泥だらけのお宝
冷門 風之助
その1
『こんな世の中ですからね、誰だって二の足を踏みたくなる気持ちも分かります。でも他に頼める人がいないんですよ。引き受けて貰えませんか?』
流石若手ながら刑事弁護士としては腕利きと言われるだけのことはある。こっちのウィークポイントを良く心得てやがる。俺は受話器を握ったまま、腹の中で苦笑していた。
何でも彼の話によれば、幾人かの私立探偵に声を掛けてみたが、全部断られたという。
無理もない、都内はバレンタイン・デイも過ぎたというのに、未だ新型ナントカで緊急事態宣言発令中、事実上戒厳令みたいなもんである。
こんな時にはした金で他人の為に宛てのない調査をしようなんて物好きな探偵がいる筈もなかろう。
『もう脅迫が企てられているんだろう?だったら
俺は半ば苦笑しながら受話器に向かって返した。
ああ?
”あんたみたいなハードボイルドを自認してるタフガイが哀れな依頼人の頼みを断るのか。らしくないな”
変なことを言うじゃないか。
タフガイだろうと病気には勝てん。
石原裕次郎だって、最期はご承知の通りだ。
ましてや新型ナントカは伝染病だぜ。ウィルスだぜ。
勝ち目がある筈がなかろう。
『お願いしますよ。先生、向こうは金持ちなんです。吹っかければ幾らだって出してくれますから』
理論派にしちゃ、生臭いことをいうもんだと、俺はまた腹の中で苦笑した。
『仕方がない。話位は聞いてやろう。それで気に入れば引き受ける。乗らなければ受けない。それでもいいかと向こうに伝えてくれ。いいね』
俺は平賀君にそう念押しして受話器を置き、ひじ掛け椅子から立ち上がり、洋服掛けからコートを取った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
”あと五分ほどで休憩に入りますから、こちらでお待ちください”
都内某所にあるレコーディングスタジオについた俺は、しなびたキュウリみたいな青白い顔をした、彼のマネージャーだと名乗る男の出迎えを受け、
『録音中』と赤い表示の出ている重い扉の前のソファに座るように言われた。
分厚いドアの前にあるスイッチを押し、彼が中に入る。
当り前だが、スタジオの内部の音は一切外に漏れてこない。
俺はシナモンスティックを咥え、二重になっているガラス窓から中の様子を見る。
中にはマイクスタンドがあり、その前にヘッドフォンを頭から被った角刈り頭の、お世辞にも目つきのあまり良くない男が、派手なペイズリー柄のシャツに、ジーンズという姿で立っており、何やらミキサー室の向こうにいるスタッフとやり取りをしていた。
彼は年恰好からすると、60半ばくらいだろう。
演歌歌手だと聞いていたから、着流し姿かと思ったが、その点は当てが外れた。
時々、彼は何やらミキサー室の連中(スタッフだろう)と、激しいやり取りをしている。
大声を上げて怒鳴っている様子が、ガラス越しに確認できた。
結局、
”あと五分ほど”は守られず、当の演歌歌手氏が不機嫌そうな表情で出て来た時には十分を遥かに過ぎていた。
先ほどのマネージャー氏と、そして付き人を従えて出て来た彼は、俺が座っていたソファに足を投げ出して座る。
すぐに付け人がおしぼりを差し出す。
彼は黙ったまま、それを受取ると、
”もっと熱いのにしろ”とか何とかぬかしていた。
俺の存在なんかまるきり無視である。
別の付け人氏が、缶コーヒーを買って戻って来ると、それを受取って蓋を開けた。
そこでやっとマネージャー氏が俺を紹介する。
彼はねめつけるように俺の姿を足から頭の天辺まで、遠慮会釈なく視線を移す。
俺は何も言わず、
だが、彼はそれを一瞥しただけで、付け人に
”この人にも缶コーヒーを”といい、自分の隣に座るように促した。
それを合図に、マネージャーが横から名刺を出して俺に渡す。
”くろぬま
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