その3

 本格的な調査に入る前に、俺は依頼人について調べてみた。

 何しろ俺は演歌(正確にいえば芸能全体というべきか)の世界については無知に等しい人間だからな。

 一応当たっておいた方がよかろう。


 くろぬま健は、本名、前田保夫まえだ・やすおといい、現在年齢は満70歳。

 生まれは広島県の片田舎。

 中学を卒業と同時に歌手を志して上京。

 数種の職業を転々とした後、ある伝手から歌唱力を見込まれて流しになる。

 その後某有名作曲家の弟子になり、下積み生活を経験した後、ようやくデビューしたが、暫くは鳴かず飛ばずの日々が続く。

 三年目に出したシングルレコードがヒットし、その後は順調にキャリアを積み重ね、年末の公共放送恒例の『紅白』にも10年連続で出場する・・・・。


 まあ、演歌歌手としては、どこにでも転がっているようなサクセスストーリ―を積み重ねてここまで来たって訳だ。


 しかし、この手の“成功者”がそうであるように、彼自身にも良からぬ部分が売るほど出て来た。

 まずはその性格である。

 吝嗇けちで見栄っ張り。表裏がはっきりしている。

 自分の利益になると思えば、上には愛想がいいが、下に対しては冷淡.酷薄。そして神経質で誰彼構わず怒鳴りまくる。

 結婚はこれまで三回。

 最初の結婚はまだ歌手として成功する前、同棲していたクラブのホステスと。

 当り前だが当時彼は貧しかった。

 そのため最初の妻が徹底的に尽くしたのだが、有名になると同時に女出入りが激しくなり、いさかいが続いた末に離婚。子供はなかった。

 その後二人の女性と結婚し、それぞれ息子と娘をそれぞれ一人づつ設けたが、これもやはり離婚。理由はやはり女癖の悪さが災いしてのことだったという。

 

 当然のように酒とギャンブル、それに女に目がない。 


 人間には誰でも裏表がある、と言ってしまえばそれまでだが、彼の場合はあり過ぎて嫌になるほどだ。


 表向きは歌に対して真摯しんしで熱心、真面目で気遣いが出来る男。

 40歳の時に個人事務所を立ち上げて独立してからは、社長としても辣腕を振るっているということになっているが、本当の所、実務面は専務・・・・彼が一番最初に組んだマネージャーが全て取り仕切っているというのだ。


”さて、どこから手を付けたもんかな・・・・”俺はいい加減うんざりしてきた。

 これじゃ恨みつらみを持つ相手は山のようにいる。

 その中から脅迫している人物をほじくり出すのは、砂漠の中からひとかけらの宝石を探し出すより、もっと骨が折れる。

 しかし、俺は探偵だ。

 引き受けるといった以上は投げ出すわけにもゆかない。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

『あんた、探偵の癖にそんなことも知らんのか?美容院や理容室の待合席に座ってみろよ。女性週刊誌からスポーツ新聞、彼のゴシップなら載らない日はない。下手すりゃ小学生だって知ってるぜ』

 滅多に表情を変えない彼が、髭だらけの顔で苦笑しながら、呆れたような声を出した。


 多摩川の河川敷、周囲を背の高い雑草で覆われた、アルミと軽量鉄骨の枠組みにラスボードの壁、スレートの屋根という、典型的な掘立小屋の中。

 とくれば、俺が誰と話しているのか分かるだろう。

 彼の名前は”馬さん”、無論本名ではない。

 職業はホームレス。本名不詳、年齢不詳、経歴も不詳。

 しかし、あらゆるところから情報を拾ってくる。

”超一級の情報屋”である。

『生憎と芸能人のゴシップとは縁がなくってね。』

 そう言って誤魔化したが、確かに彼の言う通りだった。

 探偵だって世の中の事、一から十まで何でも知ってるわけじゃない。

 その点が俺の欠点と言えば言える。

『くろぬま健って奴はな。西日本有数の大組織の幹部にケツ持ちをして貰ってるのさ。彼が大手のプロダクションから独立する時だって、女の問題で揉めた時だって、トラブルにもならずに終わったのは、全部その”怖い紳士”の力があっての事さ』

 彼はそう言って、俺の前にプリントアウトした書類の束を投げ出した。

 少し見ただけでも、彼の後ろ暗いところがますます浮き彫りになってくる。

 彼があれほどの脅迫を受けても、警察オマワリの手を借りなかったのは、そこに訳があったと考えても不思議ではない。

 俺は代わりにポケットから輪ゴムで縛った一万円札を、彼の前に放り出す。

 馬さんはそいつを受取ると、足の下に抱え込んでいたブリキの大きな缶の蓋を開けてしまい込んだ。

『で?どうするね。反社が絡んでいるとなったら、依頼は断るかい?』

 馬さんは金を受取ると、またパソコンに向かって、他人事のように呟く。

『まさか、奴は表向きは”や”の字じゃないからな。徹底的に調べる。伊達に金を貰ってるわけじゃない』

『せいぜい気を付けな。じゃ』

 馬さんの言葉に送られ、俺は天井に頭をぶつけぬように立ち上がると、そう言って小屋を出た。

 

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