第5話 議論、そして逆行
意気揚々と捜索に乗り出そうとしたのは良かったものの、正直言って手詰まり状態だ。
この捜索の目的はあの黒コート男を捕まえて遺物窃盗の疑いを晴らすこと…そこまではいいのだが、肝心の男の所在が分からない。
それにこんなにも広大な国だ。端から端まで見落としも抜け目もなく捜す…なんてことは到底出来ない。
それにもうじき日が暮れてしまう。あの男がたった一人で強奪しているとしたら、余りにもリスクが高すぎる、よって今回の犯行は恐らく組織ぐるみでの犯行だろう。ならば人目の付きにくい夜に行動するのは危険だ。
「今日はもう無理そうですね。本格的な捜索は明日からにしましょう」
それを聞くや否や、シルヴィアはユートの胸倉を掴まんとする勢いで迫ってくる。
「何だと!? 奴をこのまま泳がせておくって言うのか!? 馬鹿か君は!? このままあの男を放っておいたら犯罪行為はどんどんエスカレートして行くに決まってる! 遂には殺人なんてこともしだすかもしれないんだぞ!? 第一、あの男の仲間がいつここを襲撃してきても別におかしくないんだ、こんな状況でよくもぬけぬけとそんな悠長な事を言えたな!?」
シルヴィアはユートの体を掴むと前後に激しく揺らしながら鬼気迫る表情で反論する…なんだろうか、今日、この人に怒られてばかりいる気がする。実は僕の方が厄日な気がしてきた。
ユートは相当ご立腹なシルヴィアの腕を掴み返すと、こっちも語気を強めて言った。
「だからこそ夜の行動は危険なんです! あの男は恐らく…いや、確実に組織で動いています。そんな中、夜になって捜索なんてしたらどうなると思いますか!? そこまで分かっているならそれくらい分かるでしょう!? 危険な事はやめてください!」
ユートの珍しい反論に、シルヴィアは若干怯む。勢いそのままに少し見上げるような形でその深海色の瞳を睨み付ける。この際だ、このまま言ってしまおう。今はアガレスもいないし丁度いい、言いたいことをぶちまけてやる。
「今の
言い終えた後、ユートはゆっくりと彼女の腕を離した。言いたいことを一気にぶちまけたせいで疲れた。頭から血の気がスーッと引いていくのを感じる。
「だからどうか、分かってください……」
対するシルヴィアは硬直したまま何も言わない。……なんて気まずいんだ。
何とも気まずい数秒間が流れた後、シルヴィアが沈黙を破った。
「はぁ……。君のその強情さには参ったよ……分かった、今日はもうやめにしよう。その代わり、明日は本気で捜してもらうからな。覚悟しとけよ」
「分かってくれたんですか……?」
「だからそう言ってるだろ? まったく、一々確認を取らないと済まない性分なのか? 君は」
その時のシルヴィアは呆れるような口調だったが、素直に聞き入れてくれた所を見るに、内なる人間性の良さが透けているような気がする。……反論が怖いので口には出さないが。
「あ、ありがとうございます!」
「別に礼を言われるようなことはしていないが」
何故かその時は、彼女に意見を通して、考えを汲み取ってもらえた事が、堪らなく嬉しかった。
「貴女に聞き入れてもらった、それで片付けさせてください」
ユートが真っ直ぐにシルヴィアを見つめ、思いを口にすると、彼女はフッと吹き出した。
「本当におかしな奴だな、君は」
その時ユートはシルヴィアの笑顔を始めて見た。その顔に違わぬ、綺麗な笑顔だった。人前では絶対に笑わないような人だと勝手に位置付けていたこともあるが、不意に笑みを見せられたので、かなりの驚きだった。どうやら笑顔を見せてもいいぐらいには、関係は良くなれたようだった。
報告を終えたらしいアガレスが戻ってきた。何やらぐったりと疲れ切った顔をしていて、その精悍な横顔には汗まで伝っている。事態が事態な為、アガレスは報告とは言いながらも相当な暴言を吐いていたような……帝国の報告担当官も、相当ピリピリしていたのかもしれないが
「まったく。忙しいのはこちらの方だ……若造が」
「アンタも大変そうだねぇ。出来れば肩代わりくらいはしてやりたいがそっちは立場上の問題らしいしなぁ。しかもこっちも任務があるので手助け出来ないなぁ、残念だなぁ」
大して残念そうでもなさそうに、寧ろアガレスを嗤うかのように、この性悪女は向けられた確かな殺意すら感じる視線も気にせずに言ってのける。頼むからこれ以上、精神状態の不安定なアガレスを煽るのはやめて欲しい。彼の怒りはもう臨界に達していて、いつ"プッツン"してもおかしくはない。アガレスの堪忍袋の緒が音を立てて切れないことを、ユートは切に願っていた。
* * * * *
翌朝、冷え切った部屋の中でユートは目を覚ました。あの後ユートたちは大使館内の客室を借りて睡眠をとった。思い返せば、女性と同じ部屋で眠ったのは初めてかもしれない。昨晩、部屋の暖房設備を起動しようとしたものの、どうも暖房はうまく作動してくれず、ろくに訓練すらしていない貧弱な防寒術式だけで寒夜を凌ぐ羽目になった。
ふかふかのベットで寝たいなどとシルヴィアが散々駄々をこねていたが、今や彼女も、もう一つのソファの上で布団をかぶってすやすやと気持ちよさそうに寝息を立てている。
昨晩テーブルの上にあらかじめ出しておいた、真冬の夜の冷気で冷やされた懐中時計をどうにか掴むと、ぼやけた視界の中で時間を確認する。時刻は午前六時。良かった、まだ時間がある。ソファの上で寝たせいか、節々の痛む体を起こすと、ユートは窓まで移動してカーテンと窓を開いた。まだ灰暗い町に浮かんだ灯りに、疎らだが人影が見える。煙突群からも煙が出ているし、中心街の真ん中、「セントラル・ガイア」もその鋼で覆われた表面に淡い光をたたえている。蒸気と混ざって湿った風が、自分の頬を撫でたと思うとこの季節特有の香りがどこからともなく漂ってきた。これを何と言うか……冬の香りとでも呼ぼうか。
それに何処かで一度嗅いだ事があるのか、それともただの思い込みだろうか、やけに悲しく感じる香りだった。
その時、ユートの思考を断ち切るように黒いノイズが突如、脳内に湧き上がってきたと思うと、一瞬の内に頭の中を黒く塗りつぶしていった。
黒い奔流に脳内が搔き回され、ぐちゃぐちゃになっていく。小さな水の入った硝子瓶に一滴ずつ墨を垂らすように、黒い奔流はゆっくりと頭の中を侵食していく。思考も、想像も、夢も、記憶さえも黒い奔流に纏めて壊され、侵されていく。
やめろ、勝手に立ち入るな、勝手に壊すな、塗り替えすな。こんな事、
……なんで僕はこんな思いをしている? なんで僕は苦しんでいる? 何故僕は悲しんでいる? どうして? どうして?
ユートには今、頭の中を埋め尽くす感情が分からない。この行き場のない感情が理解できない。この溢れ出した疑問符の意味が分からない。だってそうだろ? 僕は一体、なんでこんな、
———
誰に投げかけたのかすら判らないその疑問は、冬の冷え切った空気に溶けていった。
その答えは、まだ遠い。
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