第5話【前編】 アーテル村 コアラファミリー
ウィリアムは全く知らない天井…ではなく少し見慣れた天井を見つめていた。
“あぁ、朝か”
この国にはあまりベッドで寝る習慣が無いらしく、ウィリアムはキャンプでもしているような気分で床に寝ている。
慣れないが体が疲れているのか眠ることは出来ている。それはそれでありがたかった。
ウィリアムはもう一人の留学生が来る前に、少しこの村の探索へ出かける事にした。
最初は祖母についてきてもらおうと思ったが、家事をしたり農業の仕事を手伝ったりで結構忙しそうにしている。
初めてこの国へ来た時、チラチラと街並みは見ていたがゆっくりと見るのは初めてだ。
この国に来てまだ数日。
家の中から出るのは初めてだが、祖母に出かけると伝えて地図でも持っていけば大丈夫だろう。
そう思い部屋から出て階段を降りた。
しかし一階は静まり返っていた。
ご飯を食べる部屋に入ってみると、そこには一人分のご飯が用意されていた。
手紙があったが読めない。
ちょっと困ってしまった。
これは食べていいのか?いけないのだろうか?
別の部屋に誰かいないか探しに行く事にした。
家の中をくまなく探したが誰も居なかった。
仕方なく、二階の部屋に戻って母の部屋にある本を持ってきて、手紙を解読してみる事にした。
ウィリアムが持ってきた荷物にも母が用意してくれた本がある。
その存在も思い出したウィリアムは、それも持っていく事にした。
何冊か本を持って下へ降り、ご飯を食べる部屋に入り手紙を手に取り、そこの座布団の上に座った。
本を広げ手紙に書いてある文字と照らし合わせると、
『ご飯食べてね、ういりあむ』
と書いてあるようだ。
なんだ、これは食べて良いのか、と思いご飯の上にかかっている傘のような形の網を取ってご飯を食べ始めた。
誰もいないとなると出かけるのは難しいかもしれない。
鍵は持ってないし、ウィリアムが家の中にいないと気付いた祖父母が慌ててしまうかも知れない。
そう思い、これを食べてテレビでも見ていようと思った。
テレビをつけると聞きなれない言葉が沢山聞こえてくる。
意味は分からないが見るだけ見てみようと思い、ウィリアムはご飯の乗っていた皿はそのままにテレビを見続けた。
着替えも歯磨きも顔も洗ってない事に気付いたが、とりあえずこのままのんびりする事にした。
午前中が終わる前に起きたつもりだったが、思ったより遅く起きていたようで、すぐに昼になった。
戸を開ける音がして少し身構えた。
廊下を歩く音がして、その音は今、ウィリアムがいる部屋に近づいた。
「あら、ういりあむ、おはよう」
その声は祖母だった。
「おはよう、おばちゃん」
まだ、おばあちゃんと呼ぶのは難しかった。
慣れた言葉じゃない言葉というのは言うのが難しい。
それを分かってくれているのか、祖母も祖父も言葉を無理に直そうとしたりはしなかった。
自分達も同じだからこそ、そっとしといてくれるらしい。
ウィリアムは片言ながら外に出たいと伝えた。
祖母は「分かった、けど地図は無いのよ。そうだ、準備したらこの部屋に戻ってきて!案内人のところへ連れていってあげる」と言ってくれた。
その辺に転がっていた本を二人で読みながら会話をした。
意味不明な部分はあったものの少しは会話が進んだ。
そのおかげで二人は少しだけ意思疎通できる量が増えた。
ウィリアムは出かける為の準備をしに部屋を出た。
祖母は皿を片付ける為、台所へ向かった。
二人は一旦離れ、再び部屋で再開すると「案内人」という人が住んでいる家へ向かう為、二人は部屋を出た。
久しぶりのように感じる外出だがそんなことはない。
時間の感覚がおかしい。それでそう感じてしまうのだとウィリアムは思った。
異国の地というのは恐ろしいものだ。
外は外で見慣れない景色が広がっているのはやはり落ち着かない。
キョロキョロと色んな所を見てしまう。
祖母と離れないように歩きその家に向かう。
村はそこまで広くないようで、それで地図という物は必要ないらしい。
もちろん地図自体はあるが、国の全体の地図なら公共施設に置いてあるらしい。
地図が無くても狭い村の中なら、沢山歩くだけで覚えてしまうらしい。
もちろん郵便配達の人などは村の地図を持っているだろうが、一家に一枚という事は無いらしい。
しばらく歩くと狭小住宅が見えた。
「モグラの家」と書いているが下にちゃんと名前が記載されている。
「昨日の村長さんチよ」
「そんちょう」という言葉を聞いてなるほどと思った。
チャイムを鳴らすと「村長さん、コアラです」と祖母が言った。
すぐに応答がありモグラの獣人が顔を出した。
「あら奥様、こんにちは。今日はどうしたの?」
「実は、ういりあむが外に行きたいというから、旦那さんに案内役を頼もうかと思って」
「ごめんなさい、今出かけてるのよ。ちょっと待って、息子なら暇してるから」
そういうとモグラの獣人は部屋の奥へ入って行ったらしい、音が聞こえなくなった。
少し間をおいてモグラの獣人は再び戻ってきた。今度は玄関のドアが開いた。
「こんにちは、奥さん、hello William」
「こんにちは、ういりあむ、村長さんの奥さんよ」
「hello」
挨拶を済ませると、もう一人が顔を出し、やはりアーテル語と外国語で挨拶をした。
村長の息子だという男は祖母の説明を聞き、快く引き受けてくれた。
準備してくるからそのまま待っていてくれと言い残し、一旦玄関に入り祖母と村長の奥さんは何か話し始めた。
何分かして息子がもう一度玄関に現れると「じゃあ、Williamに村を案内してきます」と告げた。
祖母と村長の奥さんはなにか会話をして、息子はウィリアムにも分かるように説明してくれた。
ぞろぞろと玄関を出て村長の奥さんと別れ、祖母も自宅へ帰るという事でそのまま帰って行った。
村長の息子とウィリアムの二人は改めて自己紹介をして村の探索に出発した。
村はやはり狭かった。
それでも色々な建物を見て回るのはそれなりの時間がかかった。
隣町の方にも出かけ、喫茶店に入り休憩を取って村長宅へ帰ってきた。
村長宅は見える部分は極小住宅だが、縦に長い家だった。
お邪魔させてもらい居間に通された。
外国語、特に共通語と呼ばれる言葉を話せるのはウィリアムにとってとてもありがたかった。
思わず長時間、話してしまうが村長の息子は嫌な顔せず聞いてくれた。
言葉を覚えるのも協力してくれるという事で、ウィリアムにとってはとても嬉しい事だった。
「通えるなら毎日、午後二時ごろから二時間くらい教師を務めるよ」と言ってもらえたのでそうしてもらう事にした。
それから様々な事を話して時間はあっという間に過ぎた。
チャイムがなり数分で「おばあちゃんが迎えに来てくれたわよ」と言われたので、ウィリアムは感謝を述べて村長家を後にした。
祖父母宅へ帰宅すると祖父が帰っていた。
「おかえり、ういりあむ」
“おかえり”は挨拶“ただいま”と返すのだと母から教わっていた。
「ただいま」
「楽しかったか?」と聞かれたが、その言葉が分からないので黙っていると祖母が助け舟を出してくれた。
それでなんとか言いたいことは理解できた。
ウィリアムは笑顔でうなずいた。
「そうか楽しかったんなら良かった」
「そうね」
祖父母は微笑んでいる。
ウィリアムも微笑んで祖父母の顔を見ていた。
あれから一週間がたった。
留学生の子が来るのは少し伸びてしまった。ウィリアムは残念に思ったが、この話が無くなったわけではない。まだ希望はある。
その代わりアーテル語の勉強と村の探索町の喫茶店への行き方などは、何回もおこなって道を覚えた。
シンプルな道で助かった。
これが広い町でごちゃごちゃした街並みなら一週間では覚えられなかっただろう。
言葉も人に教わっているからか、一人で本を見ているより分かりやすかった。
話し相手になってくれるのもありがたい。
見知らぬ土地で、祖父母以外に知り合いがいないこの状況は、もしもの事を考えるとかなり恐ろしい。
ウィリアムは村長一家の獣人達に感謝していた。
「おじいちゃん、おばあちゃん、おはよう、こんにちは、こんばんは、いただきます、ごちそうさま、いってらっしゃい、ただいま、たのしい、うれしい、かなしい」といった言葉はちゃんと覚えた。
母親からも教わっていたが、しっかり言えるようになった。
やはり外国語を覚えるのは簡単ではない。
この国に来るまでの期間が、普通の学生のような時間が取れなかった事もあるが、情報が少なすぎて母親から学ぶ事しか出来なかったというのが上手くアーテル語を話せない理由だった。
しかし今は心強い味方がいる。
もっとちゃんと沢山の言葉を覚えて祖父母と難なく会話をしたいと思っている。
留学生が来るのはさらに二週間後との事だ。
それまでまた新たな言葉を覚えたり、アーテル国の事をもっと知りたいと思っている。
二週間の間さらなる成長が必要だ。
