二章 一節 三項

帰還






 雀のような鳥が、窓の向こうで甲高く歌う朝。

 目覚めると、尻が宙に浮いていた。


 ――寝惚けてんのかね。


 取り敢えずベッドから抜け出て、顔を洗いに一階の水場へと向かう。

 些か面倒ではあるけれど、バルゴ領はアクエリアス領ほど水源に恵まれておらず、個室まで水道が引いてある宿は今までの滞在先よりグレードが数段上がってしまうのだ。

 素泊まりでも五十銅貨前後が最低ライン。日本円に直すと、およそ二万から三万。馬鹿らしいったらない。

 第一、生活用水を汲むため毎朝井戸を何度も往復しなければならなかったダルモンとの暮らしを思い出せば、ずっとマシだ。


 と言うワケで、洗顔と歯磨きを済ませた後、部屋まで戻る。

 尻……正確には女性の下半身らしきそれは、変わらず浮いたままだった。何やら、じたばた荒ぶってる。

 改めて観察すると、天井近くの空間を波紋が揺らめき、その中心部より生えている模様。


 ホント、なんなんだろコレ。少なくとも寝惚けて見間違えたって線は消えたが。お化けなんてあるさ。


 俺には理解不能な超常現象だし、ひとまずジャッカルを呼ぶべきか。しかし微妙な時間帯で悩む。

 彼女、寝る際は全裸派なんだよね。ハガネと比べて寝起きも悪い。起き抜けを訪ねると、下手したらそのまま出て来る。

 前、一度あった。驚き過ぎて心臓止まるかと思った。


 …………。

 ともあれ考え込んでも詮無いので、未だ大いびきで眠るシンゲンを起こし、引っこ抜いてみることにした。






「助かりましたぁ。途中で荷物がつっかえちゃって、もうどうしたものかと……」


 下半身の正体はカルメンだった。なるほど、どこかで見た尻だと思ったんだ。


 紙袋とキャリーバッグを傍に置いた彼女は、十日ぶりに五人揃った朝食の席で照れ隠し気味に笑う。

 その姿を見るや否や肩へと留まったピヨ丸が、嬉しそうに喉を鳴らしていた。

 癒し系オーラの為せる技か、時には村ひとつすら壊滅させるほど凶悪な危険種が、まるで愛玩動物。

 あの羽トカゲ、俺には全く懐かないくせに。


「あ、皆さんにフランス土産があるんですよぉ? どうぞどうぞ、受け取って下さいな」


 そう言って紙袋から取り出される品々。

 ……エッフェル塔の置物とか、凱旋門の写真がプリントされたTシャツとか、チョイスは正直かなり微妙。

 でもまあ、一応受け取っておく。寝巻きぐらいにはなりそうだし。


「パリ饅頭……なにゆえ和菓子……む、案外美味いな。ところでカルメン、地球まで帰ってみてどうだった?」


 手早く菓子の封を開け、頬張りながら、ジャッカルが問う。

 近頃めっきり暑くなった此方と違い、地球の北半球では冬真っ盛り。着込んでいたカーディガンを脱ぎ、暫し思案するカルメン。


「んー。私と周りとの間で、二ヶ月分ほど認識のズレがあった点以外では特に。髪が少し伸びてましたから、そこを不思議がられたくらいですねぇ」

「差し当たって移動に大きな問題は無い、と」


 頷いて流すジャッカル。いや、割と問題あるんじゃなかろうか。

 こっちで長く過ごすに連れ、元いた場所との間で広がる時間感覚の剥離。重ねて、髪が伸びてたってことは肉体年齢も同様にズレて行くと考えるべき。

 向こうに帰る気など毛頭無さそうな三人は兎も角、俺とカルメンにとっては無視できない話。

 あまり交々が離れ過ぎると、日常生活にすら障りが生じる筈。色々制約もあるし頻繁には行き来できないけど、せめて忘れたら困る情報のメモ書きくらいは残しといた方が吉だな。明日やっとこ。


 尚、食事を挟みながら続くジャッカルとカルメンの問答を聞くに、浮遊大陸の物品や動植物は門を潜れず、地球へ持ち込むのは不可能らしい。

 つまり、戻る時は服を着替えておかなければ、場合によっては唐突な全裸という状況もあり得る、と。

 自分の部屋に一人で居た俺はそうなっても困らないが、シチュエーション次第では大騒ぎだ。


「あと、異能も上手く使えませんでしたねぇ。存在自体、私の中から大半が削ぎ落ちてたみたいで。今はと分かりますけど」


 そこに関しては、どっちにしろ二度と日の目を見せる気は無いんで、マジどうでもいい。

 寧ろ徹底的な消滅を希望する身からすれば、有り難いとすら言える情報だ。

 良かった良かった。


 ――ん? いや、ちょい待ち。使えない? 


「はい、解放パージは無理っぽいです。けど表出フェイスくらいなら普通に大丈夫でしたぁ」


 ふわふわ笑いながら、掌上で冷気を渦巻かせるカルメン。

 やがて形作られた真球の氷玉に映り込んだ俺の顔は、盛大に引き攣ってた。





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