婚約破棄ですか、では死にますね

砂礫レキ@無能な癒し手発売中

第1話 舞踏会の夜に

「えっ」

「えっ」


 異口同音に、ぽかんと口を開けた間抜けな表情。やはり二人は似た者同士なのね。

 私エレオノーラ・ラングレーは溜息を扇の下に隠した。

 

◇◇◇◇



 本日は十六歳になる私の妹。伯爵令嬢アンジェラのデビュタントの日。

 自宅の屋敷を舞踏会場とし、大勢の招待客から祝って貰った主役の彼女は誰よりも華やかな衣装だった。


 あちらこちらに運河がある水の都に相応しい青を基調とした涼やかな会場。

 青薔薇の造花をふんだんにあしらった眩い純白のドレス、まだ幼い顔に不釣り合いな少し濃いめのメイクは逆に初々しさを感じる。


 そのまま何事もなく過ごしていたら褒められちやほやされるだけで終わる佳き日だっただろうに。


 なぜわざわざこの日を選んで、妹は私から婚約者を奪うことを公表したのか。


 五年前に新しい母の連れ子として妹になったアンジェラ。私の二歳下になる。

 彼女は初対面から何故か私を警戒していた。

 善良だが鈍感な父から姉妹仲良くするように言われ、彼女に作り笑いで話しかけた途端

「あなたはあくやくれいじょうね、ヒロインのわたしをいじめる気でしょう!」と意味不明なことを言われたのを今でも覚えている。


 どうやら彼女は自分をヒロイン、物語の中のお姫様になる運命の元に生まれたと思い込んでいるらしい。

 そして私はヒロインを虐める悪役、いや悪役令嬢なのだと堂々と言われた。


 暴言への謝罪という名目で訪れた場でそう言われ私は絶句した。アンジェラの母親は何故か得意げな顔をしていた。

 どうやら私の娘、無邪気で可愛いでしょうという自慢だったらしい。理解できない。


 母娘とも知能と常識に問題があるのではと私は後でこっそり父に伝えたが、幼い少女はこういうものだと言い切られて終わった。

 私はそうではなかったと言い返すと、それはお前が女にしてはしっかりし過ぎているからだと言われた。


 お前は賢い代わりに可愛げの無い娘だと。正直父を殴りたくなった。

 しっかり者の母が亡くなった後、散々苦労させてきた父のせいでそうなったと言うのに。

 保護者が騙されやすく深く考えない大人だった場合、その子供まで無知無邪気でいたらあっという間に家は傾く。



 私は父に訴えることを諦め、新しくできた妹については距離を置くことにした。

 アンジェラはその性格のせいか、ずっと友達がいなかったらしい。そんな彼女は半分本の世界の住人だった。

 別に読書が趣味なのはいい。私だって物語を読むのは好きだ。


 だが彼女は王子と姫の物語のヒロインは自分だと信じ込んでいた。作中の登場人物の姫君の名前まで己に書き換えていた時には狂気を感じた。

 私が貸した童話集にまで同じことをしてきた時は流石に注意したが一切反省はしていない様子だった。


 後日、恐らく父に買って貰っただろう同じ本の悪い魔女の部分を私の名に書き換えて送ってきた時は拳骨をしてやろうと思った。

 父を通して注意して貰ったが、やっぱり直接雷を落としておけばここまでお馬鹿にはならなかったのかもしれない。 

 

 そしてそんな愚妹と同じぐらい、いや年齢と立場を考えればより罪深い頭をしている私の婚約者ギース。もう元をつけてもいいだろうか。


 私は彼に突然会場の真ん中に連れ出されこう言われたのだ。

 何かの催しだと事前に言われていたのか音楽は止まり、客人たちは端に寄りそしてアンジェラは邪悪な笑みを浮かべていた。 


「俺の婚約者エレオノーラ!だがお前は心の冷たい女だった!まるで雪の女王のように!!」


 私は正直この場から逃げ出したかった。


 ギースは次期伯爵の筈だが、もしかして舞台俳優にでも転向するつもりだろうか。確かにその外見と声だけは手放しで褒められるが。

 だがここまでは観衆もこれを見世物だと思っているようだった。

 それぐらい台詞も動作も芝居がかっていた。しかし次の彼と私のやりとりで流石に大半の人間が顔色を変えた。


「だから俺はお前との凍りついた契約を砕き、花の妖精のような妹姫と永遠の愛を誓う!」

「……それはつまり妹のアンジェラと結ばれるために姉である私との婚約を破棄するということかしら」


 彼の主張は何となく理解できたが、他の観客へ伝わるよう翻訳するのに時間がかかってしまった。私の言葉を聞いて周囲がざわつきだす。

 

 そんな空気と私の冷え切った眼差しをものともせずギースは「そうだ!!」と力強く宣言をした。 


 恐らくここで私が適当に言い包めて、彼を部屋の外へ連れ出しておけば今回の件はぎりぎり笑い話として終わったのかもしれない。


 滑りに滑った道化劇として。いつまでも陰で笑われ続けるだろうがこの場での婚約破棄は回避できただろう。

 それぐらいギースの言い回しは分かりづらかった。


 身内に似たような物語体質の存在が居なければ私だって彼の台詞への通訳者が必要だったと思う。

 でも私は誤魔化さなかった。寧ろわかりやすく事態を周囲に解説した。


「受け容れてくださいお姉様、殿方が望むのは美しく冷たい氷の花ではなく春の陽だまりの愛なのですわ!」


 花の妖精アンジェラが舞台の中央にしゃしゃり出てくる。陽だまりなのか花の妖精なのか役柄を統一して欲しい。

 私の心が冷たいとか言っているが単純にこの男女二人の頭が茹っているだけだと思う。


「つまり私の妹のアンジェラと私の婚約者のギースは既に密通していて、私は二人の結婚に邪魔だから婚約破棄を受け入れろと?」

「まあお姉様、なんて悪意に満ちた仰い方!流石悪役令嬢ですわね!!」


 出会ってしまった運命の二人になんていうことを!


