第3章3話 風呂場の思索
1階に降りて右側の廊下を歩き、突き当たりの右手が大浴場。
ピトスの案内を反芻しながら辿り着いた更衣室は、やはりホテルのように大きい。服を脱ぐには少し落ち着かないが、風呂場への期待は高まる。
案内と一緒に渡されたバスローブをカゴに入れ、タオルを持って風呂場へ向かう。どう考えてもホテルのスタイル。曲がりなりにも人の住む家のお風呂とは思えない。
「とまれかくまれ。——オープン!」
未だ冷めやらない興奮のまま、勢いよく引き戸を開ける。
浴場は、ただでさえ広い俺の個室が4つ入るほどの面積があり、床に埋め込まれる形で大きな円形の浴槽が備え付けられている。
「ここは飛び込むまでがお約束……っ!」
浴槽に向かって駆け出し、盛大に水飛沫を上げながら勢いよくお湯に飛び込む。
「ごぼごぼごぼーっと」
ここにきてようやく、まともにお風呂を堪能する余裕ができ、未だにおかしなテンションが抜けていなかったことを自覚する。人は疲弊すると無自覚にどこかがおかしくなるのだろうか。
「恐ろしいな……」
益体もないことを考えながらも、昨日からの出来事を思い返してみる。
「頻繁に通り魔に襲われるようになったと思えば友人がおかしなことを言い出して……」
ここから既におかしいな……
「気がついたら平原に居て、狼みたいでそうじゃない怪物に襲われて……」
「自分が《調停者》だなんて言われて、いきなり足が速くなった」
「なんとか逃げ切ったら野宿をすることになって、魔術なんてもにも目の当たりにした」
両親の死も受け入れられるようになってきて、ようやくまた普通の生活を取り戻した。そんな気になっていたその矢先。訳の分からないモノを目の当たりにした。目を逸して、自分は関係ないんだと、日常に縋り付くことさえできないほどにまざまざと。
「元の世界に帰ってみれば、惨殺死体を目の当たりにした。それから起こった不思議な現象も」
「その後……」
「——その後、みんな……桑原さんも、祐希も、そして俺も、殺された」
絶対に忘れてはならない。俺はもう、その領域に自分から足を踏み入れたのだ。いつだって死と隣り合わせなのだと。常に覚悟と後悔を背負って生きなくてはならない。
「それに……《死に戻り》までしちゃったんだから、後戻りはできないよな……」
「そして——俺はシュヴェールト・カルテスを殺した」
はっきりと、口にする。また一つの、戒めとして。後戻りはしてはならないのだと、幾重にも。
「その後、潮崎に試練を課された」
俺はまた、夢の中とはいえ1度、いや、もしかすると2度死んでいる。
自分の生存能力の低さと方向を間違ったしぶとさにはうんざりする。
「このままじゃ、やってけないよなぁ……」
昨日からの2日間で、《調停者》として生きていくことの危険性は文字通り死ぬほど思い知らされた。
人間には本能と呼べるものがほとんど存在しない。他の動物とは違い、生まれつき出来ることなど何もないのだ。
生まれ持った武器も無く、生身では肉食獣には勝ち得ない。まして人間でありながら人間を辞めた連中が相手では、常人に生き延びる術など残されない。
あれほどの技量を持った祐希が前を進んでようやく、俺の前には未舗装の獣道が拓かれた。
これからは自らの手で茨を掻き分けなくてはならない。
「明日、祐希にコーチ依頼するかな……」
そう決意して、ようやく長い思索の海から浮上する。
そうして現実世界に意識のベクトルを合わせ、まず最初に気がついたことは……
「やっべ体洗うの忘れてた」
くっだらないオチつけないと生きてけないのか俺は。
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