ウィリアムは自身の勉学への情熱がさらに高まった。
「よろしく、わたしは、うぃりあむです。あなたの、ねーむ、あー、なまえは?」
あれから二週間さらに言葉を覚えられた。
疲れてしまうため限度があるが、この国に来て三週間。
初めて母からアーテル語を学んだ日から少しずつ上達していた。
簡単な言葉は喋れるが発音などは難しい。皆、外国語を喋る時というのはどうしてもしょうがないもんだ、と村長の息子であるアーテル語を教えてくれる“先生”はそう言っていた。
ウィリアムも先生という職業に憧れ、今は大学で先生になる為に学んでいるが、ここで先生という職業についていなくても、教えるのが上手い人というのがいるものだと思った。
ウィリアムも教えるのが上手い人間に憧れている。
今はまだまだでも、いつかはそんな「先生」になりたい。
特に小学校の先生に憧れを抱いている。
子供が好きで子供達とふれあい、学びの楽しさを教えてあげたい。
それがウィリアムの夢で理想である。
叶えられるかはウィリアム次第である。
ここで経験したことも直接的には関係なくてもいずれ役に立てば良いと思っている。
今日は祖父母は朝から出かけていた。
畑だの田んぼだの所有していて、何人かと手入れや管理している為、普段から何かと留守にしているのだが、今日はやっと留学生がこの国へ来る事となった為「市街地」という場所まで迎えに行くらしい。
自分がこの国に来た時もそうだった。祖父母はトラックで迎えに来ていた。
つい三週間前の事を何ヶ月も前の事のように懐かしく感じてしまう。
ウィリアムは珍しく朝早く起きて祖父母を見送った。
その後、数時間ほど軽く睡眠をとり、今はご飯を食べる部屋でテレビを見ている。
ご飯時は見れないが、祖父は自分がご飯を食べ終わるとすぐにテレビをつける。見る番組は決まっているらしく、いつも同じ番組を見ている為、なんとなくウィリアムも曜日と時間と番組は覚えてしまった。
テレビを見る方法も分かるようになってきた。
番組は適当に選んでいる。
言葉が分からない為、音声は流れっぱなしだ。
ある程度ゆっくりなら分かる言葉も増えたが、テレビに映る獣人達の言葉はほとんど分からなかった。
何に笑っているのかも、泣いたり怒ったりしているのかも分からない。とりあえず流している。
テレビに見飽きると二階に行って母の部屋の私物を漁ったり、言葉の勉強をしたりして過ごした。
「昼ご飯は、村長さんの奥さんが来て、ご飯持ってきてくれるから、それを食べてて」と祖母は言っていた。
言葉はこの国に来た時より半分くらいは理解できるようになっていた。
ジェスチャーも入れてくれるから、分かりやすいのかもしれない。
祖母も少しだけ外国語を喋れるようになっていた。
自分と会話したい気持ちが強いらしい。
祖父も同じらしいが、外国語の出来は祖母の方が早かった。
おかげで祖母とは会話が増えた。
祖父ともそのうち会話が出来るようになるだろう。
焦らずゆっくりと会話への階段を上がって行こう。
ウィリアムも祖母も同じ気持ちだった。
留学生が来たら、さらに賑やかになるだろう。
自分も話し相手が増えるのはとても楽しみだ。
それ以外の楽しみもあるが、今は到着を待つのみだ。
留学生が家に来るのには、やはり時間がかかった。
挨拶をすると彼女は「クロエ」と名乗った。
コアラの獣人の女性で、正直ウィリアムの好みの女性だった。
いつもご飯を食べる部屋でお茶を飲みながら話をする事となった。
クロエは多少なりと疲れている表情に見えるが、移動疲れだろう。
慣れない家でくつろぐのも気を使い疲れるだろう。
ウィリアムもそうだった事を思い出す。
クロエに関してはある程度、こっちの言葉も覚えてきたらしいが、やはり難しいのだろう。
ウィリアムも助け舟を出すが、たまに会話がかみ合わない。
まぁ最初はこんなもんか。
ウィリアムだってそうだ。まだまだ会話が上手く行かない時もある。
クロエはこの国のお茶にものすごく興味があるようだった。
味はあまり美味しく感じないらしいが、これを栽培している場所へ行ってみたい、興味があると言っていたが、隣の村で作っているらしい。
隣の村は緑が豊富で農業が盛んらしい。
こちらは元々の土地で、王政になるまではこの村の者が管理していたが、王政になり土地が開拓され、農業系はそちらの方が良いらしい。
その土地へはバスで行けると祖父は語った。
クロエは興味を持ったようで、行きたいと言い出した。
それなら今度行こう、と祖母が言ってくれた。
簡単にお菓子やお茶を飲んでクロエは部屋へ案内されて行った。
ウィリアムも部屋へ戻る。
「夕飯は、簡単な物になるけど良い?」と先ほど祖母が言っていた。
「女性には旅が辛いのよ、ましてや一人で来る訳だから、大変なのよ」
部屋の外でそっとウィリアムにだけ告げた。
「少し休んでから、夕飯よ」クロエにはそう伝えていた。
ウィリアムは部屋で本を読んで時間をつぶすことにした。
学校の勉強も忘れた訳ではないが、今はこっちの事で頭が一杯だ。
母の本棚に入っている本を訳しながら読んでいる。
全く内容が頭に入って来ないが、内容より言葉を覚える事が大事だ。
ちなみに本の内容は分かる範囲ではあるが、恋愛小説のようで男女の会話が時折、織り交じる。
それが少しだけ分かる程度だ。
母の若い頃はこんな本を読んでいたのか。
ウィリアムはなんだか新鮮だった。
母も昔は「少女」だったのか。
なんだかおかしな話だと思いつつも読み進めた。
本を読んでしばらくすると「夕飯よ」とドアの外から聞こえてきた。
ウィリアムは本を片付けると部屋から出ていった。
その日の夕飯はやはり簡単な物だった。
ウィリアムが来た時より質素というかなんというか…「ごちそう」とは程遠い料理が並んだ。
クロエは先ほどより疲れは取れているようだが、それでもやはり元気がないように見える。
なるほど祖母の言う通りだ。簡単な物でさえ口にするのに戸惑っていたり、咀嚼がやけに遅い。
そうかクロエは純粋な外国出身者で、今までアーテル国の料理など食べた事ないだろうし、血縁関係者でもない全く血の繋がらない者達に囲まれ緊張もあるだろう。
それに警戒心も…。
疲れだけじゃなく精神的に食欲が湧かない状態の彼女に「ごちそう」は食べるのが困難だ。
“それで「簡単な物」なのか。”
そこでウィリアムは今日の夕飯に納得した。
今日からクロエもこの家で過ごし期間が来たら母国へ帰る。
ウィリアムもクロエは同じ年で学んでいる物は違っても、留学生の大学生同士だ。
年齢が違い、国も違えば話すことはあまりないだろうが、出身国も同じである。
母国が広いから、クロエがいた地域とは離れた場所に住んでいるが、もしこの土地に来ていなかったら広い母国で出会える確率は低い。生活圏でもなければ会うのは難しいだろう。
旅行に出かけて初めて会う確率が増えるかという感じである。
だからといってこの国で会う方のが確立が高い、という訳ではない。むしろこの国で会うなんて奇跡だ。
だからこそウィリアムは運命を感じた。
一目見て魅力的だと分かる。
クロエに出会えた事は奇跡に出会えたものだ。
これはクロエと仲良くなり恋仲になる必要がある。
ウィリアムは明日から多少強引にでもクロエと仲良くなろうそう決心した。
“まずは、緊張を解いてもらおう”話はそれからだ…。
翌日からウィリアムはクロエに積極的に話かけた。
それでもクロエの気持ちも大事である。
あせり過ぎないように気を付けながら徐々に話を広げる。
ウィリアムは誰かと話すのが得意だった。
いつもウィリアムが話すと場が和む事が多かった。
誰からか「羨ましい」と言われたことも「スケベだから、そんなに女が寄ってくるんだ」と嫌みのような言い方をされたが、それは誉め言葉だろうと受け取める事にした時もある。
実際その言葉を発した男は口下手で話が下手で『モテる男』というのと程遠い男だった。
その男は、ウィリアムが女性を優しくエスコートしている時、何度も“冷たい視線”を送ってきていた。
ただし心の奥には“悔しい”というような感情が隠れているようだった。
『全く、自分のダメな部分を直せないような男に、魅力を感じる女性がどこにいるんだよ。』
ウィリアムはいつも、その男に会うたびにそう考えていた。
その男は今、大学にいないウィリアムの事をどう思っているのだろう。きっとウィリアムがいない事をチャンスとばかりに思っているだろう。
そして口下手話下手な男が、女性にアタックしては振られているんだろうと、なんとなくだがその姿を想像出来た。
ついでにその男は女性より強い自分を演じ、いつも女性に対し強く当たっている。
それでは女性はなびかない。
確かに「強い男性」にひかれる女性もいるが、それは彼の見せている強さとは違う物だ。
『女性の扱いは、絹のハンカチでも扱うよう、優しく扱うんだ』と誰かが言っていた。
あれは、ウィリアムの父だったか?
