第50話 イリス
作業台に向かい、とある魔道具の製作に取り掛かる。なにぶん作ろうと思っているものは非常に複雑なものなので設計図を描いていくのだが、とんでもない枚数になる。
サイリウムさんにゴーレムを作った時のことを思い出すが、その時とは難易度が段違いに違う。
今から作る魔道具が完成すれば大抵の物を手間をかけずに作ることができるようになる。
とりあえず、魔道具の設計図を書き上げた。おそらく一発ではうまくいかないだろうが、なんとか完成させられるだろう。
ただ、ずっとここにいられるわけではないため前世で作った拡張空間の結界魔道具を制作した。
この魔道具は設定すれば空間の広さを上限20倍まで広げることができる。この部屋一つをこの屋敷全体を覆うほどの広さに変えることもできる。
それでいて外から見てもただの部屋のままだから便利で仕方がない。収納の魔道具の応用で作るものなのでそこまで難しくはない。
手のひら大の円盤形の魔石に魔法陣を描き、「ルーム」と唱えると、移動可能な部屋の完成だ。
そこに棚や作業台、回転砥石などの工作機械を設置して「ルーム」を閉じた。
ミヤさんが作業部屋のすぐ外に立っていたのを感じたのだ。
「フェルディナント様、失礼いたします。」
ミヤさんはいつもと変わらないメイド服をきっちり着こなし、背筋をピンと伸ばして中に入ってきた。
「イリス様が目を覚まされました。大変心配されていたようなのでご報告に参りました。」
「ミヤさん、ありがとうございます。あの後大変だったでしょう?後は俺がやっておきますから休んでください。」
「いえ、それには及びません。メイドたるもの、主人に働かせて自分が休むなどあってはならないことですから。」
「そうですか。でも、しっかりと休養はとってくださいね?」
「かしこまりました。」
ミヤさんは一礼して作業部屋から出て行った。…父が帰ってきたらメイドたちに週に1日でいいから休日を作ってもらうように頼もう。
日記にメモして、イリスのいる部屋に向かった。イリスの部屋には俺が作った異物除去の魔道具と加湿の魔道具、治癒の魔道具が設置してある。
彼女の弱った体を考えて、今俺にできる最大限の配慮だったのだが、ミヤさんと母にはどこからこんなものを持ってきたのかと詰問された。
その場は疲れたからということで部屋に避難したのだが、その次の日にしつこく聞かれてしまい、根負けして町で買ってきたととっさに嘘をついた。
現在イリスの部屋は実質、無菌室になっており彼女の低下した免疫力でも問題なく生活できるだろう。
「イリスさん、体の調子はどうですか?」
美しい桃色の髪の女性は、寝ていた体を上半身だけ起こしてこちらを向いた。
「おかげさまで、普通の生活くらいならなんとかなりそうです。」
イリスは何でもなさそうに笑った。
「一つ聞いてもいいですか?」
「何でしょう?」
俺はどうしても彼女に聞いておきたかったことをそのままストレートに聞いた。
「あの時、助けてくれてありがとうございました。…なんであの時俺を庇ってくれたんですか?」
彼女は首を傾げて考える素振りをした。
「何ででしょうか…。あなたが私にとっての英雄だと思ったからですかね?」
「英雄?」
「はい。私と初めて会った時のことを覚えていますか?」
「たしか男に襲われてましたよね?」
「はい、あの時私は冒険者として生きていくのに絶望すら感じていたと思います。恥ずかしいですけど、冒険者になったら、誰もが英雄になれると思ってました。でも、実際はそんなに甘い世界じゃなかった。それに、初めてパーティーを組んだ人たちにも襲われた。絶望を感じるのにこれほど十分な理由はないでしょう?」
俺は言葉は出さずに首肯した。
「そして、もう死を覚悟した時に、御伽噺に出てくる英雄そっくりの人が私を助けてくれたんです。御伽噺と同じようにどこか人見知りみたいで、でも優しさに溢れた人でした。」
少し聞いているこちらもむず痒くなってしまう話しだったが、彼女も真面目に話しているので真剣に聞く。
「その日から、私はもっと強くなろうとしました。私が憧れる、私の英雄の隣に追いつけるようになりたかったんです。」
「でも、強くなろうと思って鍛え始めてすぐに、この前の魔物の暴走が起きました。私は後から来ましたが、その時にはすでに私の英雄が強力な魔物を一人で倒していました。あなたはそのあと一息つくでもなくすぐに魔物の群れに一人で突撃していき、他の冒険者の負担を減らしていました。」
「私も負けていられないと剣を振るい、魔法を放ち、戦いました。その中で視界の端に映るあなたにどれだけ勇気づけられたことか。終いには敵が残りの力を全て使った攻撃から町を守った。」
「そのあと魔力を使い切ってしまい、倒れていくあなたに何かが飛んでいくのが見えたんです。その時私は思ったんです。今この場で何もせずあなたを死なせてしまったら、これからずっと死ぬまで後悔すると。」
彼女は笑って俺を見る。
「そう思った時。いえ、思うよりも先に体が動いてました。私の中では、あなたを死から救うことができた。これだけで十分です。」
長い話を終えて、彼女はそのまま上半身を倒してしまった。傷ついた肺でこんなに長く話してくれたのだ。相当疲れただろう。
「すいません、キツイだろうに長々と話させちゃって。まだ俺の中で整理がついてないのでなんて言えばいいのかわからないです。」
嘘だ。本当はバッチリと整理できている。彼女は自分で言うのも何だが、好意を俺に持っているのだろう。その好意が恋愛感情のものではなく人々が勇者や賢王に対して向けるものであることも。
たた、それを分かって何かできることは今の俺にはない。なら、気づかないふりをした方がお互いに良いと思った。
「俺はイリスさんに恩返しをしたい。俺にできることなら何でもするんで遠慮なく言ってください。」
「本当に何でもいいんですか?」
「俺に出来ることであれば、何でも。」
「じゃあ早速…。私をあなたのパートナーにしてくれませんか?」
「もしかしたら危険な目に遭うかもしれませんよ?」
「大丈夫です。体が治れば自分の身くらい自分で守れますし、もしダメでも頼りになる相棒がいますしね。」
…彼女はもう少し俺に対する認識を改めたほうがいいと思う。
「分かりました。でも、一つだけ約束してください。」
「なんですか?」
「絶対に死なないでください。何があっても。」
「もちろんです。あなたがいいというまで死にません!」
彼女は少し不安にさせる言い方で約束する。
「でー、あの、すごく聞きにくいんですけど…。」
「なんでしょう?」
「名前、聞いてもいいですか?」
「え!?あ~、そうか。」
そういえば俺は彼女に名前を教えていなかったことを思い出す。こっちが名前を知っていたせいで失念していた。
「俺の名前はフェルディナント・ヘルグリーン。これからよろしくね、イリス。」
「はい、よろしくお願いします!」
そして俺たちは強く握手したのだった。
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