 そう自分の立場を考えずに私を非難する妹に怒りよりも呆れがわいてくる。

 彼女の社交界デビューは早すぎたようだ。いや一生社交界に出さない方がよかったのかもしれない。

 私の再度の翻訳を通じて事態を完全に呑み込んだらしい周囲を見渡す。


 ギースの父親であるハーレイ伯爵は顔を赤黒くしている。それはそうだ。息子が自ら大恥をかいている。泥酔して裸踊りの方がマシな程の。

 その隣ではギースの弟であるカインが怒り半分呆れ半分に青い顔をした母を支えている。

 何度か話したことがあるがアンジェラと同じ年齢とは思えない程しっかりした青年だ。そして兄よりも確実に賢く家のことを考えている。


 いやこの場合年相応でないのは愚妹なのかもしれない。

 カインは父である伯爵に何事か耳打ちをすると伯爵夫人を抱えるように退出していった。今にも倒れそうな母を別室で休ませるのだろう。

 私の身内はというと、口から泡を吹いて倒れそうな父に少し同情した。でも、ほんの少しだ。

 女は夢見がちで馬鹿な方が可愛いとアンジェラを甘やかし逆に「お前は性格がきつすぎる」と私に説教をしてきた報いだ。


 夢見がちで馬鹿な女が愛らしく見えるのは、その女性が殿方にそう見えるように計算して振舞っているだけだ。


 しかしアンジェラは良くも悪くも『本物』だった。計算などできない本当の馬鹿だった。

 そういえばギースは父とよく似ていた。外見ではない、中身や価値観がだ。

 だからこそ本当の父子のように懇意にしていたが今後はどうだろうか。


 そしてアンジェラの母親は非常に複雑な表情をしていた。

 先妻の娘である私が集団の前で婚約破棄をされ恥をかいているのが嬉しいという隠し切れない下卑た笑み。

 だが今後を考えるとまずいのではという焦り。どうやら彼女は今回の件では娘の『協力者』ではないらしい。


「愛のない政略結婚など不幸になるだけ、これはお姉様を考えてのことでもあるのですよ?」


 ほぼ貴族しかいない集団の中でアンジェラは踊るように地雷を撒いて自ら踏んでいく。軽やかというか、軽い。頭が。

 わかりやすいぐらい私の妹と婚約者は馬鹿だ。現実は舞台劇ではない。そして二人は役者としても三流だった。


 私は息を大きく吸った。そしてはっきりと口に出す。


「婚約破棄はお受けします」   


 単純な二人は一瞬後に喜びの表情を浮かべる。だが三流役者がろくでもないことを言い出す前に私は肝心の主張を口にした。

 二人が恋仲なことを本日初めて知ったこと、そして婚約破棄に関しての打診は今まで一切なかったこと。

 結婚式のドレスについて来週辺りにギースと話し合うことをとても楽しみにしていたこと。


 血は繋がっていないが、それでも大切な妹の社交界デビューを祝いたいと思いこの場にいたこと。

 私は二人と違いそれらの主張を一度で伝わりやすく語った。わざとらしい涙はいらない。


 令嬢は大勢の前で大袈裟に泣いたり笑ったり騒いだりしないものだ。それを貴族である大部分の観客たちは理解している。


「私を氷のように冷たい女だと言いましたねギース様、婚約者にそう思わせてしまった非は私にもあるのでしょう」

「お、おう」


 私がギースに向かって悲し気に微笑みかける。ろくな受け答えもできず彼は口をモゴモゴさせていた。

 用意された台詞以外話せない男なのかもしれない。ならばこのように大それたことはしなければよかったのに。 


「けれど私にも当然感情はあります。 ……このような目に遭ってまで生きていたくないという絶望の感情が」


 ですので今から死にますね。元婚約者と愚妹は「えっ」と口にしたきり間抜けな顔をしたまま固まる。

 私は彼らを背にして場の中央から駆け出した。一生に一度の全力疾走だ。


 令嬢をお止めしろという誰かの言葉にさえ追いつかれないように必死でバルコニーへ出る。

 辿り着いた目的地のすぐ下は真っ暗な闇が広がっていた。運河だ。


 この国では式の後この運河を船に乗った新郎新婦が一巡し祝われる。そして親類たちが上から祝いの花を降らせる。

 その為に貴族の邸宅は大抵運河に密接した大部屋とバルコニーが存在した。 

 

 暗い河を真下に、そして真っ白なバルコニーを背に私は妹と婚約者を含めた観客たちにぎこちなく微笑みかける。


「……私が氷の女ならば、きっとこの水に溶けて消えてしまえるでしょう」


 二人の幸福の為、私は死にますね。

 あっさりと口にする私を愚かな恋人たちは「えっ」と言いながら間抜け顔で見守る。


「妹のデビュタントを汚す愚かな姉をお許しください」


 そう一礼して私は闇を湛えた運河へと飛び込んだ。

 生まれて初めて己を物語のヒロインのようだと思った。



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