『それで、俺はお前の母さんを手に入れたんだ』
そうだ、そう、自分の父だ。
こっそりと父はウィリアムに教えてくれた。
あれは初めて「失恋」をした日だった。
まだ自分も子供で、今よりも女性の扱いが下手な時だった。
部屋で失恋の傷を癒す為、物に当たっていたのを父が止めに来た。
叩かれるかと思ったがまさかの「失恋した時は、ただ、物に当たり散らしてはダメだ」という言葉から始まった。
なぜ失恋の事実を知っている?とも思ったが、父は「なんでもお見通し」と言っていた。
その後、父はウィリアムにピアノを用意してくれた。
「情熱をすべて、ピアノに注げ」
それからのウィリアムは父の言われた通り、情熱はピアノに注いだ。
悲しい時、嬉しい時、怒りをどこにもぶつけられない時など…とにかくピアノを弾いた。
弾くと落ち着きを取り戻せる。
これはウィリアムにとって良い気分転換になる。
そこからウィリアムはピアノが大好きになった。
今は弾けないがその分、母の本をめくると不思議と気持ちが落ち着いてくる。
母の持ち物の古さ加減、それが良い仕事をしてくれる。
「全く、父や母には敵わないな。」
思わず独り言をつぶやいてしまった。
クロエが来てから時間が経つのを早く感じるようになった。
もう一週間も経ってしまったのか。
自分がここへ来た時はとても長く感じていたのに。
これもクロエのおかげだろうか。
ウィリアムが本領発揮したおかげで、クロエはほんの少しだけ心を開いてくれた。
クロエがこの土地に来て学びたい事は、農業や植物についてもっと知識を付けたくてやってきたらしい。
普通は自分の国で学んだり、発展した国の新しい技術に興味を持ち学ぶ学生が多いらしいが、クロエはアーテル国のようにまだまだ発展が遅い場所の方が興味あるらしく、大学でアーテル国の事を学んでいると、同じ学科を学ぶ学生に笑われたと言っていた。
どこの国でも、自分が学べる環境があればその国について興味が湧くのは当たり前。
どんな国でも食事は必要だし、それをどのように育てたりしているのかと気になるから来た。
環境によって育ち方が変わり、育つ植物は国ごとに違う。
小麦を主食に生きる場所があれば米を主食に生きる場所がある。
そういう自国だけでは学べない事を学びたいのだという。
なにもアーテル国のような小国でなくても、その大陸には大きな国があるだろう。そこではダメなのか?とも言われたが、小国など誰も興味を示さないような所こそクロエにとっては気になるらしい。
「誰も興味ないからこそ、新しい発見が出来るんじゃないかって思って、それでこの国の出身者である教授の元を訪ねて、この国について聞いたの。調べ物も手伝ってもらって、親切に教えてくれたわ」
そう話すクロエの瞳はやけに輝いていた。
ウィリアムは一瞬、その輝きは危険なのでは?と思ったが、すぐに尊敬する眼差しだと気が付いた。
「居間」と呼ばれる部屋で二人は向かい合って喋っていた。
祖父母は出かけていて、夕方には帰ってくると言っていた。
この一週間、ウィリアムは村長家に行ったり村の中を散歩して過ごした。
祖父母の畑や「田んぼ」と言われる場所に一緒に行って、手伝ったりして一日を過ごしていた。
クロエはその間一人で過ごし、旅の疲れを癒していた。
一緒の時間は、ウィリアムと話したり祖父母と話したりして過ごしていた。
だいぶ癒されたらしく、そろそろクロエも外に出たいと言い出したので明日は外に出てみる事となった。
それまでに行きたい所を考えてみる事になり、クロエはここに来る理由を話してくれたのだ。
ウィリアムはなぜここに?と聞かれた為、ウィリアムは正直に自分の事を話した。
留学期間は一、二週間で終わるものではない。
この期間は学ぶための期間であるが交流するのも目的に入れている人も多い。
特にウィリアムにとって思いもしなかったチャンスだ。
突然舞い込んできた「クロエ」という名前の女性。
これは男女として深く交流するのも勉強の一角だ。
ウィリアムはいつもチャンスを狙っていた。
今日、明日、いや、いつでも!
クロエとの時間は長いようで短い。
チャンスは一瞬…どころかいつでもチャンスだ!
絹のハンカチだと思って優しく!そして楽しいお喋り!これだけだ。
ウィリアムはそんな事ばかり考えていた。
クロエを外に出すと、大きな深呼吸をして大地の匂いと空気を、体の中一杯に吸い込んだ。
「はーあ、空気が全然違うわね、なんだか匂いも違う気がする。ようやく外に出れたのね、なんだか素敵」
といってもアーテル国はいつもどんよりしている。
こんな天気で「素敵」なんて、クロエの価値観は理解がしがたい。
「どんよりした雲の下、なんだか新鮮ね」
確かに母国は温かい地域だった。
「こんな天気の下でも作物は育つのね、不思議だわ」
この国で普段過ごすには特に何も思わなかった。ウィリアムとは違う感覚の持ち主なんだろうか?
同じ国で育ったのに、なんだかそっちのが不思議だ。
「ウィリアムは、私の顔を見て、不思議そうな顔になってる」
「そう?」
「そうよ、なんでこんな天気の下、深呼吸したり出来るのかって、顔」
ものの見事に考えていた事を当てられてしまった。
「そんな顔してたかな?」とは言ったものの、あからさまにそんな顔だった。
「家の中は家の中でゆっくり休めたし、良かったわ。でも、私はどうもずっと家にいるのが苦手で、すぐに外に出たくなっちゃうの。だからかな、外の空気を思い切り吸いたかったのよ」
「なるほど」
「あと、天気や匂いはその国独特の感じがして、新鮮に感じるのよ。私がいた国とは大違いな感じがとっても面白いわ、あー、別の国にいるのねー!って感じ」
「へぇ」
「ウィリアムは、最初、どう思ったの?」
「俺は、ここが母の生まれ育った場所か、っていう思いが強くて、あまり外の空気が!とか、天気が!っていう感覚は無かったかな。全くないわけじゃなかったけど、いつもどんよりした天気と母から聞いてたから。暗い所だって。だからクロエほど、天気や空気とかそういうのに、興味が無くって…」
「まぁ普通はそうよね。特に慣れちゃってると何も思わなくなっちゃうしね。大半の人がそうよ。私だって外に出たのが嬉しくって、つい深呼吸しちゃっただけだから。でも天気や匂いって、大事だと思うの。まして別の国に来てるんだから、思う存分、その国の空気や匂いを感じ取らなきゃね」
「そういうもなのか」
「そうね、私はそう思うわ。それにしてもほんとどんよりした天気ね。私も話には聞いてたけど、まさかここまでとは思わなかった。」
「母はこのどんよりした天気や、いつも暗い感じが嫌だったらしい。俺はあまり気にしないけど」
「そうね、気にしない人は気にしないと思うわ」
「クロエは、他にどんなことが気になる?」
「一番はやっぱり、この天気で作物は本当に育つのかしら?そこをまず、調べたいわ」
「わかった、おじいちゃんの畑や田んぼを見に行こう」
「そうね」
今までは慣れない環境の中、見知らぬ人に囲まれて食べたことも無い食品を口に入れ、言葉もほとんど分からないとこに一人でポツンといた気がして、いつもの自分を取り戻すのに少し時間がかかった。
いつも窓を開け空気を入れ替えて、外の様子も見ていたが外に出たい気分にはなれなかった。
「ウィリアム」という同じ年の男性が唯一の話し相手だったが、男性という事で警戒していた。
しかしウィリアムは優しく、話の面白い男性で無理に距離を縮めようとせず、ある程度、クロエのペースを考えてくれた。
女性慣れしているのか、どこか女性っぽい性格なのかは分からないが、とにかく物腰柔らかく、どこかウィリアムの祖母と似ていた。
長年会わず別々に暮らしていたらしいが、そんな風にはあまり見えないほど彼は彼の祖母に似ていた。
“面白い発見ね、生きる国は違っても、血縁者っていう存在は、どこかしら似るのね”
クロエはウィリアムの横顔を見てそんな事を考えていた。
二人で祖父の畑や田んぼを見に行った後、バスに乗って隣の町まで出かけ喫茶店へ入った。
ウィリアムにとっては最近よく来る喫茶店だが、クロエは初めてである。
ウィリアムがエスコートをして、クロエは何もしなくて良い様にしてポイントを稼いだ。
ここは店内も客も店員も皆が良い人だった。
雰囲気が良く内装は洒落た作り、お互い干渉せず好きに過ごす客は本を読んでいる者、店のBGMに酔いしれているように見せかけて睡魔に襲われている者、小声で喋っている者など実に様々だった。
ウィリアムとクロエが入ってきたところで誰も気に留めない。
声をかけてくるのは店員くらいだ。
ウィリアムはここが落ち着く店だとクロエに話すと、クロエも「とても良い店ね、なんだか時が止まりそうになってる」と言った。
顔をみればそれが嘘じゃないとわかる。
クロエはそういう女性じゃない。素直で明るく真面目な女性だ。
だからこそウィリアムは惹かれるんだと思っている。
自分では気づかないであろう、クロエの癖はなんとなくだが分かってきたような気がする。
お互い顔に出やすいタイプかな?
