第91話 昼食の準備

 以前時計は高いから持ってないと、ハティに言った覚えがある。

 実際、時計は高い。

 細かくて精密な部品が大量に使われているし、組み立てにも熟練の技術が必要だ。

 一度、時計の中を開けて見せて貰ったこともある。

 よくもまあこれだけの部品をこんな小さい中に詰め込んだものだと感心した。


「時計なら、姉さんなら持っていると思うが、俺はそこまで正確な時刻を求められる生活もしてないし」


 そんな俺が時計を買うのは贅沢と言うべきだろう。


「でも、主さまだって、王宮に行くこともあるのじゃ」

「そういうときは、辺境伯家の執事が教えてくれるし」

「賢者の学院の教授先生だし、時刻の正確さを求められることもあるのではないかや?」

「そういえば、そうだったな」


 俺はつい先日賢者の学院の教授になったのだった。

 授業はしなくてもいいし、会議の出席も免除されている。

 だが、それもロッテが帰国するまでの特例だと考えた方がいい。

 特例期間が終われば、当然、授業を行い、学生を指導し、会議にも出なければならないだろう。

 そうなれば、時刻の正確さも求められる。


「……確かに、時刻を把握するのは重要かもしれない」

「そうなのじゃ。主さまは魔道具で時計を作ったらいいのじゃ」

「とはいえ、道具の時計は既にあるし……」


 基本的に道具では出来ないことをするのが、魔道具の役割である。

 既に道具としてあるものは優先度が下がってしまう。

 その点は、パンを温める魔道具と同じだ。


「やっぱり難しいのかや?」

「魔石の固有振動数を利用すればいいから、原理自体は難しくはないが……」


 魔石に魔力流したときにごくわずかに振動する。

 時間あたりの振動数は魔力量によらず、魔石によって一定なのだ。

 その振動数のことを固有振動数という。

 数百年前に師匠のケイ先生が固有振動数に関する論文を書いていた。


「先生の論文は覚えているからいいとして……。問題は精密さだな」


 時計は四六時中ずっと動き続ける。

 本当に、ごくごくわずかな差が、大きな差になるのだ。

 二、三日で一時間もずれたら、それはもう時計の用を為さない。

 そう考えたら、難易度は高い。

 精密な歯車の製作する必要もあるだろう。

 それは、少し面白そうだ。


「……少し本格的に考えてみるか」


 俺は本格的に考えていく。

 紙に設計図を描く。素材も考えなければならない。

 硬いのは当然として、歪まない素材でなければならない。

 量産化を考えるならば、加工のしやすさも重要だ。


 数十枚の紙にびっしり図面を描いて、俺は結論が出した。


「……これは魔道具じゃない時計の方が安く作れるな」

「そうなのかや? でも魔道具の方が正確になったりしないのかや?」

「理論的にはそうだが、現実には難しいかもな」


 振動数は魔石の種類によって異なる。

 そして、一つとして魔石には同じ物はない。

 振動数を正確に分析し、それに合わせて、歯車などを選び組み立てなければならないのだ。

 その時点で量産化は難しい。


「部品数も多くなる。材料費だけで魔道具じゃない時計を買うより高くなる。手間も圧倒的に多い。コストが高すぎる」


 そんなことを言いながら、俺は魔石の選定に入る。

 時計に最適な固有振動数を持つ魔石を見つけるためだ

 当然、そう簡単には見つからない。

 その場合は、魔石をきれいに割ることで、振動数を変化させればいい。

 魔石を割る技術は遠距離通話用魔道具でも利用したものだ。


 俺が真剣に時計作りに取り組み始めると、ハティが首をかしげた。


「主さま?」

「ん? どうした?」

「コストが高すぎるのではないのかや?」

「そうだよ。だから売れないだろう。だが、これは俺の趣味だからな」

「……趣味なのかや」

「ああ。趣味なら多少手応えがあった方が面白いだろう?」

「……よくわからないのじゃ。ハティはお昼ご飯を準備するのじゃ。もちろん主さまの分もなのじゃ」

「ありがとう。すまないな。そんな時間か」


 窓の外を見ると、太陽は昇りきって、下がり始めていた。

 時間を忘れて、図面を描くのに集中していたらしい。


 俺が魔石を選んでいる間に、ハティは昼食の準備を始めた。

 フライパンを炎ブレスを出して熱して、卵を割って、ハムを乗せる。

 とてもいい匂いが漂ってきた。


 一通り焼くと、ハティは器用に目玉焼きと焼いたハムを皿に移す。


「りゃ?」

 いい匂いにつられたのか、目を覚ましたユルングが懐から顔を出す。


「ユルング、もう少しなのじゃ。パン焼くのじゃ」


 ハティは、いつの間にか用意していたパンを取り出すと、ブレスで表面を軽く焼いていく。


「りゃっりゃ!」

「もう少し待つのじゃ。このままでもうまいのじゃが……」


 ハティはパンの上に金属の棒に刺したチーズをかざし、一瞬ブレスを吐いてトロトロ溶かした。

 その溶けたチーズがパンの上にかかっていく。


「りゃあ!」


 とても良い匂いに、ユルングも反応し、俺の懐の中で尻尾をぶんぶんと振っていた。

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