第41話 夢を創り上げて、共に見ることの歓び

 学食での営業を終えて、俺たちは寅英の執務室へとやってきた。ここから先は金の絡む話なので、流石にパブリックスペースでは話せないからだ。あともう一つ、外で出来ない事情がある。実際の手術モードを起動するとすごくグロいからだ。


「本当にすごいなこれ。実際に臓器を切ったり縫合したりした時の感触と遜色がほぼないぞ…。これが医学部や病院に行き渡れば、医師技能の業界全体での底上げが可能だ。日本だけじゃない、世界が望む技術だ…」


 寅英は手術モードを起動して、空間投影した人体相手に解剖を行っていた。臓器を切った時の感触についてのデータは、マリリンに俺の人体を邪眼で透視して貰って、それで得られたデータから推測して作った。つまりデモモードで切られているのは、俺の体を元にした模型である。


「感触データに関しては、今後病院側から実際の手術時の感触のデータを集めることで、まったく違和感のないものが作れるようにツールを準備してある。個人情報の取り扱いがあるから、そこら辺は病院さんと患者さんの承諾がいるんで、大学医学部にコーディネートして欲しい」


「なるほどだから俺の所に来たわけだ。だけどここまで凄いシステムは准教授の俺には手が余るぞ。医局長や学部長に話を持って行って欲しいのか?話はいくらでもつけてやるけども」


「いいや。トラちゃんに窓口になってもらいたいのさ。マリリン。今後の展望について巻機先生にご提案して遊ばせ!」


「了解しました社長。ふふふ」


 マリリンがカバンから取り出した資料を寅英に渡した。そしてタブレット端末を出して、そこにプレゼン資料を出した。


「ご提案があります。巻機准教授にはこの技術についての共同研究者の一人になってもらいたいのです」


「共同研究者?」


「はい。現在特許申請中ですが、あとで関連技術などについても査読論文を出すつもりです。巻機教授には共著者の一人になっていただきたいのです。今回の技術の凄さはもうおわかりでしょう?被論文引用件数は果たしてどれほど伸びるでしょうか?」


「なるほどね。それは研究者としては喉から手が出るほど欲しい成果だ。この研究プロジェクトの一人っていうのは大きな栄誉だ。今後の俺の医学部での出世に大きな助けになると」


「そういうことです!そしてあたし…失礼。わたくしたちは皇都大学医学部協力というネームヴァリューを手に入れます。わたくしたちはこの技術を広めるにあたって、この皇都大学から始めたいと思っています。ここは日本で一番いい大学です。皇都大学が導入すれば、全国の大学病院がそれにならい、さらには他の大病院にも広がっていくでしょう。その広告効果はわたくしたちのような吹けば飛ぶようなベンチャーには喉から手が出るほど欲しいものです。ですがあまりにも上の人たち、すでに大きな権力を持った人たちにこのプロジェクトに触れて欲しくない。残念ながらわたくしたちには人手が足りません。飲み込まれて使い潰されて、このシステムの成果そのものを奪われかねないことをわたくしたちは恐れています。だからこそ巻機先生です。先生はすでに研究実績がお有りですが、まだまだ若く野心家にあらせられます。そういう人は信用できます。このプロジェクトを医局政治という魔の手から守ってくださる力がある!それに同期には厚生省の医系技官の方々もいらっしゃるようですね?いまでもちゃんとつながりがあるとか?ぜひ先生にはそれらの方々を引っ張りこんで纏め上げて欲しいのです!」


「ほーほー!よくおれのことを調べてあるな!樹!この案はお前が考えたのか!?」


 寅英はどことなく楽しそうで、なのに獰猛に見える笑みを浮かべている。この男は俺に優しい友人でもあるが、同時に大学の医局とかいう魔窟で出世してきた傑物でもあるのだ。


「いや。俺が寅英のことを話したら、マリリンが思いついてくれた。この子すごく有能だろう?」


「ああ!実に頼もしい!樹はすぐに猪のように突っ込む男だからな。こんな搦め手を提案してくるとは思わなかった!お前はいい嫁を見つけたぞ!そうとも!これだけのシステムならば、ちゃんと権力と組まなきゃ使い潰されかねない!特許権のパテント料だけで食っていくなら、大手のコンサルあたりに投げてしまえばいい!だけど自分の手でやるなら、ちゃんとケツ持ちって奴を見つけなきゃいけない!いいぞ!俺がお前たちの商品のケツ持ちになってやる!このシステムは医療分野の新しい利権になる!多くの馬鹿どもがこのシステムに群がって来るだろうな!」


 寅英はすごく興奮気味に語る。俺たちがこの男に提案したのは、何もこのシステムだけでなく、このシステムを世に広げる手伝いをしてもらうことでこの男が得る【出世のチャンス】だ。画期的な新システムの導入に携わったという実績があれば将来的に学部長やあるいは大学総長の椅子にまで手が届く成果につながるかもしれないのだから。営業っていうのは相手が欲しがるものを提供してこそなのだ。


