次郎と雪秀は互いに顔を見合わせる。
「……お知り合いですか?」
「いいや。だがおそらく佐倉一家の残党だろうな」
その会話が聞こえたのかごろつきの一人が「そのとおりだよ!」と大声で喚いた。
「親分の仇討ちだ! 雷次郎、ぶっ殺してやる!」
ごろつきたちが刀を抜くと遠巻きに見ていた町人たちが悲鳴を上げる。しかし中には「喧嘩だ! 喧嘩だ!」と囃し立てる者も少なからずいた。
「おいおい。刀を抜くって。どういうことか分かっているのか?」
雷次郎が面倒くさそうに言うが、ごろつきは「分かってねえのはお前のほうだ!」と怒鳴りつける。
「この人数差で勝てると――」
「そうじゃねえよ。死ぬ覚悟があるのかって聞いてんだ」
先ほどの雪秀の会話と違って酷く冷えた声音。
ごろつきたちの背筋が凍る。人数が多いはずなのに、圧倒されてしまう。
「て、てめえ――」
「お前たちの親分はどうしようもない屑だった。場所代を強請って、払えない店は潰し、払うことを拒否した店も潰し、賭場ではいかさまをして客から金を巻き上げた。無理矢理借金を作らせると、そこの家の娘を女郎にしたりした。仁義の欠片もねえ男だ」
雷次郎がごろつきたちの前に一歩進み出た。
身体中から発せられる気迫。
「お前たちが命を張って仇を討つほどの男じゃねえ。そんぐらい分かっているだろう?」
「う、うるせえ! 親分を晒し首にされて、黙っていたら俺たちの面子が立たねえんだよ!」
全員の剣先が震えているが、それは怒りではなく、畏れの証だった。
雷次郎はふうっと溜息をついて「雪秀、手伝ってくれ」と言う。
「なるべく殺すなよ」
「本当に、雷次郎様の近くにいると、退屈しないですね」
「あはは。痺れるだろう?」
雷次郎は刀を抜く。そして刀をくるりと反転させた。峰打ちにするつもりらしい。
雪秀はやれやれと拳を構えた。刀は使わないつもりらしい。
「この野郎……! やっちまいな!」
ごろつきたちが一斉にかかってくる。
一人が大上段で振り下ろす前に雷次郎は素早く胴体を峰打ちする。その鮮やかな動きは町人たちが見惚れてしまうほどだった。
怯まず二人の男が襲い掛かるが、雪秀が尋常ではない動きで近づき、両手で各々の鳩尾に拳を食らわす。呻き声を上げて二人はその場にうずくまってしまった。
あっという間に三人がやられてしまった。ごろつきたちは雷次郎と雪秀が恐ろしく強いことを悟ったが、ここで退くわけにはいかない。
「雷次郎様。ここは私がやります」
「うん? どうしたんだ? やる気でも出たのか?」
「あなた様の手を煩わすほどではありませんから」
雷次郎は刀を納めて「じゃあ任せる」と近くの店の壁に背中を預ける。
ごろつきたち全員、その会話と行動に憤った。
「てめえ……舐めやがって……!」
「簀巻きにして海に沈めてやらあ!」
今度は四人同時に襲い掛かる。しかし訓練していない集団の拙い連携などたかが知れている。雪秀は落ち着いてごろつきの顎に拳を当てる。脳を揺らすように打ち込まれたそれは簡単に意識を刈った。
「ば、馬鹿な……!」
そのとき、ごろつきの一人が言ってはいけない言葉を口にする。
「こ、こんな背丈の『小さい』小僧に――」
「あ! 馬鹿! 言うな!」
雷次郎が慌てて止めるが、雪秀の耳に届いてしまったらしい。
雪秀は笑顔のまま、言ったごろつきの元に歩く。
「今、なんて言いました?」
「えっ? あ――」
「なんて言いやがったのかって――訊いてんですよ!」
雪秀は笑顔から真顔になってそのごろつきの腹に前蹴りをした。
身体がくの字になるが、まだ足りないのか、雪秀は後頭部を思いっきり殴りつける。
地面に倒れても、まだ怒りが収まらないのか、何度も身体を踏みつける。
「この! 屑が! 私を! なんて! 言ったのかって! 訊いてんだ! 答えろ屑が!」
「待て雪秀! 落ち着けって!」
雷次郎が羽交い絞めするが雪秀は蹴るのをやめない。それどころかますます威力が増す。
意識の無いごろつきをなおも蹴り続ける雪秀にその場にいる全員が恐怖した。
「さっさと答えろ屑が!」
「もう答えられないって! おい、お前らも手伝えって!」
「あ、ああ! おい、こいつなんとかするぞ!」
何故か雷次郎に協力することになったごろつきたち。
「放せ! この屑ぶっ殺してやる!」
「だからやめろ! 雪秀!」
◆◇◆◇
「すみませんでした……」
「いや、いいんだよ。気にするな」
あの後、雷次郎は仕方なく雪秀を気絶させて落ち着かせた。
その過程でごろつきたちも疲れ果てたのか「お、覚えていろよ……」とお決まりの台詞を力無く言ってどこかへ行ってしまった。
目覚めた雪秀を伴って雷次郎は江戸城へと歩いていた。流石にこのままではいけないと彼も思ったらしい。
「なんというか、私が気にしている背丈のことを言われると、なんというか、頭に血が上って、視界が暗くなって、自分でも抑えが効かないほど、怒りに支配されて……」
「……まあそういうこともあるわな」
そう言いつつ雷次郎は内心、こいつやばいなと思っていた。
江戸城に近づくと身なりのいい町人や武士の姿が見える。裕福だと一目で分かる者もいた。
その中に一人、目を引く者の姿があった。
「おい、雪秀。あいつ……」
雷次郎が指差す方向には江戸城へ必死に歩いている一人の娘がいた。
歳は十六か十七。着物はところどころ汚れていて、まるで雨風の日でも構わず歩き回っていたような格好。髪もぼさぼさで何日も風呂に入っていないみたいだった。
「物乞い……にしては着物が上物ですね」
「ああ。まるで武家の娘のようだ」
よろよろと歩いているその娘に近づく――が、その前に娘は倒れてしまう。
雷次郎と雪秀は慌てて近づく。
「大丈夫か? ……おい、しっかりしろ!」
娘の顔を見ると頬がこけていた。食事を満足に摂っていない顔だった。
「あ、う……」
「雪秀。とりあえず俺の屋敷に――」
雷次郎が言い終わる前に娘が言った。
「雨竜、秀晴、様……」
「……なんだと?」
「急いで、知らせないと……」
それだけを言って娘は気を失ってしまった。
「……どういうことでしょうか?」
雪秀が雷次郎に問うが、彼自身も分からなかった。
娘が口にしたのは、関八州を治める大大名、雨竜家当主の雨竜秀晴の名であり――日の本一の遊び人、雷次郎の父の名であった。
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