28話 これはもう完全に脈ありの確信

「それで折上先輩、何しにここへ?」


「え」


 不毛な議論に幾つか花を咲かせたところ、倉主から飛び出した疑問符に、一瞬硬直してしまう。


 放課後、文学少女と二人きりで図書室にて向かい合うという状況。


 とびきりのシチュエーションとはいえ、本来の目的というやつがあるのだから、素直に舞い上がる事も出来なかった。加えて倉主は、一般的な文学少女よりも話したがりで、陽気で、自由で──巨乳の美少女、いや美女という方がしっくりくるような、少女。


 それでいて、彼女は相当疑り深いらしい。


「まさか本当に、懐かしんでなんて理由、じゃあないですよねー?」


 年不相応に妖艶な微笑みを浮かべると、値踏みするような視線を向けられてしまう。倉主が一体何故そんな事を聞くのか、何を知っているのか。そんな様々な困惑が脳内を飛び交っていたけど、


「……え? 本当に懐かしかったからだけど? 他にどうしてここに来るのさ」


 ひとまずは誤魔化す。こういう場合はこれが鉄則だと経験があるからだ。


「私がここで本を読んでいるのは、入って来た時気が付いたでしょー。どう思いましたか?」


「おっぱいがデカくて太腿が綺麗な美少女がいるから出来ればお近づきになりたいなー、としか思ってなかった」


「なるほど」


 と、顔を近付けられてはまたじいっと覗き込まれて、いやなるほどってなんだよ。


 倉主は暫く唸り考え込む仕草の後、渋々といった顔をしていたと思う。


「……すみませーん。実はちょっと疑ってたんですよねー。ほら、私っておっぱいがデカくて太腿が綺麗な美少女で、しかも親が超の付くお金持ちなので、擦り寄ってくる人って超多いんですよ。金が目的か、それとも体か顔か、どっちにしてもいい迷惑でねー」


 あ、ごめんなさい俺もそうです。


「その点先輩はただのセクハラ野郎だと知れたので、安心しましたー」


「お前はお前で失礼だけどな」


「いやいや、結構大変なんですよこれでも。親の付き合いでパーティーに出れば、胸と顔と体と金しか見られてないし、学校ではほぼ顔と胸と時々お金、しか見られてないわけですから。この苦労、分かっていただけますー?」


「知らん」


「あは、ですよねー」


 親の付き合いでパーティー、という言葉をまさか同級生から聞く事になろうとは。住む世界の違いを見せつけられているようである。けれど、すまん。俺も胸と顔しか見てなかった。


 何なら寧ろ今も見てる。


「財力に重点を置くならまだしも、顔とか体とか、そんなもののどこか良いんでしょうかねー。現代の技術なら幾らでも変えようがあるものを。見た目なんて薄皮一枚剥いだら終わるものに、どうしてそこまでこだわるのか、男性の意見をお聞かせ願えます?」


「中身だって環境とかですぐ変化するんじゃないか? きっかけ一つで優しくなったり暗くなったりするし。それだったら手を加えない限り変わることのない外見を愛するぞ俺は」


 俺が言うと、倉主は小さく鼻を鳴らしたかと思えば、次の瞬間には声を上げて笑っていた。それは静かな図書室、二人きりの空間にとてもよく響いていて──しかし、俺にはどうにも共感出来ず。


「ふふふっ……それってどんなに酷い事言ってるか、自覚あります?」


「うーん、うん? うん」


 結局分からないままで、返事は曖昧なままで返してしまった。


「まあまあ。それにしても先輩は、どういう本が好きなんですか? ここへは良く来ていたんでしょー?」


 逸らされた事が理解出来るくらい思いっきり話を逸らされて、しかし、彼女が口にしたのは、ここへ来た本当の目的を誤魔化す為にも避けられない話題だった。


 実を言うと、本は別に好きじゃない。


 他人の考えを押し付けられて、考えさせられることまで強要されているようで、どちらかと言えば嫌いである。別にそれが悪いこととは言わないが、実際ストーリーが面白い話もあるけれど、何だか自分の感性を侵されているようで、何となく嫌悪感があったのだ。