クロエは店の音楽に耳を傾け、キラキラした瞳で店内を見渡している。
万国共通「洒落た店」というのは女性を虜にするらしい。
これもまた、一、いや三ポイントくらい稼げただろう。
ウィリアムは心の中で点数を加えた。
その点数表はもちろんクロエが振り向いてくれるかの点数だ。
“とりあえず、今は順調だな”
ウィリアムは心の中だけで微笑んだ。
喫茶店を出て家に戻ると居間でのんびりする事になった。
まだ祖父母は帰って来ない。
夕飯までの間、二人で今後の事を話し合った。
クロエは祖父母の手伝いをしたい、祖父母と難なく会話が出来るようになりたいと話した。
それなら良い人を紹介すると、ウィリアムは村長の息子を紹介する事にした。
彼に聞いてみると言い、教えてもらっていたこの国の電話の使い方と村長家の電話番号が分かるから、電話してみると伝えた。
すぐに電話すると言いウィリアムは席を立った。
廊下にある電話台まで行くとゆっくりと電話を使い始めた。
何回かコールがなり女性の声が聞こえてきた。
ウィリアムが名乗ると高い声がさらに甲高い声に変わった。
息子さんを呼んで欲しいと頼むと快く引き受けてくれた。
少しの時間が空いて息子は電話に出た。
ウィリアムは事情を話すと「それなら明日の授業は二人で来ると良い。家族にも話しておく」と言ってもらえた。
簡単な雑談もして、ウィリアムは電話を切った。
居間に戻るとクロエに電話してきた事を伝え、明日自分が村長宅へ行く時、自分と一緒に行こうと、クロエを誘った。
クロエは喜んで「じゃあ、明日はまたこの国の人と交流できるのね!」と嬉しそうに話した。
ウィリアムはその嬉しそうな顔と声に心がざわついたが、これもクロエの為だと自分に言い聞かせ、クロエにぎこちない笑顔を向けた。
その日の夜、祖父母はいつもより少し遅い帰還となった。
祖母は「急いでご飯作るわね」といって台所へ行った。
祖父はウィリアムとクロエのいる居間に入ってきた。
祖父はこの部屋で過ごす時は必ずテレビをつける。
賑やかなテレビの音が居間の中に広がる。
いつもは、テレビを見ている時の祖父はとても楽しそうだが、今日はなんだかあまりテレビに集中できていないようだ。
どことなくなにか別な事を考えているような感じにも見える。
普段は笑いそうなシーンも笑わずに黙って見ていた。
しばらくして料理が運んでくると、いつもは嬉しそうにしている祖父は今日は気難しい顔をしている。
やはりいつもと少し違うウィリアムはそう感じた。
祖母もどこか元気がない気がする。
ご飯はいつも通りのメニューが出てきた。
クロエは毎回物珍しい料理に興味を惹かれメモを取っていた。
祖母と片言で会話しながら料理について話していた。
祖父は気難しい顔のまま「箸」という物を掴んで「じゃ、食べるぞ、いただきます」と言った。
ウィリアムも見習い「いただきます」と言って箸を掴む。
箸は上手く使えないが「フォークもあるわよ」と祖母に言われたことがあるが、ウィリアムは最初から箸を使って食べる事にしていた。
難しい物だけ置いてあるフォークを使って食べている。
汁物はスプーンで食べゆっくりと口に運ぶ。
その事は祖父も祖母もなにも言わなかった。
それでもウィリアムは、もう少し上手く使えるようになりたいと思っている。
母から「箸の使い方」については学んできたが、クロエが来てからさらにその思いが強くなった。
メモを終わらすとクロエも食べ始めた。
祖母は「はぁ」と珍しくため息をついた。
祖父は「おい、気を付けろ」と言ったが、何に気を付けろと言ったのか、ウィリアムは分からなかった。
「あぁ、すいません、気を付けます」
「ういりあむ、くろえちゃん、気にしないで食べてくれ」
ウィリアムはうなずき、クロエはなんだか分からないと言いたそうな顔でウィリアムを見つめた。ウィリアムがご飯を食べているのでクロエも食べ始めたが、祖母はずっと浮かない顔のまま食事を口に運んでいた。
食事が終わりウィリアムとクロエは二階の部屋に行き、祖父はそのまま居間でテレビを見て祖母は夕飯の片付けをする為、台所にいた。
クロエは自分が使わせてもらっている部屋に戻ったのだが、なんだか祖母の様子が気になり自分よりアーテル語を理解出来ているウィリアムに話を聞こうと、ウィリアムが使っている部屋の前まで来た。
戸をノックしてウィリアムの名前を呼ぶと、ウィリアムはすぐに返事をしてくれた。
中に入って良いか聞き「OK」と返ってきたのを聞き、クロエは戸を開け中に入った。
ウィリアムは椅子に座り本を手に持っていた。
「読書中?ごめんなさい、邪魔しちゃって」というと「いや、大丈夫、言葉の練習の為に本を開いていただけだから」と返ってきた。
クロエはさっそくウィリアムに先ほどの事を聞くと、ウィリアムもいまいち情報が掴めていない、分からない、ただしクロエがなにか悪い事をしたようには見えないと言われ少しほっとした。
しかしほっとしたのもつかの間、下から祖父の怒鳴り声が響いてきた。
ウィリアムもクロエもびっくりして言葉を失う。
何かあったのは確実だ。
ウィリアムは椅子から立ち上がり「様子を見てくる」とクロエに言い「クロエはこの部屋にいてくれ」と付け加えた。
クロエはうなずき適当に座る場所を見つけて座り、ウィリアムを見つめた。
ウィリアムは部屋から出て戸は閉めずに廊下へと歩き、階段の所まで行き下を確認した。
祖父母の声が響き渡っている。
ウィリアムはゆっくりと階段を降り居間を目指した。
「だから、俺は反対だったんだ!外国になんて嫁ぐなんて、バカな娘だ!」
「あの子は今、幸せに暮らしています!ういりあむを見れば分かるわ!とてもいい子だもの!」
祖父母の言葉はほとんど分からなかった。
こちらの国の言葉が分かるようになってきたとはいえ、早口だったりすると、とたんに分からなくなる。
ましてや怒鳴り声で喋る二人の会話は、言葉が分かる者同士の会話である。
気を遣わず喋る為、ウィリアムに解読は難しかった。
しかし自分の名を言われたのは分かる。
自分がなにかしてしまったのだろうか?
