第16話 黄昏ロープウェイ

「あやめ、チケット買って来たよ〜 はい、これ」

「ありがと。でも本当によかったの? 乗りたいって言い出したのは私なのに、チケット代出してもらっちゃって」

「いーのいーの。あやめにはランチご馳走になっちゃったしね。それにこれ、あたしも乗ってみたかったし」


 あやめに渡したのはロープウェイの乗車券。最近この辺りとJRの駅までの間に開通したやつで、5分も乗らないのに運賃は千円以上。この値段設定は高校生のお財布にはちょっと厳しい。さすがにイベントでもないのにこれに乗るのはどうかと思って、気にはなっても乗る機会がなかったんだよね。


「彼氏と乗るときの予行演習だと思って付き合ってよ、あやめ」

「もう、そういうのは彼氏ができてから言うものじゃないの?」

「え、彼氏いたら彼氏と乗るじゃん。いないからあやめで我慢してるのよ」

「もう、透子なんて合コンでもなんでも行って来たらよかったのよ」


 バッグから財布を取り出そうとするあやめの腕を引いて、2階の搭乗口の方までぐいぐいと引っ張っていく。チケット代のことを有耶無耶にしようとしてチャラけたら、なんでか知らないけどあやめのご機嫌がナナメになる。なんでそんなに合コンに誘われた事こだわるのかな、もう。


「そんなに合コン気になるなら今度あやめも一緒に行く? たまに付き合いで行かないといけないし、あやめがいるなら退屈しなさそう」

「お断りよ。面倒なことにしかならないの分かってて誰が行くもんですか。もう、何よそのニヤニヤ笑いは!」

「痛い、痛いって! ほっぺた引っ張らないでよ〜 メイク落ちるってば〜」


 戯れ合うあたしたちの声が広いロビーにやけに大きく響いた。2階に上がってもあたしたちの他にほとんど乗客の姿はなし。まあ観光客以外はあんまし用がないんだろうけど、ここまで人がいないとちょっと寂しいかも。


 改札でチケットを係員に渡すとすんなり搭乗デッキに案内された。


「結構、風があるのね」


 ふと立ち止まったあやめがそう零すのが聞こえる。


 あやめは海に向かう風に長い黒髪が煽られるのを片手で押さえている。目をすがめて海の方を見るその姿に、やっぱり絵になるなー、なんて見惚れてしまった。


「そろそろ夕凪なんだと思うよ。普段はもうちょっと風強いんじゃないかな」


 ちょっとしたマメ知識を披露してあやめの隣に行くと、周囲はだんだん黄昏の色に染まって来ているのに気がついた。あやめの視線を追って海の方を見てみたら、水平線が沈む太陽に照らされてる。茜に染まる空がやけに綺麗に見えた。


「もうこんな時間なんだね〜」

「そうね。最近ね、こうやって日が落ちるのを眺めるの、趣味になって来たのよ」

「無理してない?」

「大丈夫。透子がいてくれるから、安心できるもの」


 あやめがそっと手の甲に触れてくるので、指を絡めてきゅっと握る。合わせた手のひらから伝わる、とくん、とくんという穏やかな脈動。


 あやめ、ちゃんと落ち着いてる。


 彼女が受け継いだ古い血の宿痾が牙を剥いていないことが感じられて胸を撫で下ろす。肩を寄せてあやめの二の腕あたりをぐいって押してあげると、体を寄せてやり返してくる。


 他愛のないじゃれ合い、束の間訪れたあやめとの二人だけの時間。


 広くとってある搭乗デッキには係員の他にはあたしたちだけ。後ろが詰まっていないからか、係員の人も急かさないでいてくれる。


「匂いに誘われて来てみたら、お前かよ、鬼頭おにがしら


 だからその声に、あたしはとにかく驚いてしまった。かけられたのも唐突なら、その声に聞き覚えがあったのも驚きだ。


 そして何より、あやめがその声の主に、ひどく挑戦的な態度で向き合ったこと。キュッとブーツを鳴らして後ろに向き直ると、一歩あたしの前にでる。胸の前で腕を組んで顎を少しあげて立つあやめが、ひどく冷たい声を浴びせかけた。


「あら私の名字、今度はちゃんと覚えてくれたのね。瀬川くん」

「あんときは世話になったな。おかげで裕子が面倒くせーったらねーんだわ。お前に埋め合わせ、絶対にしてもらわねーとな」


 声の主は瀬川玲音くん。仲のいい人はレオと呼ぶ彼は、隣のクラスのイケメンくんだ。ホワイトシルバーのアッシュヘアーで、細身で色白。大抵の女子より肌白いんじゃないだろうか。とりあえず、あたしよりは肌綺麗だ、こんちくしょー。