「とりあえず流行ってるもんは読むって感じだけど、敢えて好きなものを上げるなら……コンビニで売ってる都市伝説とか芸能界の暴露本とかかな」


「えー、よく図書室通ってましたねそれ」


 予想に反していたのだろう、倉主はいじけたように口先を尖らせる。が、その表情はどこか楽しんでいる、ようにも思えた。しかしあまりに僅かな変化、薄ら笑いが見て取れただけ。この微妙な機微をどう掌握していくかが、今回のポイントになるだろう。


「倉主ちゃんはああいうの嫌いなん?」


「嫌いというか、読むに耐えないって感じです。あー別に馬鹿にしてるわけじゃあないですよ?」


「じゃあ」


 そこで『どういう本が好きか』と聞こうとして、カウンターに置かれた、先程まで読んでいたであろう文庫に目をやる。


「……『悲しみよこんにちは』、フランソワーズ・サガン。意外だな。まさか恋愛小説がお好みとは」


 海外小説の翻訳本。改めて確認すると、著者の名前には見覚えがあった。確か一昔前に流行った恋愛作家だった、気がする。


「意外、ですか? というより先輩がこの本を知ってる事の方が意外です」


「流行りもんは一応チェックしてるって言ったろ? まあ読んだ事はねえけど」


「あははー、60年代の流行を『流行りもん』と言う先輩に、私は驚きを隠せませんねー」


「昔好きだった女の子が無茶苦茶読書家でな。そりゃあもう血眼になって勉強したんだ。まあフラれたんだけど」


「努力の方向を間違えてたんじゃないですかー? その女の子は話を合わせるよりももっと内面に寄り添って欲しかった、とか」


 衝撃の事実、いや確かにあの子は俺がいくら好きそうな本の話題を振っても、どこか上の空で聞いていたような。その他にも本を贈ったり本を貸したり、思い切って小説を書いてプレゼントしてみたり──あれ、俺あの子に本の話しかしてねえ。もしかしてアレか? 倉主ちゃんの言うように他に抱えてる問題があったとか、悩みとか苦悩とか煩悩とかあったんじゃないか? もっと積極的に詰めるべきだったんじゃないか? 本なんか蹴散らして押しまくれば付き合えたんじゃないか? ガッと行ってチュッてやってハーン出来たんじゃないか?


 そう色々錯綜して、遂にはある解決策に辿り着く。


「ちょっとタイムマシーンを探してくる」


「いや知りませんけどね。適当に言ったんで」


「貴様ァ……まあいい。改めて聞くけど、倉主ちゃんは恋愛小説を良く読むの?」


「いいえ?」


「貴様ァ」


「恋愛小説ってどうにも感情移入出来なくてー。だって私にとっての恋愛は、欲望を向けられるだけの、それこそ哲学者が語るような神聖さなどは皆無で、正直忌み嫌うものでした」


 倉主は文庫本を手に取って表紙を見つめると、内容に思いを馳せたのか微笑みを浮かべる。


「しかしたまたまです。たまたま手に取って、読んでみたらあらびっくり。面白いじゃあありませんか。そんな体験を私はここで、この数日間ずっと味わっていた。実に得難い経験を」


 そうして緩んでいた頬が、一瞬の内に表情を消していく。


 その変化にはもしかしたら、怒りや悲しみなどが含まれている、とも思ったけど、関係の浅さやそもそもの起伏が薄いせいで判断は付かなかった。


 ただ、何かに失望しているような、そんな雰囲気は感じられる。


「しかし、ここにある書籍はすぐにでも寄贈されるか廃棄されてしまうそうです。機会さえ失われて、誰の目に止まる事もなく、手に取られる事のないまま、終わってしまう。作者が命を燃やして伝えようとしたことさえ、どれもこれも」


