婚約破棄された侯爵令嬢は、元婚約者の側妃にされる前に悪役令嬢ファンのイケメン転生者に隣国へ連れ去られます

葵 遥菜

第1話 婚約破棄と約束

「そなたとの婚約は今日をもって破棄する!」


高らかにそう宣言したこの方は、この国の王太子殿下であるイーサン様。どうやら、私は今日をもって婚約破棄されてしまうようです。


◆◆◆


私はイーサン殿下のことを心からお慕いしていました。

侯爵令嬢である私、アナベル・ハワードが彼の婚約者として内定した6歳の時、初めてお会いした同い年の金色のくるくるした巻き毛に青色の瞳をしたイーサン殿下は女の子のように可愛かったことをよく覚えています。


そんな殿下に、『アナベルと婚約できたことをとても嬉しくて思っている』とはにかんだ笑顔で言われたとき、こんな素敵な方と婚約できるなんて私は幸せ者だと思いました。

今ではわかります。私は殿下のその笑顔に一目惚れをしたのです。


それから毎日王宮へ通い、遊ぶことも我慢して厳しい王妃教育に一生懸命取り組み、今では立派な淑女に成長したと自負しております。

王立学園卒業と同時に国王として戴冠することが決まっている彼に相応しい王妃となれるようにと、その気持ちだけで辛い日々も乗り越えて参りました。


お互い勉学に忙しかったため、月に一回のペースで開かれる二人でのお茶会くらいでしか会う機会はなかったけれど、結婚したら夫婦としてお互いを思い合える穏やかな関係を築いていけるはずだと夢見ていました。


それが私の独りよがりの考えだと気が付いたのは、15歳の時。全ての王族と貴族が入学する王立学園に入学した後でした。


殿下は最初でさえ私に気を配って優しいお言葉をかけてくださっていましたが、だんだんそれがなくなり、それと共にご学友の令嬢と一緒にいる姿を多く拝見するようになりました。


ご令嬢のお名前はリリー・カートレット男爵令嬢。イーサン殿下が彼女といるところを何度も目にしましたが、殿下はとても柔らかく微笑んで、幸せそうな表情をされていました。心は大変痛みましたが、他でもないイーサン殿下が彼女を慕っていらっしゃるようでしたので、私が殿下と結婚した後、彼女が側妃として召し上げられるのだろうと覚悟を決め始めていました。


それはイーサン殿下とリリー様が仲睦まじく過ごしていると学園中に噂が広まった頃でした。イーサン殿下の婚約者である私が気に食わなかったのでしょう、リリー様は一人でいる私を見つけてこう宣言していかれました。


「悪役令嬢、アナベル・ハワード!あなたにイーサン様は渡さないわ!」


‥‥と。言葉の意味はよくわかりませんでしたが、恐らく私はおふたりの恋路を邪魔する悪役として彼女に認識されてしまったのでしょう。


おふたりの恋路を邪魔をするつもりはありませんでしたが‥‥彼女は愛する人に自分以外の妻がいることが耐えられないのかもしれません。


そうですね。二人がお互いを愛しているのなら私の存在は邪魔でしかないでしょう。


しかし、彼女は男爵令嬢。イーサン殿下とは身分的につり合いがとれませんし、彼女はカートレット男爵の婚外子にあたり、最近まで平民として暮らしていたこともあって、貴族令嬢としてのマナーや教養も側妃になるとしてもまだ到底足りません。


「リリー様を王妃に据えるにはどうしたらいいかしらね、エリオット?」


私には、幼い時に道端で行き倒れているところを助けてからずっと、忠実に仕えてくれている従者がいます。

短い金色の髪に青色の瞳。色彩はイーサン殿下と同じなのに、エリオットは背が高くて体格が良く、中性的なイーサン殿下に比べ、男性的な色気に溢れています。従者にしておくのが勿体ないほどの美貌を兼ね備えた、私が一番信頼している自慢の友人です。

困ったときはいつも彼に相談します。的確な助言をくれる私の一番の理解者なのです。


「そうですね。一つ、方法がございます。ただし、それをお教えする代わりに、私と約束をしてください。」


人差し指を立て、片目を瞑るエリオットの姿はとてもサマになっています。このようないたずらっ子のような表情は私の前でしかしないことを知っています。主人として信頼してもらえているようで嬉しく思っていることは秘密です。


「なぁに?エリオットが交換条件を提示するなんて珍しいわね?」


「はい。重要な局面と存じますので。」


「重要な局面?そうね、確かに私にとっては人生を左右する重要な局面よね‥‥。」


「‥‥。」


「わかったわ。どんな約束でも守るわ。言ってみて。」


にやりと口角を上げたエリオットは続けました。


「もし‥‥万が一、王太子殿下がアナベル様との『婚約を破棄する』とおっしゃったら、私と一緒に隣国ガルディニアへ逃げてください。」


「ふふ。面白い条件ね。イーサン殿下が『婚約を破棄する』と言ったらエリオットと隣国へ逃げればいいのね。わかったわ。もしそんなことになったらこの国にいても修道院に入るくらいしか道はなくなりそうですものね。もしもの選択肢としてはとても理想的だと思うわ。約束する。」


「ありがとうございます。そのお言葉、お忘れなきように。」


「ええ。二言はなくてよ。私を心配してくれているのよね。エリオット、いつもありがとう。」


◆◆◆


アナベルはにこりと笑ってなんでもないように従者を労う。


こうしていち従者に対しても決して尊大な態度を取らない清廉さがアナベルの一番の魅力だとエリオットは思っている。


「それで?リリー様を王妃にする方法を教えてくれるのよね?」


「はい。簡単ですよ。彼女が聖女になれば良いのです。聖女に認定されれば例え平民でも王太子殿下と結婚できるでしょう。」


「それはそうでしょうけど‥‥聖女は意図的に認定を操作できる存在ではないわ。本人に素質がないと無理でしょう?」


「はい。でも、大丈夫ですよ。彼女は間違いなく聖女に認定されるはずですから。」


「彼女は聖女なの?」


「ええ、おそらく。」


◆◆◆


エリオットはなんでも知っています。なぜ知っているのか聞いても「勘」だと言い張っていつもはぐらかされてしまいます。

彼自身が優秀な間諜であるか、そういう人物と懇意にしているのかのどちらかだと私は予想しているのですが、正解を教えてもらえたことはありません。


でも、こういうときのエリオットの「勘」が外れたことはないので、確かな情報なのでしょう。私は心の痛みからは目を逸らし、静かにその時を待つことにしました。

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