ウィリアムはショックを受けた。
それなら何か言って欲しい。
こんな怒鳴り声で喋る事は止めて欲しいと思った。
それに自分が何かしてしまったなら、謝らなければとも思ったが、何に対して怒られているのか分からない以上、ウィリアムはなにも出来なかった。
とりあえずクロエに報告しに行く為、再度二階に上がりクロエの元へと戻った。
部屋に入り戸を閉めクロエを見つめると、クロエは心配そうな顔でウィリアムを見つめていた。
「どうだった、なにかあったか分かった?」
「話の内容は、ほぼ分からなかった、だけど、僕の名を言ってたよ。」
「そう」
「なにかあるなら素直に話して欲しいけど、祖父母の事はあまり詳しくないからどう動いてくるのか分からないな」
「心配ね。なんだったのかしら?」
ウィリアムの返事はない。
クロエは心配そうな顔でウィリアムを見つめる。
自分になにか出来る事があれば良いのだが、今のクロエにはなにも出来る事は無かった。
落ち込んでいるウィリアムの顔を見ていると、こっちまで辛くなってくる。
その時、クロエの心の奥で何かが生まれるような感覚があったが、クロエはその事に気付かなかった。
翌日、ウィリアムとクロエはあまり朝早くに起きれず、いつも昼前に起きては昼ご飯と朝ご飯を食べるのが、お昼の時間帯になっていた。
その事をちゃんと理解して祖母はご飯を用意して出かけている。
居間にはメモ書きが置いてあり、ウィリアムが解読し台所からおかずが乗ったお皿と「おにぎり」という物を運んで、クロエが鍋の蓋を開けコンロに火をつけて汁物をあたため、器に注いで出来たものを居間に運んだ。
毎日やっていると、なれるもので最近ではメモを読むスピードも速くなれば食事を準備する時間も速くなってきた。
二人で居間の食卓に運び座布団の上に座りご飯を食べ始める。
今日は昨日の事もあり、なんだか沈んだ空気の中、食事する事となった。
昨日の夕飯前に決めたように、今日は村長家に二人で行く事になっている。
クロエは食べ終わった食器を台所に片付けてから、二階の自分が使っている部屋に準備をしに行った。
ウィリアムはすでに部屋に戻っている。
準備が出来次第、居間で会おうと話した。
二人は気持ちを切り替えて出かける事にした。
クロエは無意識にお気に入りのスカートをバックから取り出し着替えた。
グリーン系の小花柄のスカートは自分のお小遣いで買ったデート用の服で、特別な時があったら留学先で着ようと思っていた物だ。
無意識にクロエはこれを選んでしまった。
まるでウィリアムと村長家に行くのが特別な事のようになっている。
今まであまりオシャレはしなかったが、今日は久しぶりにオシャレをしてお化粧も気合が入った。
これでウィリアムは元気を取り戻してくれると信じて疑わなかった。
なぜだかそう思った。
昨日から自分はウィリアムの事が気になっている。
あの悲しそうな顔がとても印象が強く、そんな顔をしてほしくないと思い始めていた。
これは自分にとってもとても重要な事だった。
しかし、恋愛とかそういうのではなく、あくまで留学先で出会った同郷の獣人として気になっているだけだ。
別に特別な感情はない。
しかし、クロエが気付いていないだけで、心の奥では確実に何かが芽生えて育っている。
それはまだ成長は遅そうだが、クロエが気付いてしまった瞬間、成長速度は急激に上がりそうだ。
「はぁ、何事もないと良いんだけどそんなのは無理ね。人生なんていつも思い通りに行かないわ」
クロエはスカートをパンッとはたき前を向いた。
部屋を出て一階に向かう。
階段を降りて居間へと歩き、ウィリアムはどうしたか思いながら部屋を覗いた。
“あら?まだ来てないのかしら”
部屋の中には誰も居なかった。
“まぁ、座って待ってよ”
クロエはスカートが皺にならないようにして座布団の上に座った。
クロエはいつか大人になったら結婚して子供を持ち、お母さんになるのが夢だ。
庭で花を生けたり、畑を作り簡単な家庭菜園を作って自然に囲まれた場所で過ごしたいと思っている。
植物の事を勉強して学者になってみたりしても良い。
ウィリアムの祖父母のように夫と二人で畑作業するのも楽しそうだ。
野菜を作って誰かに売ったり、自分達で新鮮な野菜を食べたり。
そんな野菜を料理して小さなレストランを開いてみんなに食べてもらうのも良い。
ここに座っていると未来を想像するのが楽しくなってくる。
ここには憧れの世界が開いているように思えた。
そんな風に妄想していると、物音が近付いてきた。
その物音を出しているのはウィリアムだ。
「クロエ、もしかして待たせてしまった?非常にすまない事をしたね、ごめん」
「大丈夫よ、さ、行きましょう。楽しみだわ」
「あぁ。」
クロエは立ち上がりウィリアムに近付いた。
“ウィリアムったら今日はやけにオシャレね。素敵だわ、彼のような優しい人はきっと母国ではモテるでしょうね。とても暖かく受け入れてくれるから、女の子はほっとかないわね”
ウィリアムとの未来は想像できそうになかった。
クロエの中でウィリアムはモテる男性というイメージだ。
実際ウィリアムの話の中で、チラホラと女性の影が見え隠れしている。
クロエはモテる男とは結婚しない方が幸せだと思っている。
女性問題に巻き込まれるのは嫌だからだ。
『常に女性が張り付いてそうな人は、とても魅力的に見えて欲しくなるけど、捕まったら最後、女の嫉妬の矢を向けられながら生活しなくてはならない。』
これはクロエの自分で作った名言だ。
“そんなのは幸せに見えても、幸せは長続きしないどころか、すぐに嫌な目にあって疲れてしまうわ。それじゃあ、幸せな結婚なんて出来ないし、いつも女性の影に怯える生活になっちゃう!私の理想とは程遠いわね”
ウィリアムの姿をみて、クロエは留学が終わったら彼ともサヨナラねと考えた。
二人で村長宅へ向かい、クロエに村長の息子を紹介した。
普段カジュアルな恰好のクロエが今日はオシャレをしているように見えた。
初めて村長宅へ行くのだし、初めて会うのだからそれなりの恰好をしただけだろうが、ウィリアムにとってはなんだか引っかかった。
畑や田んぼにはふさわしくないからしょうがないのだが、スカート姿はほとんど見た事が無かった。
それなのに今、彼女はスカート姿だ。
“気にしない”とは思っても気になってしまう。
あまり見る機会が無かったクロエのスカート姿…。
それを今日、今見つめる事になろうとは。
“デート”という日を作った方が良かったのだろうか?
しかしまだ二人はそういう関係ではない。
ただの留学生仲間だ。
しかもデートをする場所は限られてしまう。
ここでデートするには色々とアイデアが必要だ。
ウィリアムは考えを巡らせた。
村長宅ではウィリアムも混じるが、主にクロエと村長の息子が会話していた。
二人の楽しそうな会話をそばで聞いて、ウィリアムはモヤモヤしていた。
なぜ自分がこんなにもモヤモヤしてしまうのだろう。
なんだか自分が『モテない男』となってしまった気分だ。
『モテない男』というのは、こうもモヤモヤするのだろうか?
そんな勉強は必要なかったが、今回のこの件でウィリアムは『モテない男』の勉強が出来た。
全く役に立ちそうにもないが。
二人が会話しているのを見つめているうちに勝手に『モテない男』の心理を考えていた所、ふいに「そういえば、ウィリアム」と話しかけられた。
何事もなかったようにふるまい(ふるまったつもり)ウィリアムは「どうした?」と返事をした。
村長の息子の顔を見つめると、なんだか雲行きが怪しくなりそうな気配がする。
一呼吸おいて彼は「君の祖父母の事なんだけど、話に聞いてるかな?」
「なんの話だろう?」
「やっぱりまだか。そうだよな、そんな簡単に話せないよな」
「どんな話?」
「…俺から言っても良い事なのかは分からないけど、必要に応じて知らなかった振りをしてくれ。あっ、クロエさんも…。」
そういって彼は話をしてくれた。
その話の内容は祖父母の管理している土地についてだった。
今は祖父母が管理しているが祖父母の身に何かあった場合、その土地を娘、つまりウィリアムの母親に継がせる話だったらしいが、娘が外国の獣人と結婚し外国で暮らしてしまっている為、継げる者がいなくなってしまった。
ウィリアムにやたら会いたがっていたのはその話がしたかったからでは?
