プロイセンとドイツ圏のユダヤ人について
プロイセンやドイツ圏におけるユダヤ人についておさらいしておくとしよう。
ドイツ圏におけるユダヤ人は、1150年頃、神聖ローマ帝国のフランクフルトにユダヤ人が居住したと記録が残っている。
13世紀になってキリスト教徒とユダヤ教徒との交際が禁止されるなど、ユダヤ人は迫害を受けるようになった。そして、社会不安が高まるごとにユダヤ人は迫害の対象とされていき、職の追放なども行われる様になる。
神聖ローマ帝国のユダヤ人は、神聖ローマ帝国一般臣民とは区別される存在で、「王庫の従属民」と呼ばれる法的地位を与えられていたのだ。そのため皇帝の保護を受けたものの、皇帝にユダヤ人税(ユーデンシュトイアー)の納税義務を負っていた。後のオスマン帝国においても、ユダヤ人はジズヤ(人頭税)の納税義務を負っていたが、ほぼ同様の制度である。
ヨーロッパでは、14世紀のペスト大流行の頃から弾圧として、ヨーロッパ中で隔離政策が取られるようになっていく。そして、市街地中心から離れた場所に設けられたゲットーと呼ばれる居住区に強制隔離されることが一般化した。
1462年、フランクフルトのユダヤ人はフランクフルト・ゲットーに居住するようになる。
1467年、ポーランド王国とドイツ騎士団の間で司祭戦争が勃発し、1479年にピョートルクフの講和が結ばれた。すると、カジミェシュ4世の治めるピョートルクフに神聖ローマ帝国から追放されたドイツ人とユダヤ人が移住する。
啓蒙時代(17世紀〜18世紀)になると、スピノザらによる宗教を超えた汎神論論争をレッシングが肯定すると、メンデルスゾーンもこれを擁護してハスカーラーと呼ばれる啓蒙運動がユダヤ人の間で開始される。
ドイツ圏におけるユダヤ人たちの歴史についてはこんなところだろうか。
プロイセンにおけるユダヤ人については、プロイセンは他の神聖ローマ帝国諸邦に比べ、ユダヤ人に対してかなり寛容であった。
プロイセン王国の前身であるブランデンブルク選帝侯国において、17世紀半ばに武器・貨幣鋳造商人イスラエル・アロンに貴族位を授けている。また、オーストリアから追放された富裕ユダヤ人を保護していた。
ブランデンブルク選帝侯国及びプロイセン王国では、身柄保証金を条件にユダヤ人の自由な経済活動が認められたのである。
プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は、ユダヤ人代表団の謁見に際して、「主を十字架にかけた悪党」とは面会しないと断った。しかし、侍従がユダヤ人からの高価な贈り物があると聞くと、曽祖父は「主が十字架にかけられた時は、彼らはその場にいなかった」のだからと謁見を許可している。
曽祖父らしい逸話である。基本的に曽祖父は吝嗇だった。
曽祖父は質素な食事をし、大伯父のフリードリヒ大王は美食家であると良く言われる。しかし、曽祖父も美食家であった。美食に自分の金を使うのが嫌なので、上手い食事を食べたくなったら、家臣の家を訪れて食べていだ。
他にも、曽祖父フリードリヒ・ヴィルヘルム1世には恐ろしい逸話が残されている。
これらの話からは、ブランデンブルク・プロイセンらしさが現れている。ブランデンブルク、プロイセンはかつて貧しかったため、富裕な移民を多く受け入れてきた。この富裕な移民と言うのは、大抵は宗教的差別を受けて来た人々である。主にキリスト教の新教徒であり、フランスのユグノーなどが代表的だろう。
ブランデンブルク・プロイセンにおいては、かなり早い段階で宗教に寛容な政策を取られてきた。他国や他領邦で魔女狩りが行われていた時代からである。
しかし、ブランデンブルク・プロイセンでは宗教に寛容な代わりに、他国や他領邦よりも税金が高かった。税金を高くする代わりに宗教に寛容的であり、時のブランデンブルク選帝侯はカトリック教徒でありながら、新教徒が暴力を受けた際は、新教徒を保護している。
そんなブランデンブルク選帝侯は、カルヴァン派に改宗しており、理由は詳しく知らないが、きっとルター派よりカルヴァン派の方が金の入が良かったのだろう。
ブランデンブルク・プロイセンでは、領民はルター派の新教徒が主であるが、君主はカルヴァン派と言う不思議な領邦だったのである。カトリックと新教徒の帝国諸侯たちが争っている頃は、君主の信奉する宗派が、領民の宗派だった時代にだ。
因みに、ザクセン選帝侯領は領民はプロテスタントだが、君主であるザクセン選帝侯家はカトリックである。それは、ザクセン選帝侯がポーランド王になるため、プロテスタントからカトリックに宗旨替えしたからであるが。しかし、ザクセン選帝侯はカトリックに改宗したものの、現在はポーランド王位を失っている。
