第7話 本当の意味での父親とは



昔の父は強かった。

私も時代劇や明治期のドラマを見て、そんなイメージがありました。

ですが、河合隼雄氏の著書と出会って、全く変わりました。


父親という場合、2つに分けて考えた方がわかりやすい、と河合氏。

「厳しさ」これは個人というものを守る、いわば「個」というものを大事にするという面も含まれている。

日本の言う個とは少し違います。

いや、全く違っていると思った方がいいかもしれません。

このところが西洋の個を勘違いしているのでしょう。


母親と比較するとわかりやすい。

母親というのは、温かく、やさしいから、全部を包み込んでしまいます。

「みんな、一緒にやりましょう」という「みんな」という考え方が入るわけです。


あ、母親といっても生きている母親ではないですよ。

イメージの母親です。

父親もイメージですよ。

人間、両方のタイプを一人が持っているわけで、そのバランスを保って個を充実させていると思います。

何かを決断するときには父親的な強さなどです。


さて、以前に運動会でみんな一緒にゴールなんてありましたね。

私は違和感バリバリだったのですが、これが母親的な考えと思っていただければいいと思います。

吐き気がするくらい、私には気持ち悪いです。


父親的な「個」の厳しさは「これとこれは違う」とはっきりと分けれるところです。

ここで昔の父親は強かったというのは完全な嘘です。

本当に強かったのならば、戦争に反対するべきだったのです。

反対もできないで戦争に行って死んだのです。

それは弱かったからです。

ただ命令されれば、死に物狂いで向かって行く。

命令に反対する強さは持っていないのですよ。


日本人は個人で戦う強さは持っていない。

みんな一緒にやりましょうという考えの国です。

どちらがいいとか悪いとかではないのです。

そういうものなんですよ。

ただ、国際化の波で、日本も西洋的な本当の個の考えが入ってきています。

そんな中で苦しんでいる時代なのでしょう。

自分なりの答えを出さなくてはいけませんから。

それがわからないし、言葉にできないから無意識に妙な行動になったり、凶悪な事件が起きているのかもしれません。


両方ともが必要なのだと思います。

西洋も禅など東洋的思想に惹かれるのは、個を重視し過ぎて母親的な考えを求めているからでしょうね。


キリスト教を考えるとわかります。

父と子と精霊の下において・・・とかなんとか、間違っていたらごめんなさい。

母と子じゃないでしょう。

父、神なんですよ。

そして、神と人間が分かれる。

ここには絶対的な線引きがあるのです。

まぁ、マリア信仰なんかの補正的なものも出て来てバランスを取っているようですが。

どちらかに振れると怖いのです。


さて、日本はどうでしょうか?

八百万の神のようにいっぱい神様がいます。

そして人と距離が近いでしょう。

そういう文化なのです。


何がいいたいのか。

日本人は本当の意味で個を鍛えないとダメだということですね。

ただ、西洋的な個とは違ったものを身につけないと、アメリカ化し過ぎても困ります。

その答えはそれぞれ違うでしょうが、自分の信じる宗教というか信念をもつことが必要なのでしょうね。


ちなみに私は禅の考えと自然に畏敬の念を抱いておりますよ。

自力本願です。

そして、宮本武蔵の言葉をたまに思い出します。

『神仏は貴し、神仏を頼らず』と。

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