…との事だった。
確かに祖父母から「会いたい」と言われてこの土地まで来たが、会いたかった理由はまだ聞いていない。
なるほど、昨日のウィリアムの名前が出た会話は、もしかしたらその話かも知れないと思った。
確かにこのままでは、あの土地は他人の物になってしまう。
それは確かにもったいないような話に聞こえる。
クロエもウィリアムの祖父母の土地を見たが、継ぐ者がいないとなると手放す事になってしまうだろう。
だからといって管理し続けるのは難しい。
高齢の二人はいつどうなってもおかしくない。
ウィリアムの母が戻ってくるか、または…。
クロエはそこで隣に座っている男の顔を見た。
真剣そうな顔で、なにか考え事をしているように見える。
ウィリアムにとってはとても重要な事だろう。
『孫の顔が見たい』ただそれだけで済む話ではなさそうだ。
今聞いた話は、いまいち状況が分からないクロエ目線から見ても、大事な話だという事は伝わってきた。
“そうか、祖父母はウィリアムを…。『願いが叶うなら』ってところね。”
“娘がダメならば、せめて血の繋がりがある孫へ、土地を継いで欲しい…。”
それが祖父母がウィリアムに会いたかった理由。
『孫に会いたい』
その思いはこうして叶ったが、本当の理由はまだ叶っていないどころか、祖父母からは何も聞かされていない。
「まぁなんだ、ウィリアム次第だろうが、まずはおじいさん達が話せる状況になれば、話てくれるだろう。それを待つしかないだろう。」
「そうだな、そのタイミングは大事だ」
クロエもうなずいた。
先ほどまで全く別の事を考えていたのに、ウィリアムにとってすごく重要な話を聞いてしまった。
とりあえずその話については、祖父母が話して来てくれたら改めて考える事にすると結論を出した。
こればかりは今ここで決める訳にはいかない。
まずは祖父母の気持ちも聞きたい。
みんなで話し合うべき事だ。
もしなら母にも聞きたい。この話について何か知っているのか。知っているならどう思っているのか…。
娘の外国へ嫁ぐという事実は、祖父母にしてみれば考えもしなかった事だろう。
だから反対もした。
土地が無くてもある程度の反対はあっただろうが、ここまで溝が深くはならなかっただろう。
この国から遠く離れているのも原因の一つだ。
母はなんてことをしてくれたんだ。
しかし、母には母の思いや考えがあったはずだ。
それを思うと、一言くらいで片付く事ではないというのは目に見えて分かった。
母も母なりに迷い決断したのだろう。
ウィリアムは旅立つ日の朝の母親の顔を思いだしていた。
…全くこんな事実を隠していたなんて。
でもそうか、息子を母なりに思っての事か。
『会わせるまでは良いけど、その後、息子が真実を知ったら、どんな決断をするのだろう?彼には彼の人生がある。今は特に、教師になる夢を追いかけ、勉強している。そんな息子の決断は…』
考えたくもなくなるような話だ。
“自分が放棄してしまった問題を、今は息子がしょい込む事になってしまっている。自分はバカだ”
母はこんな感じで自分を責めているかも知れない。
そう考えたらウィリアムでさえ心苦しい。
祖父母も大事だし母も大事だ。
そして自分の事も…。
その日、村長家から二人で帰ってきたが、二人ともウィリアムが使っている部屋に直行した。
クロエはウィリアムの気持ちを聞きたかった。
クロエはクロエで何か解決策は無いかと考えていた。
自分が娘、または孫ならば、こんな話は手を叩いて喜ぶだろう。
畑の手入れをするのはとても好きで、いつかは自分の畑を持ちたいと思っていた。
田んぼだって未知の世界ではあるが興味なら沢山ある。
今のうちにウィリアムの祖父母に田んぼについて沢山教えて欲しいと言いたかった所だ。
それにはまだ、言葉が不完全だった。
流暢な言葉が操れない限り、専門用語などもあれば理解出来ないだろう。
それでは困る。
だからそうならない様にある程度勉強してきたのだ。
それでもまだ足りない部分がある。
今日は言葉を教えてくれる人に会えてとても良かった。
彼なら自分の足らない部分を補ってくれるだろう。
ウィリアムとは違い誠実さと賢さが備わっている。
別にウィリアムに誠実さと賢さが無いと思っている訳ではないが、どこかなにか足りなそうだった。
その見立てが合っているかは分からないが…。
クロエはウィリアムに、ゆっくりと話しかけた。
ウィリアムにとってはとても重要な決断をしなければならないかも知れない。
話を聞いて以来、ウィリアムはずっと難しい顔をしている。
「おじいさんとおばあさんは、まだこの話をあなたにはしてなかったの?」
「そう、今日初めて聞いたよ。もしかしたら昨日の会話も顔も、この事だったかも知れない」
「昨日?あぁ、夜の話ね」
「母からも全く聞いた事が無かった。もちろん父からも」
「そう」
「全て初耳だよ。『会いたい』としか、言われて無かった」
「みんな話せなかったのかしら?」
「たぶん」
「ねぇウィリアム。私がウィリアムの立場だったり、ウィリアムのお母さんの立場だったりしたら、とても嬉しい話だわ。でもそれは私だからよ」
「じゃあ、君が土地を継いだらいい」
「そうね、でもおじいさんとおばあさんは、どう思うのかしら?無理にとも言えないし、相当悩んだはずよ」
「君が血縁者なら良かったのに」
「そうね」
「でも血縁者は俺や母だ。君じゃない」
「わかってる」
「祖父母の土地を他人に譲る。そんなのもったいない話だ。せっかくいい場所なのに」
「そうね、広いしちゃんと手入れされてる」
「でも、俺が継がなきゃ、あの土地は別の人の土地だ。」
「えぇ」
「じゃあ俺が継ぐことになったら、今俺が描いている夢はどうなる?折角大学にも入って今まで勉強してきたのに、父や母と離れて暮らす?友人は?仲間は?ガールフ、なんでもない」
ガールフレンドと言いそうになって止めた、今はクロエの前だ。
「…あなたのガールフレンドは、何人いるのかしら?私には分からないけど、きっと…離れ離れは寂しいでしょうね」
「今、留学している事になっている。寂しがっているガールフレンドは…いないよ。」
今、ウィリアムの心にチラホラ姿を現す魅力的な女性は目の前にいるクロエだけだ。
『魅力的な女性は、今の所…君だけだ、クロエ』とロマンチックな場面に持っていくようなセリフを言うような時ではない。
そりゃあいつかは言いたいがそれは今ではない。
留学が終わるか終わる前か…チャンスがあれば言いたいとは思っている。
可能なら留学が終わった後も会いたい。
しかしクロエも同じ気持ちなのかは今のウィリアムでは分からない。
今日の夕飯は今までとあまり変わらなかった。
昨日だけやけに変だった。
ウィリアムとクロエも今までと変わらない態度を取った。
それが礼儀だと思うからだ。
話したくない話しにくい話題なのだろうだから、祖父母は何も口にしないのだ。
だからこそウィリアムからも何も言えなかった。
もちろんクロエからもだ。
二人は気まずい空気の中、ただひたすらに何もない日常を送っている風に装った。
その日の夜
祖父母は二人で今後について話し合った。
やはり話の内容は自分達が今現在所有している土地の事だ。
期限を設けている訳ではないが、ウィリアムに会いたいと娘に言ったのは土地について話がしたいという理由あっての事だ。
今までなかなか言い出せなかった。
話てしまうと、ウィリアムまで娘のように、そんなのお断りと言ってくるかも知れないからだ。
ウィリアムの夢は教師になる事と娘は言っていた。だから余計に話をしづらい。