「あら、それはご愁傷様。だけど、お付き合いしている子がいるのに声をかけてくるあなたの問題よね。私に埋め合わせさせるのはどうかと思うけど」

「遊んでやってただけで付き合ってなんかいねーよ。だいたいあいつ、最近学校来ねーしな」

「あら、薄情なものね。この話、姫川さんあたりに教えてあげたら退屈な学校も少し楽しくなるんじゃないかしら?」

「はっ、姫川も悪くはねーけどよ。やっぱお前だよ、鬼頭。今日あって改めて思ったわ。ぜってーお前、手に入れてやる」


 瀬川くんがあやめにものすごい執着してるのは分かった。二人の間に何があったか知らないけどあんな風に執着されたら、まあ嫌がるよね。あやめ、そもそも人嫌いだし。


(美人とイケメンの修羅場に居合わせるって言うのは、平たい顔族としてはかなり居た堪れないんですけどね……)


 あたしはあやめの背中に隠れて小さくため息をついた。


 険悪な雰囲気がまず嫌だったし、それに何より二人ともあたしの事なんて目に入っていないのが気に入らない。まあね、あたしも存在感うすくして空気のように生きるのは得意ですよ。でも、それは自分で空気になってるわけであって、無視されて平気って意味じゃないのです。


 そんなわけで平たい顔族代表は、この場に爪痕を残すことにしたわけです。


「あやめ、そろそろ行こうよ。ほら、あんまりここにいるとスタッフさんにも迷惑だし、ね?」


 これ以上険悪な空気には耐えられないし、それに何よりあやめとのひとときを邪魔されたことが不愉快なんですよ。


 あたしのあやめを返してもらおう。こんな場を離れてさっさとロープウェイに乗ってしまえばまた二人きりだ。言うだけ言って、あやめの腕に無理やり自分の腕を絡めて歩き出す。


 そう、あたしは腹を立てていたんだ。


「ばかっ、透子! せっかく隠してたのになんで出て来たの!」


 だから、あやめになんで怒られたのかなんてわかりもしなかったし、


「お前、いったい何もんだ? お前みたいな奴、街にいたら絶対に気がつくはずなのに、今までどこに居やがった?」


 と、やたら目鼻立ちのはっきりしたハーフ顔のイケメンが、あたしを睨みつけて来たことの理由なんて、わかるわけがなかった。


 一歩出てくる瀬川くんと、一歩下がるあやめ。あたしはまたあやめの背中に匿われてしまう。あやめのすらりと伸びた腕がゆるく行き先を阻んでいて、あたしは右にも左にも行けない。


「誰でもないわ。私の友人よ。たまたまこっちに来ていて、今日のうちに地元に帰る。あなたにはこれからも関係のない人よ」

「じゃあ尚更今日中にモノにしねーとな。そこどけよ、鬼頭。お前じゃ薄すぎて俺には敵わねーぞ?」


 緊張を孕んだあやめの声。そして、穏やかじゃない瀬川くんの声。あやめはどうやらあたしの事を瀬川くんから引き離したいみたいだけど、瀬川くんはむしろあたしに執着しちゃってる。


(あたしのために争わないで、みたいな感じじゃないよね。何だろこれ。モテ期到来とか喜べたらいいんだけどさ)


 それにしても何だかさっきから気になることがあるのだ。いつからそうだったのだろう? 少なくとも彼がこの場に現れたときは彼の瞳はこんな色じゃなかったはず。


 瀬川くんの瞳が紅に妖しく光っていた


 こんな瞳、どこかで見たことがあった気がする。あたしは記憶の断片を脳裏にぶちまけて、そこに手を突っ込んで掻き回す。


 放課後の屋上

 真緋の世界を侵す黒い影

 白い面に紅の瞳


 つまみ上げたその一欠片は、忘れるわけのない光景だった。


 ーー血を啜る鬼と往き逢ったあの黄昏


 あたしの血の匂いに滾り飢えたあやめの瞳。あのときの彼女の瞳と瀬川くんの瞳の色は似ているように思えた。


 いやいやまさか。


 瀬川くんもあやめと同じように古い血を受け継いでいるっていうの? 高校生になって半年以上経つけど、同じ学校に何人も古い血を宿した人がいることに気が付けてなかったってこと?


 鈍感にも程があるだろ、あたし。


 だけど、あたしたちの前に現れた瀬川くんは、一番最初にこう言ってたっけ。


「匂いに誘われて来てみたら、お前かよ、鬼頭おにがしら


 そう、匂いだ。


 屋上であやめに襲われた時もそうだったけど、古い血を宿した人たちはあたしの血の匂いにひどく敏感らしい。あの時、あやめを狂わせてしまったのはあまりに濃く感じたあたしの血の匂いだったはずだ。


 瀬川くんがただの古い血脈の人ならまあいいんだけど、もうひとつ別の可能性がある。そっちの可能性だった場合、あたしやあやめだけじゃなく、この辺りの人たち全員が危険に晒されるかもしれない。


(やっぱ確かめないといけないよね。久々だしうまくできるといいんだけど)


 あたしは目を瞑り、曽祖母ひいばあちゃんに教えられた通りに指の関節を順に押さえていく。そしてその指でゆっくりと瞼をなぞった時、あたしは触れた右目に力が宿るのを感じた。


  營目えいもく、それは 現世うつしよに薄くかぶさる常世かくりよの影を見る作法。黄昏に目を細めて先を見遣り、見えざるものの姿を追うための術。


 ゆっくりとあたしが右目を開いたとき、世界の様相が一変する。


 一斉に、夜の帷が降りた

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