 背表紙を愛おしそうに指先でなぞって、触れていた。


「この本もそう。行き先は分からないけれどここ以外であれば、私は、もしかしたら出会わないままだったかも」


 倉主は立ち上がり、文庫を元の棚に差し戻す。それから隣の、同じ作者の本を手に取っていた。


「そしてもし出会わなくても、ここがなくなっても、きっと私はすぐに変わりを見つけるでしょうね。それは新しい図書館か、書店か、はたまた違う趣味になるのか。そうやっていずれこの場所も忘れて、忘れた事さえも忘れてしまう」


 どうして俺が彼女と相容れないと、第一に直感した理由を理解する。振り向いた倉主が流していた、一筋の涙で。


 静かに、声を上げる事もなく、本棚の隙間から差し込む夕陽に照らされ、ただ一つ光る雫で。


「だから私は、この場所を守りたい」


 こういう涙を流せるから、俺は多分この子と違うのだろうと。


「そうかよ。でもさ、ここって来週には閉鎖しちまうんだろ?」


「……ええ。断固拒否していますけど、ね。先輩はここの閉鎖に賛成ですか?」


「賛成、てかもう決まった事だろ」


「ですかねー」


 思い出の場所が、時と共に失われるだけ。何万冊も刷られた一冊が廃棄されるだけだろうと、そんな風に彼女の話を聞きながら思ってしまった俺は、多分そういう部分で、合わないのだ。


 そして倉主は、自分が涙を流している事さえも気付いていない、そんな風にも見える程、表情には変化がないままで言う。


「ところで先輩、最初の会話を覚えていますか?」


 元々涙など流していないとも取れる程、その声は明確なものだった。


「おっぱいがどうとか?」


「あははー、違います。管理者を誰が管理するかという問題ですよ全く先輩は本当に空気が読めませんねー。でも、そんな先輩だからこその頼みがありまして」


 やたら早口で歳上を貶しながらも彼女は微笑み、手の甲で軽く拭うと、一冊の本をこちらに差し出した。


「曰く『男女間の友情は不可能だ。情熱と敵意と崇拝と愛はあるが、友情はない』と。しかし私はまだ、この関係に具体的な名前を付けたくありません。壊したくないし、密接したいわけでもない。それほどに私は貴方を知らない」


「おう」


「ですがほんの少しだけ、ちょっぴり先輩に興味が沸いています」


 全然分からんがとりあえず頷いて、本を受け取っておく。


「そこで、セクハラお馬鹿超人である先輩に、情熱と敵意を込めまして、この場所を管理する私を、管理する人になってほしいのです。端的に言えば、『この場所を閉鎖したくない』というワガママを私が言うので、先輩はそれに反論して欲しいのです。納得させて欲しいんです」


 と、倉主からまさかの、願ってもない言葉。


 だが、


「……どうして、俺がそんなことをしなきゃならん」


 ここは一応、シラを切っておくか。先生に頼まれたからだと知られても後々面倒になりそうだし。


「そうですねー、ではもしも、私を説得出来たら──胸を触っても良いですよ、と言ったら?」


「え、ああ……うん、まあ、分かった。学校側も困るだろうし、うん、あの、その、まあやってもい、いいかなー、全然おっぱいとか興味ないけどね」


 お前が俺を舐めているということだけはな。そんな約束をしたこと、必ず後悔させてやる。


「あは、よろしくお願いしますね管理人さん?」


「それで何回触って良いの?」


 そして今日は『もう遅いから』と、彼女はそれきり言葉を発することもなく、例えようのない感情を抱えたままの俺を置き去りにすると、何処までも優雅に、図書室を後にしたのだった。


 倉主のエロい腰遣いを見送りながら、俺は残り僅かで、貴重な1日が終了したのだと実感する。何を達成出来たのか、何が達成出来なかったのかも知らないまま──脳内では彼女の仕草や言葉が未だ繰り返されていて、しかし孤独な図書室で流れる静寂が耳にこびり付く。この対比が、酷く寂しいものに感じられたのは、


 きっと、俺が倉主を、

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