昨日もその話で喧嘩になってしまった。二人に聞かれてないと良いのだが…。
まぁ聞かれていても、もしかしたら言葉が通じない部分があるかも知れない。
それでもやっぱり気まずいのは変わらない。
土地は今すぐという訳ではない。
後、何年かはこのままで置いておくつもりだ。
自分達が動けなくなるまで働いてそれからだ。
やはり誰かに買ってもらうとか譲ってあげるのが良いだろう。
それは村長と昨日、話してきた。
村長は気難しい顔で唸りながらも了承してくれた。
娘が継がなかった時点でもう駄目な話だったのだ。
ウィリアムには悪い事をしてしまった。
まだ話してはいないが、話さなくても察しはつく。
土地はもったいないが管理しきれない。
縮小はもちろん考えてはいるが、どこをどうするかがまた問題である。
そこでふとクロエならどうだろう?と祖父の頭に浮かんだが、あまり良くない。
クロエはクロエで血の繋がりも無ければ、この国の出身者でもなく、ただ留学で来てくれただけだ。
急に土地を継いでくれと頼んでも無理だろう。
管理の方法だって分からないだろう。
教えてやりたいが言葉の壁がある。
ちゃんと通じれば良いのだが通じているかさえ分からない。
そんな子に「この国の土地をやる」と言った所で困るだけだろう。
やはり無謀である。
祖父母は誰かに買い取ってもらう為、計画を立てる事にした。
村長ともよく話し合おう。
話を進めるのはそれからだ。
翌日から祖父母は土地について真剣に話し合うようになった。
ウィリアムとクロエには話せないまま、この土地は他人の物になりそうだ。
しばらくの間ウィリアムは一人になりたいと言い、ふらふらと出かけるようになった。
家には戻ってくるし、ご飯も食べているが、クロエは心配になった。
ウィリアムにはウィリアムの考えがあるのだろう。
祖父母も一切、土地の話をしない。
クロエは祖父母の仕事を出来る限り手伝っているが、やはりウィリアムがいないと、たまに意思疎通が出来ず困ることもあった。
その間のウィリアムの行動は何をしているのかは分からない。
村長の息子の所にも顔を出してないらしく、クロエはさすがにほおっておくのも出来なくなった。
今、ウィリアムは部屋にいるらしい。
物音がしていた。
ドアを叩き声をかけるとウィリアムは無言のままドアを開けた。
「ウィリアム、調子はどう?」
「変わらないよ」
「…あなたがいなければ、おじいさんとおばあさんは、寂しそうよ?」
「土地の事しか頭にないだろう」
いつもならすぐに部屋の中に入れてくれるのに、ドアは開けてくれたけど部屋には入れてもらえない。
クロエは少々寂しさを覚えた。
「今日は部屋には入れてもらえないのかしら?」
「…君は、そんなに僕の部屋に入りたいの?」
「あの、ウィリアム、何かあったの?土地の事以外に、気になることが…」
「母さんに電話した。やはり母さんは知ってて僕をこの土地に越させたんだ。分かってて止めなかった。いや、止めていたかも知れないけど、なにも知らないからこそ、僕はこの場所へ来てしまった。知ってたら来なかったのかも知れないのに」
「おじいさんとおばあさんの土地は、他人に売るそうよ」
「本人から聞いたのか?」
「いいえ」
「あぁ、今日は村長の家に行く日だったな。彼とは上手くやってるか?」
「言葉を教えてくれる先生としては、良い先生よ」
「それ以外は?僕がいない方が、盛り上がるんじゃないか?」
「なんのこと?」
「君は、彼の方が魅了的なんでは?」
「どういう事?」
「僕と会う時以上に、洒落込んでいたじゃないか、話も楽しそうだった」
「誰かと初めて会う時は、礼儀を気にするわ。失礼な恰好できないもの」
その時だった
「クロエ」とクロエを呼ぶ声がした。
振り返るとそこに祖父がいた。
「ちょっと、ういりあむと話がしたいんだが、えっと、二人で話したいんだ」
祖父の声を聞いてウィリアムは凍り付いた。
なんとか声を絞り出し、クロエに説明してクロエをどかせてから、祖父母の前に姿を現した。
「ういりあむ、君が今使っている部屋でじいさんと話をしよう、伝わったか?」
「なんとなく」
「じゃ、部屋に入らせてもらうよ」
そう言って祖父は近付き、クロエはその場を退き、ウィリアムは祖父を通せるようにドア付近から横にずれた。
祖父は部屋に入るとドアを閉めた。
クロエは閉められてしまったドアの前に立ち、どうするか迷ったが自分が使わせてもらっている部屋へ戻った。
祖母と話がしたいが、満足のいく会話は無理だろう。
まだ言葉の意思疎通が難しい。
とくに祖父母の方が変な言葉を使う時がある。
外国語にほとんど触れることなく生きてきたのだからしょうがないのだが、クロエにとってはそれがストレスだった。
まだ外国文化がほとんどか入って来ていないこの国は独特の文化の中で生きている。
最近になって外国から来る者も受け入れるようになってきたが、まだまだ言葉の壁や文化の違いが外国を遠ざけているように見える。
ウィリアムが土地を継いでも継がなくても国全体が変わらなければ、ここで暮らすのは難しそうだ。
あくまで一時的な留学なら居るのも楽しいのだが…。
クロエもいつかはこの土地から戻る時がくる。
その時はウィリアムともお別れだ。
それは分かっているが、ウィリアムと少し離れていて気付いてしまった事がある。
ウィリアムはやはりとても魅力的だ。
それもクロエも気付かなかったほどに、心は浸食されていた。
恋に落ちるのにとても簡単な人がいるが、クロエはそんな人とは真逆だった。
しかしウィリアムと出会って、それは自分にも起きる事なのだと気付いてしまった。
それもたった今起こった。
「私、ウィリアムの部屋に入れてもらえずショックを受けているわ。あのスカートだって、特別な日に着るはずで、あの日他にも服はあったはず」
ウィリアムと出かけるのはとても楽しかった。
短い期間でもそれは感じる事は出来た。
ウィリアムは知らなくても、あれが最高の時にはくスカートなのは自分で分かっていたはずだ。
それを着て出かけた自分は確かに誤解されてもしょうがない。
今までウィリアムの前では、ほとんどそのような恰好はしてこなかったのだから。
「見知らぬ人に会うためとはいえ、着飾りすぎたわね」
じゃあなぜ着飾ってしまったのか?
「たまに、オシャレしないと、オシャレする事忘れるとでも思った?それとも、いつも素敵なウィリアムに相応しくならないとでも思った?行くのは田んぼや畑なのに?違うわね、初めて会う人にウィリアムと同等なレベルの女と見て欲しかったからよ、私…今頃気付いたの?あぁ、私、ウィリアムとこのまま、お別れ出来るのかしら?ダメよ、あの人は相当モテるんだろうから苦労するわ。でも気付いたらもうダメね。ウィリアムともっと一緒にいて、彼を支えてあげたいわ、ウィリアムはダメね。女にモテそうだとは思うけど、それは当たり前ね。彼の魅力が人を引き付けてしまうのよ。理由なんてない。ただただ、そういう人なのよ。そして私も彼の魅力に気付いて、後戻りできない所にいるわ」
留学期間はまだまだ続いていく。
しかしこのままでは、いざ期間が終わり本当にサヨナラの時が訪れたら、後悔してしまう。
ウィリアムはどうしたいのだろうか?
この土地を離れるのだろうか?
いつかは留学期間が終わって国へ帰るのだろうが、その後はどうするのだろうか?
自分と連絡を取ってくれるのだろうか?それともただ同じ国、同じ家で過ごしている留学生だから優しくしてくれているだけで、留学が終わった二度と会えないのか…?