一方、神聖ローマ皇帝カール6世御代のウィーンでは、ユダヤ人の人口増加を防ぐために、1726年の法で正式に結婚できるのは長男だけとされた。この結婚制限法は、ボヘミア、モラビア、プロイセン、パラティナ、アルザスでも適用される。その結果、多くのユダヤ人の若者がポーランドやハンガリに流出することとなった。
啓蒙専制君主であるプロイセン国王フリードリヒ2世は、1740年の『反マキャベッリ論』で、モーセが「神感を受けていなければ、大極悪人、偽善者、ないし作者が困っているときに劇に大団円をもたらしてくれる機械仕掛けの神を用いる詩人のように、神を利用していた詐欺師としか」みなしえない、「モーセはたいへん稚拙だったので、ユダヤ人を導くのに、六週間で非常に通れたはずの道に四十年もかかった。彼は、エジプト人たちの知識をほとんど利用しなかった。」「ユダヤ人の先導者は、ローマ帝国の建国者(ロムルス)、ペルシア帝国の大王、ギリシアの英雄たち(テセウス)よりも、はるかに劣っていた」と述べている。大伯父フリードリヒ大王はモーセ、キリスト、ムハンマドを詐欺師とする『三詐欺師論』などの無神論の影響を受けていた。
曽祖父のフリードリヒ・ヴィルヘルム1世は、プロイセンにおいてユダヤ人が一般職業に就くことを禁止していた。しかし、大伯父はユダヤ人の取り扱いを改善している。ロスバッハの戦勝記念(1757年)に際し、モーゼス・メンデルスゾーンは、ユダヤ人保護法のもとに建設されたベルリンのシナゴーグで、ユダヤ人解放を実現した国王として大伯父を祝福した。
大伯父フリードリヒ大王は、1780年に『ドイツ文学論』 をフランス語で著述している。ドイツ文学の惨状の原因として、戦争の影響があり、またドイツが政治的な統一国家を作れないこと、更にドイツ語が多種の異なる方言をもつ未発達な言語であり統一言語がないことなどにあるとした。
プロイセンの啓蒙主義官僚であるクラインは、フリードリヒ大王のプロイセンでは、言論の自由が保障されているが、服従が国家の核心にあったと述べている。また、カントは日常の職務では自由を制約されると論じた。それに対して、フリードリヒ大王に否定的なハーマンはこれを批判している。
同じく啓蒙主義官僚で、プロイセン王国枢密顧問官クリスティアン・コンラート・ヴィルヘルム・ドームは、エルのユダヤ人非難文書に刺激されて、メンデルスゾーンとともにユダヤ人の解放と信教の自由を訴え、1781年9月に『ユダヤ人の市民的改善について』を発表した。そこでは、ユダヤ人が特別な許可がなくては結婚もできず、課税は重く、仕事や活動が制限されていることを批判している。ただし、ドームはユダヤ教の棄教を解放の条件としているが。
因みに、このドームがケンペルのドイツ語版『日本誌』を出版することとなる。
ゲッティンゲンのルター派神学者・ヘブライ学者ヨハン・ダーフィト・ミヒャエーリスは、悪徳で不誠実な人間であるユダヤ人は背が低く、兵士としても役立たずで、国家公民になる能力を欠いており、さらにその信仰は誤った宗教であると唱えた。そして、ドームは職業選択の自由だけでなくユダヤ人が固有の掟に従うことまでを許しているとして、ドームを批判して、ユダヤ人解放を拒否している。
ミヒャエーリスは、聖書と普遍史を批判したことでも高名だが、すべての言語が一つの言語、特にヘブライ語であったとは証明されていないと唱えた。
ユダヤ人の工場経営者で、哲学者のモーゼス・メンデルスゾーンは、ユダヤ啓蒙運動を展開する。詩篇とモーセ五書をドイツ語に翻訳し、ユダヤ人子弟の教育では従来の律法重視を改めて世俗的な科目や職業訓練を訴えて、ユダヤ人のキリスト教社会への同化を進めた。
1770年、メンデルスゾーンは街路を歩くと罵声を浴びせかけられるのが日常であったため、外出しないようにしていた。1782年、メンデルスゾーンはメナセ・ベン・イスラエルの『イスラエルの希望』のドイツ語訳前書きで、国家が宗教への介入をやめるという政教分離原則を主張する。そして、メンデルスゾーンは、ユダヤ人社会の宗教的権威から独自の裁判権を放棄するよう求めた。
ここまで、プロイセンやドイツ圏のユダヤ人について、おさらいしたのは、俺がメンデルスゾーンに会うつもりだからである。
周囲からユダヤ人と会うのを反対されたものの、ユダヤ人は金を持っていからな。プロイセンの海外進出のために出資者を募らなければならない。
そのため、カントに紹介を受けて、哲学者であるメンデルスゾーンと会うことなったのであった。
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