30話 プリズンブレイク

「さあ、存分に感想を語り合おうではないか倉主よ」


 放課後、第二図書室にて、俺は本を読んでいる彼女に、呼吸を整えては声を掛けた。


 授業などサボって既に図書室で本でも読んでいるであろう倉主に、こうして授業が終わった瞬間駆け出して会いに来たのは、ようやっとついさっき、渡された文庫を読み終えたからだ。そうして感想を語り合い、お互いの考えを深く知る良い機会になるだろうと、息を切らして走っては、今に至る。


 ちなみに本日はカウンターではなく、規則正しく配置された埃被る長机に、俺と倉主は向かい合って座っていた。別に深い意味無いけれど、たまたま今日は彼女がそこに居たから、そうしただけ。しかしまあこうして向き合ってみると、身分の違いはあれど、改めて生徒と生徒という立場をはっきりと自覚出来たりもした。


 のだけども、彼女はこちらに目を向けることもなく、


「残念。私それ読んでないんで、感想も何もないんですよねー」


「マジか」


 笑みを溢しながらであっけらかんと告げ、俺の今日一日の努力を水疱に帰したのである。見れば倉主は、既に別の作者の小説を読んでいたようで、それが『幸福な王子』という陽気なタイトルだったもんだから、もうキレそう。


 そんな俺の絶妙な表情が文庫越しに見えたのか、倉主は『やれやれ仕方がない人ですね』と息を吐いた。彼女はやや諦めたような顔をして、栞も挟む事なく本を閉じ、机の上に置くとようやく目線が交わされる。


「あははー、そんなしょげた顔をしないで下さいよー」


 相変わらず胸がドキるような顔立ちに、先程まで抱いていた暗い感情などはすぐにでも吹き飛ばされてしまった。


「では、そうですね……読書を通じて、先輩はどういう影響を受けたのでしょうか」


 そうして彼女は、長年暖めていた思いを口にするように徐に言う。俺は、え、何その前期試験みたいな質問──と一瞬、そしてそれは、ある種の直感だったと後に理解した。


「倉主ちゃんは、この本を読んでないだろ? それを聞いて意味あんの?」


「もちろんですよー。私は先輩の考えが知りたいので。物語についてではなく──本を読むという行為が、貴方に何を与えたのかを知りたいのです」


 なるほど、これはまさに試験であり面接であり、彼女は俺の人柄を評価しようとしているのだろうと。これを聞きたかったが為に、俺に本を手渡したのだと。出題者の意図を推察し、どんな答えを求めているのか、考えさせられて、試されている。全く一体何様、どちら様目線なんですかとの文句を飲み込んで、そういえば目の前の少女は超が付く程の金持ちの生まれだと思い出し、確かに資本主義に当て嵌めるならコイツは俺よりずっと上の人間なんだなと納得してしまった。


 だけどもここ、日本は民主主義である。一般人の底力を思い知らせてやらねばならんぜ。


「先輩は何を思いましたか? どういう影響を受けたんですか?」


 彼女はどんな答えを求めているのか。今までの会話を振り返り──考えを素直に話す事にした。きっとそれが一番、彼女の望んでいる答えに違いないと思ったから。


「うーん……多分これから人生全てに、影響を与えたと思うよ」


「その心は?」


 倉主は少しだけ目を見開く。


「勉強と同じでいつ役に立つかは知らんが、読み取った文字は吸収されて知識になった。恐らく今後、何かを判断する時や会話で思い浮かべる事があるかもしれない。だから影響というなら、きっとこれからの全てなんだろうと思う」


「ですね。私もそう思います」


 彼女は同意して『しかし』、と続けた。


「それって怖くありませんか? 自分のこれからが、全て借り物になってしまったような気がしませんか? これから何かに熱中する時や心が動く時、登場人物の行動を無意識に模倣しているのではと。自分の思考は誰かの意見で、自分の人生も情熱も引用になっていないかと不安になりませんか? 本当の自分は……どこにあるのでしょう」


 なるほど、倉主が本当に聞きたかったのはこの質問なんだろうと、そう思った。


「自分が誰でも良いじゃねえか。何者にでもなれるってことは、人間の素晴らしい部分でもあるんだぜ。それに元々、本当の自分なんてのは何処にも存在してないんだ。取り繕って語る言葉も、嘘偽りも何もかもが自分自身から飛び出したもんだろう?」


「であれば先輩は、例えば目の前にいるこの私が、今語っている言葉も取り繕われていて、誰かの思考で、引用だとして、何もかもが嘘で偽りかもしれないのに、どうしてそんな私を──他人を、真っ直ぐに見ることが出来るのでしょうか」


 俺はこの時、初めて倉主が年相応の少女に見えていた。幼くて少し賢くて、クソガキらしく世間に対して怯えている、震えている少女の姿が、彼女の年齢不相応な表情に重なって、それはとてもしっくり嵌っていた。


「さあな」


 まるで籠の中の、小鳥。年齢の割には賢く育ってしまった子供。


「でもだからこそ、俺は今見えているものを、今聞こえた言葉だけを信じることにしてる。思い込みに近いかもしれないが、そんなことはどうだって良い。本心なんてのは結局考慮すべきことの外側。見えない聞こえないもんは放っておけよ。今、自分が感じている世界だけが全て、それで良いじゃねえか」


 だからこそ俺は外見を重視し、美少女を愛する、とは言わないでおこう。


 倉主は小さく吐息。皺一つない眉間に皺を寄せて口をつぐむと、ただ呆然と頷いては、長机に視線を落としていた。理解出来ないし納得もいかないと、そんな複雑な表情はやはり年相応のガキンチョらしいもので──可愛らしいと素直に思う。と同時に金持ちを黙らせてやったぜという幸福感は、ひた隠しにしておいた。


 そうして机の下で小さくガッツポーズをして、軽く爽やかスマイルで、いじける倉主に語り掛ける。


「どうだ? おっぱいを触らせる気になったか?」


「……はい? なんですか?」


「どうだ? おっぱいを触らせる気になったか?」


「せっかく聞こえないふりをしていたのに台無しですねー」


「いや真面目な話って疲れるじゃん。ここらでちょっと空気をブレイクしようと」


「通報して先輩をプリズンに入れても良いんですけどねー」


「はっははは。こやつ面白いことを──ちょ、やめて、スマホを取り出さないで」

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