「今の私はどうしたい?ウィリアムの事がとても気になるわ。おじいさんやおばあさんとの事、土地の事。全て、全て、気になる。私を、この土地に興味を持ってココまで来た私を、仲間外れにしてほしくないわね」
ウィリアムが使っている部屋では話が終わったようで祖父は部屋から出ていった。
ウィリアムはドアが閉められたのを見届けて、布団に倒れ込むように転がった。
全身から力が抜けたようだ。
それもそのはず、祖父からはやはり土地に関してだった。
最初は警戒していたが祖父の話を聞くと、ウィリアムは土地を継がなくても良いようだ。
それなら土地はどうなるのか?と聞いた所、土地は手放さない最後まで自分達で管理する、その代わりもしも何かあった場合、村長一家が管理してくれるようになったらしい。
ただし、どの道ウィリアムに相続権がある。その時は国が違えどウィリアムの所へ連絡が行くとの事だった。村長の息子が色々と考えてくれたらしい。
それなら手放さないし売らない。管理してくれる人がいれば心配はいらない。信用できる人が管理などをしてくれる。
ちゃんとウィリアムの事を知っているし、良く面倒を見てくれている。
祖父母にとってもウィリアムにとっても知っている、お世話になっている人が手を貸してくれるのは、とてもありがたかった。
祖父母は最後まで土地を売る為に話し合いをしていたらしいが、ウィリアムがふらふらと出歩くようになり、自分の所へ姿を見せなくなり心配して、提案を考えてくれたのだ。
クロエの事も気にかけてくれて、もしなら彼女に色々と教えてあげ、彼女の勉強に、もっと役立つようしてあげたら良いのでは?とも言っていたらしい。ただ彼女はある程度言葉は分かるようだが、意思疎通が上手く行かない事が増えた。ウィリアムの存在がいなくなってからの事らしい。
それを聞いてクロエに対しても、悪い事をしたと思うようになった。
彼女は純粋にこの国の作物や、畑の事を学びに来ただけなのに、変な話に巻き込んでしまった。
どうして良いか分からず一人で抱え込んで、母に怒りの電話をかけて、祖父母とクロエを避けていた。
自分が中心になって言葉の壁を越えていたのか、意外と自分は役にたっているようだ。
クロエはさらなる勉強を求めている。
それにはまた、自分という存在が必要だ。
その日の夜中、ウィリアムは目が覚めてしまった。
部屋を出てトイレに行き用を済ませて戻ろうとした時、クロエがウィリアムが使っている部屋の前で立っていた。
「どうした?」
「色々と気になって眠れなくて、そしたら物音が聞こえたからこっちに来たの、ウィリアムが部屋を出た音だったのね。」
「そうか、クロエにも今回、色々と迷惑をかけたね」
「迷惑?なんの事かしら?」
「祖父母と上手く意思疎通が出来ず、ちょっと困っただろう?勉強の為だけに、ここまで来たのに、祖父母の土地をどうするかの話まで、君には全く関係ないはずなのに」
「そうね、私は血縁者じゃないしね、でもお手伝いくらいはしてるし、関係が全くないわけじゃないわ」
「そうだね、そうだ、部屋で話さないか?」
「いいの?」
「あたりまえだろう。その、同じ留学生として、または…仲の良い友人として?」
「…そうね、ありがとう、あなたの部屋に入れて欲しいわ」
「さて、歓迎するよ」
ウィリアムはそう言いドアの前まで歩き、クロエはドアからよけた。
ドアをウィリアムが開け、クロエはその後ろにつき、ウィリアムが先に部屋の中へ入り、その後クロエが入ってきた。
パジャマ姿のクロエを見て、ウィリアムは変な想像をしてしまうけど、クロエの気持ちが分からない以上なにも出来ない。
それはクロエも同じだった。
物音に気付いて思わず出てきてしまったが、ウィリアムの姿を見て、先ほど気付いた気持ちが、悪さをしてしまいそうになる。
“仲の良い友人”とりあえずその関係で満足するしかなさそうだ。
「それで、おじいさんはなんの話だったのか、聞いて良いの?」
「そう焦らず。えっと、机の所にある椅子にでも座って?」
「これね、ありがとう、でもあなたは?」
「僕は立っているから大丈夫」
クロエはうなずき椅子に座った。
「で、おじいちゃんの話なんだけど、土地は売る事で話し合っていたらしい。たしかに僕に継いで欲しいと思っていたけど、色々負担になるという事で仕方なく、それで村長さんと話を進めていたらしい、それと僕が姿を現さなかった事が心配で、息子さんの方が、対策を考えてくれた“やはり土地を手放すのはもったいない、だったら自分が管理する、そして、名義だけ僕にする、継ぐ継がないではなく、表向きは息子さんが管理する土地、裏で僕がどうするか決める。売っても良い、そのまま僕の土地にしても良い、息子さんに正式に譲っても良い、決めるのは僕だ”ってさ、それで、おじいちゃんは僕にその事を話してくれた」
「そう、じゃあ、土地はそのままなのね」
「それなんだけど、とりあえず今のまま、おじいちゃん達で管理してもらって、なにかあったら僕の物になる。けど、管理はしない。そうなった時、今の広さでは管理するのが難しい。だから、僕の名義になったら、一部を村長さんの土地にしてもらおうと思うんだけど、クロエはどう思う?」
「そうね、持ってても管理しきれないしね。それでも良いんじゃない?」
「おじいちゃん達には明日、もう時間的には今日か、伝えるつもり」
「なるほど、分かった。ずっと気になっていたの、私は確かに部外者だけど、結構気に入ってたから」
「君がそばにいてくれると、なんだか心強いよ、あの、クロエ、こんな時で悪いんだけど、君にその、恋人は?」
「いたら、ここまで来る勇気は無かったわ」
「そっか。あの、この国に好きな人とか」
「いたらびっくりしちゃう!」
「そうだよね、僕もだよ」
「どうしたの?」
「いや、その、君があまりにもセクシーな姿で僕の近くにいるもんだから、なんだか、変な、いや、誤解しないで、友人、友人だから!」
「本当に?私は…自分の気持ちに気付いてしまって、抑えるのに必死だわ」
「大丈夫?」
「この状況で、それを言えるの?」
「ん?そうだな、なんか、変だ、そう、ムードとかが無くて、イマイチだ」
「そうね、でも、ムードって本当に必要?」
「必要じゃない時もあるかも、クロエ、君はいつだって魅力的で、素晴らしい女性だ」
「ウィリアムも、私からすれば、とても魅力的に見えるわ」
「…この留学が終わったらどうする?といってもまだまだ終わらないけど」
「そうね、留学中に見つけた恋に、力を注いでも良いかも、それで、もしなら、留学が終わっても、続いてて欲しいわ」
「えっと、どうする?連絡先の交換とか?」
「そうね、仲の良いお友達だもんね」
「留学が終わっても、君に会いたい」
「私も、同じ事を考えているわ」
「今、この国で愛ってはぐくむことが出来ると思う?」
「私は思う。あなたの力になりたい」
「僕は、君がそばに…」
「またそのセリフ?」
「クロエ、どうしたら君は、僕のそばにいてくれる?」
「そうね、体を暖めてくれたら考えるわ」
「どうやって、暖めて欲しい?」
「ウィリアムが決めて…さぁどうする?」
「君をlikeじゃなく、loveで抱きしめたい、クロエ、君はすぐに僕の心の中を満たした、君の魅力でね、でも、僕はもっと君の魅力で満たされたい。」
「私もよ、あなたの虜になってしまったみたい」
「君の唇って、どんな魅力的な唇なんだろう?」
「確かめてみたら?私も、あなたの唇の魅力を知りたいわ」
「クロエ…」
「ウィリアム…」
長い留学期間中、二人は国の事をもっと知る為、二人で出かけたり祖父母の田畑の手伝いの内容を増やし、クロエは自身の勉強の為ウィリアムはいつかまた夢を叶えたら自分の土地の様子を見に来る為、力を注いだ。
いつか夢がかなって教師になったらまたこの土地に来る。
それはクロエと恋人同士になってから決めた。
熱心に勉強するクロエの姿を見て自分も田畑に対して興味が湧いて来たのだ。
クロエと出会ったこの土地は、そこまで悪い土地では無かった。
たしかにいつもどんより天気の曇り空で、太陽はほとんど顔を出さず、この国に住む者達もずっとこんな天気の下で暮らしているからか、どこか暗く感じた。
しかしそれでも親切に暖かく迎えてくれる人もいる。
少なくともウィリアムの近くに一人は存在している。
彼の存在が無ければ言葉もあまり分からず、土地も見ず知らずの人に渡り、もう二度とこの国へ来ることは無かっただろう。
しかし考えは変わった。
やはりこの国へ来てよかった。
途中で帰っていたらクロエと恋人同士にならず、ここでサヨナラして永遠に会う事は無くなっていたかも知れない。
あの時、留学期間を短くし母国に帰ろうかと思っていた。だからこそ帰る事とならなかったのは彼に感謝だ。
クロエとは帰国する時期を同じにする事にした。
恋人同士になってしまった以上、同じ国に帰るとはいえ、あまりにも遠すぎる。会える時間は決められているのだ。だからこそ離れ離れになる前にお互いの事をもっと知っておく必要があった。
母国へ帰国したら大学の卒業を目標にしなければならない。
遠距離になってしまうが、お互いの夢を壊さない為だ。しばらくはしょうがない。
それを乗り越えたらどうするか…まだ考えてはいない。
いつの間にか祖父母も村長の息子も、二人の変化に気付き応援してくれた。
また来る時はちゃんと二人で来れるようにと、赤い糸をしっかり結んでおけと言われたり、デートスポットを教えてくれたりした。
いつか今度は、家族になってたりしてね?と祖母に言われたが、後先の事は今は分からない。
ウィリアムはそれよりも、と思っていたが、クロエはそれも良さそうと考え始めてしまった。
そうすれば自分もこの土地に関わる家族となれるからだ。
よそ者扱いはなるべくして欲しくなかった。
だからこそ、それはクロエにとって好都合な選択だった。
時というものは意外にあっというまに過ぎてしまうようだ。長いと感じていた留学期間が終わりを告げる日が来た。
祖父母と初めて出会った空港に、ウィリアムとクロエは立っていた。
それともう一人、村長の息子も仲間に加わっていた。
涙は止める必要は無かった。
皆、長かった留学期間に想いを巡らせ、多々ある思い出をそれぞれに思い出し、別れが辛いものだと改めて思い知らされた。
それでも何とか足を動かし、二人は飛行機に乗り込んだ。
“また来れる”それは分かっているのだが、悲しみはどこまでも広まった。
長い飛行機旅行の後、二人は途中で別れる事となった。
恋人同士のまま離れて暮らさなければならないからだ。
必ずまた会おうと約束し二人は別々の道へ進んだ。
第5話【前編】終わり 【後編】へ続く
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