「だが同時にこのシステムは、世界を救うシステムになるはずだ!知ってるか?医学部でどうやって解剖実習をしているのかを?検体がくることを待ってるんだ。力のない大学は、多くの学生で一つの検体を皆で解剖実習する。力のある大学だってそんなに頻繁には出来ない。このシステムがあれば、学生時代から積極的に人体構造を学べるんだ!それだけじゃない!難しい症例や珍しい症例の手術の経験を積む機会は少ない。だがこのシステムさえあれば、それらを気軽に学べるようになる!医師教育にブレイクスルーが起きる!まさにこれは革命だよ!樹!お前は医者でもないのに、医学の教科書に名前が載るぞ!ならばついでにその協力者として俺の名前も載せてもらおうじゃないか!!」


 べた褒めされると照れる。もともとこのシステムの着想は、医者がする手術の練習の話を聞いたからだ。メスや鉗子で豚肉とか鶏肉なんかを切ってみたりするとか、ティッシュ同士を糸で縫い合わせたりするとか。こんな涙ぐましいことをしているらしい。


「同時に一人の医師として、お前にお礼を申し上げたい!樹!お前の作ったこのシステムで多くの人の命が救われるだろう!誇りに思え!医師たちはお前を崇め奉ること間違いなしだ!あはははは!!」


「ははは、そんなにか。…ふふふ。作った甲斐があったな」


「では早速、金の話をしようじゃないか。まずは導入費用として2000万円出してやる。ただし一年目の保守費用はその中に入れろ。それとデバイスは十分な数を用意すること。それと皇都大学附属病院で良く実施されている手術症例のARパターンを初期でインストールしておくこと」


「あら?そんなにくれるの?」


「はっきり言うが、それでも安いと思うぞ。これさえあれば医師育成にかかる教育費用の大きな削減が期待できるからな。将来的なコスト削減につながるなら今ここで投資することは、まったく損にならない」


「まあITシステム導入の基本だよな。情報システムっていうのはリアルでの行動を削減しコスト圧縮を図ることに意義があるわけだしね」


「それから厚生省とのパイプもコーディネートしてやろう。いっそのこと、このシステムを世に広げるための補助金なんかも引っ張ってきてやる。医系技官たちもこのシステムには絶対に食いつく。大学医学部の教育っていうのは医療行政の一大トピックだ。この技術は予算編成にも関わるレベルの技術のはずだ。若手官僚たちがこの技術を自分の職掌領分にするために必死ですり寄ってくるはずだぞ」


「補助金くれるのか…わおぉ。この先の商売がやりやすくなりそうだな」


「くくく、楽しみだなぁ。このシステムを恒常的に使うようになった世界の医療は今とは比べ物にならないほどに発展するぞ!補助金なんていくらでも出すさ!夢にはいくらでも金を出すし、この身も捧げてやる。樹、ありがとう。おれはお前が見せてくれた夢に殉じてやろうじゃないか。ふふふ、あーははっはは!」


 寅英はまるでマフィアのボスのように高笑いをあげる。楽しそうで何よりだが、同時に俺もどこか高揚感を感じた。


「良かったわねイツキ。あんたが見つけた夢に他の誰かが賛同してくれた。あんたは世界をより良い方向に導くことができたのよ」


 マリリンの手が俺の手の上に重ねられた。


「あたしもあんたの夢のお手伝いが出来てよかった。いまとても楽しいの。素敵な未来を創れたって実感で胸が高鳴って気持ちいいの。ありがとうイツキ」


 この試作機を作るときにはマリリンが俺の助手をしてくれた。感謝しきれないくらいにマリリンは俺の仕事に貢献してくれたのだ。


「そんな。マリリン。こっちこそありがとう。君がいなければ、此処まで来れなかったんだから…」


 俺はマリリンの手を握り返す。とても暖かい感触にこの上ない幸せを感じた。マリリンと俺の視線が絡む。そしてゆっくりと二人の顔が近づいて…。


「おい、二人の世界に入るのはやめてくれ。とっとと契約書を書き上げちまおう。そんでもって今日はとっとと帰って、好きなだけイチャイチャしろ」


 寅英の声で我に返った。俺とマリリンは慌てて絡めていた手を放した。すぐにマリリンがカバンから文矩が作ってくれた契約書を取りだして、寅英に渡した。寅英は何の逡巡もなくあっさりとサインをしてくれた。俺も社長として、契約書のサインをする。これでシステム導入の契約は成約した。


「じゃあ今後の話はおいおいこなしていくとして、今日の所は帰れ!だけど結婚式にはおれもちゃんと呼べよ!いいな!ではお幸せになご両人!」


 俺とマリリンは試作のデモ機だけ置いて、病院を後にした。こうして初めての営業活動は大成功で終わったのだ。


 

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