第一対決 VS 恋心 ―3
差し出された手を握り返さなかったのは確かに失礼かもしれなかったが、それくらいしておいた方がアドニスの好感度を上げずに済むだろうとの思いからのサレナのその行動だった。
それを見て、アネモネは信じられないものを見るような目を、カトレアさまは少し驚いたような顔を、ロッサはまたも小さな口笛と共に面白そうな目を、それぞれがサレナに向けてきていた。
「……ハハッ、そうだね。確かに挨拶をするなら、この場の全員にするべきだ。僕が少し先走り過ぎたな」
そして、握手を華麗にスルーされたアドニスは、それを怒るわけでもなく、爽やかな笑顔を維持しながらそう言った。流石の王子様ぶりであった。
「――さて、それじゃあ全員の素性もわかったところで、改めてこれが一体何の騒ぎだったのか、誰か教えてくれるかい?」
何だか微妙な雰囲気が漂いかけたのを吹き飛ばすように、ロッサがそう発言した。
「途中から入った俺にはどうも、怖~いカトレア先輩が可愛い新入生達を叱りつけていたように見えたんだけどね」
「人聞きの悪いこと言わないでちょうだい、ロッサ」
場を和ませるためなのかそんな冗談を口にするロッサを、カトレアさまはそっけなくあしらう。
「そうなのかい、カトレア?」
「……あなたも本気にしないでよ、アドニス」
それを聞いて半ば本気の口調でそう問いかけてくるアドニスに、カトレアさまは呆れたような溜息を吐く。
「――最初に、そこの二人がここで口論していたのよ。かなり大きな声だったから、目立っていたわ。で、それに気づいた私はその仲裁に入っただけ。その途中であなた達二人が入り込んできて、話がそこで止まってるの」
カトレアさまはそんな風に、全く簡潔に状況を説明してみせた。
そう、言われてみればそれだけなのである。
次々と人が乱入してくるのですっかり混乱してしまっていたが、サレナはそれでようやく"自分がどうすればいいのか"に気づいた。
「そうなのかい、アネモネ?」
まさか自分の従姉妹が口論とはいえ喧嘩の当事者であったことに驚いた様子で、アドニスはアネモネに視線を向けながら尋ねる。
「一体、何が原因で口論なんかに?」
「お、お兄様……それは……」
問われたアネモネはまったくばつの悪そうな顔で口を噤んでしまう。
考えてみれば一言注意することが目的であったとはいえ、自分が一方的に絡んでいった上につい熱くなって大声を出してしまいましたなんて、この状況で素直に自白することは中々出来ないだろう。
なので、ここはサレナがそれを肩代わりしてやることにした。
「あ~……実は、全部私のせいなんです」
片手を挙げながら、まったく緊張感のない声でサレナはそう告白した。
全員の驚いたような視線が一斉に向けられる中で、サレナはなおも動じることなく言葉を続ける。
「アネモネさんは、新入生代表挨拶の時の私の勝手な振る舞いを注意しにきてくれただけなんです。だけど、私がそれに真面目に取り合わなかったから、ちょっと怒らせちゃったみたいで。まあ、あんな挨拶をするような私ですから、ここでも何か失礼をしてしまったんだと思います」
サレナは大まかには事実を話しつつも、敢えて自分の方が悪いという印象を与えられるように意識してそう語った。
本当のところは、サレナは注意とはいえ一方的に絡まれた上に、それに対して何を反論したわけでもないのに向こうが勝手に熱くなって、謂われのない誹謗中傷や挑発まで受けるという、完全なる被害者である。
しかし、ここでそれを全部馬鹿正直に話して悲劇のヒロインになってしまうと、本来の食堂イベントと似たような結果に辿り着いてしまうような気がしていた。
だからこそ、ここは敢えて自分が泥をかぶる。
そうすることで、本来ならそれが起こり、このままでも起こりそうな結果――アドニスとの胸キュンロマンスの発生を回避する。
だから別に、それは"アネモネのために自分が悪者になろう"とかそういう殊勝な思いからの行動ではなかった。
あくまで冷静かつ合理的な判断に基づいたそれでしかない。
「皆さん、お騒がせしてしまって、すみませんでした。仲裁に入っていただいた先輩方も、ありがとうございます。ご迷惑をおかけしました」
サレナは素早く周囲へペコペコと小さく頭を下げると、最後にアネモネの方へと走り寄って、唖然とした様子で固まっている彼女の両手を握る。
「アネモネさんも、ごめんなさい。せっかく、まだこの学院の作法に慣れていない私に親切に注意しにきてくれたのに、私がまた何か不作法をしてしまったんだよね。それで怒らせてしまったのよね」
そうして真っ直ぐその目を見つめながら、ぐいぐいと詰め寄るようにして確認する。
「そうよね?」
最後にぎゅっと、痛くならない程度に両手を握ってやると、向こうもようやくその意図を汲んでくれる気になったらしい。
アネモネはほとんど仰け反って、顔中に何が何やらという疑問を浮かべながらも、とりあえず話を合わせて頷く。
「――えっ……ええ、ええ……そっ、そうでしたわね……確かにそうだったような気がしますわ……」
「そうよね! そうよね、ごめんなさい。私が悪かったわ。じゃあ、これで許してくれるかしら?」
「えっ、ええ……もちろん……こちらこそ熱くなり過ぎてしまってごめんなさい……」
「いいのよ、気にしないで。ありがとう。じゃあ、この話はそういうことで」
そう言い放つと同時にパッと両手と体を離し、サレナは先輩三人の方を向く。
「では、これでアネモネさんとは無事仲直りいたしました。お騒がせして本当に申し訳ありませんでした。でもまあ、そういうことですので。私はこれで昼食に戻らせていただきたいと思います」
一礼してそう言うと、あまりの流れの早さについて来れずに呆然とした様子の三人を残して、サレナはさっさと自分の席へと戻り始めた。
そう、サレナが自分で泥を被ることにした理由はそこにもあった。
こうして自分が悪者になりつつも素直かつ強引に和解を申し出てしまえば、真相の追求を避けたいアネモネはそれに乗らざるをえない。
そして、そうすれば、こんな風に素早く、一方的に事態を丸く収めてしまうことが出来る。
何せ原因はすでにサレナが話していた通りということになるし、その上で当事者同士が和解してしまったのだから、これ以上騒ぎを大きくし、場を混沌とさせようがない。事実の追求のしようもない。
というわけで、一件落着。この場はお開き。解散解散。
そうなって然るべきはずだ。まさに完璧な動きと言えるだろう。
カトレアさまからの印象は少し悪くなってしまったかもしれないが、この場はアドニスから一旦距離を置けるだけでもヨシとしよう。
サレナがそんなことを思いながら椅子に座ろうとした、その時だった。
「――サレナさん!」
いち早く流れに取り残された状態から回復したらしいアドニスが、サレナに向かって声をかけてきた。
……この期に及んで何だというんだ……。
嫌々ながらも訝しげにサレナがその声に振り向くと、アドニスは何とも信じられないようなことを口走ってきた。
「もしランチをまだ食べ終えていないのであれば、良かったら僕らと一緒に食べないかい?」
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