第7話 召喚術師、古き死に優しくされる

「……昔の召喚術師ってのは、やることがぶっ飛んでんなぁ……」


「僕が子供の時の話だが、下から墓園を見上げたことはある……真横からは、こんな感じなんだな。恐怖すら覚えるよ」


 初めて実物を目にした“空中墓園”は、俺たちの想像を絶する狂気の代物だった。


 墓園という言葉から連想される牧歌的な雰囲気などほとんど無い。今この瞬間、地上三千メジャールの高さに浮かんでいるのは、数えきれぬ魔法砲塔を備えた巨大要塞であった。


 まず中央に、平面を上にした半球。半球の周囲には、縦方向に伸びた六面体が八基接続され、どことなく豪華なシャンデリアを思わせる。

 墓園全体の広がりは小さな町ほどだろうか。

 半球の上には緑があり、芝生が生い茂っているようだ。四角い建造物も幾つか見えた。


 すべての問題は、半球を取り囲む八基の六面体。

 六面体の六面すべてが開放され、その中から大量の砲塔がせり出しているのだ。一面当たり三十門はあるだろう。それが六面八基だから……砲塔の数は、少なくとも千四百四十門以上。


 何か、果てしない執念のようなものを感じた。


 墓園の宝物アーティファクトを狙う墓泥棒への怒りか、それとも召喚術師連合が戦い尽くした邪竜復活への恐れか。少なくとも、墓園に近づけば俺たちも敵認定される。 


 現に――“空中墓園”に群がるも、誰一人として弾幕を突破できない学院の召喚術師たち。

 三百六十度絶え間なく破壊光線を放つ砲塔の群れが、召喚術師を乗せた有翼の召喚獣を一匹、また一匹と撃ち落としていた。


「ええと白い竜、ルールアたちは――いた。まだ飛んでる。……なるほど。ルールアの光盾ホーリーシールドでさえ、墓園の前には紙同然かよ。……見た感じ、耐えて進むのは悪手っぽいな」

「見ろフェイル。サーシャのセシリアがいる」

「そりゃそうだろ。いくらサーシャでも大天使無しじゃあ、脱落者の回収は無理だ」

「いや、ちゃんと間に合ったんだと思ってな」

「ま――まあ。先頭に追い付くために、だいぶ急いだだろうけどな」

「……速い。墓園の砲撃を全部かいくぐってる」

「速い、硬い、強いの三拍子だからな、サーシャの大天使は。それでも、速度ならザイルーガだって負けてない。むしろ勝ってるだろ」

「ふははっ。ずいぶんとおだててくれるじゃないか」

「おだててねえ。今回の突入作戦、要はシリルのザイルーガだぞ?」

「馬鹿な。それこそフェイルのがんばり次第だ。僕もミフィーラも、そう思ってる」

「……フェイルが鼻血出るまでがんばるべき」


 シリルとミフィーラにそう言われ、苦笑代わりに口笛を吹いた俺。墓園の砲塔が俺たちに向くと思うと息が詰まるが、ここまで来て挑戦すらしないなんて考えられない。


「しゃあねえ。行くかシリル、ミフィーラ」


 “空中墓園”の攻略に残っている召喚術師も半分を切ったようだ。


 すごすごと逃げ帰る者、召喚獣を失ってサーシャの大天使に拾われる者と、脱落者が増えるほどに残る挑戦者への砲撃は苛烈になっていく。悠長に構えている時間はなかった。


「事前の作戦どおりだ! ビビっても止まってくれるなよ!」


 俺の言葉を皮切りに――――ドラゴンの死体が一気に高度を上げる。


 墓園を見下ろして一度旋回。距離があるせいか、砲撃は威嚇程度の三、四発だった。


 だが、それでも。

「こっわ! ルールアの奴っ、こんなの受けてたのかよ! すげえな!」

 半泣きのまま笑いたくなるほどの破壊力だ。


 臆病心は、顎がきしむほどに歯を噛んで殺す。幾つかの砲塔がターゲットを変えたタイミングを見計らって「頼むミフィーラ!!」と。


 直後、黒竜の巨体が、大きく身をくねらせて頭を下げた。


 翼で空気を叩いて初速を稼ぐと、その後は風と重力に逆らわない。

 あっという間に息もできなくなる速度に達し――ほんの一瞬遅れて発射された破壊光線の嵐の中に突入するのだ。


 たった五秒。


 死体とはいえ、大空の覇者たるドラゴンの巨体が、たったの五秒で解体される。


 破壊光線を受けて弾け飛ぶ黒鱗。

 光線に貫かれた箇所から大穴が広がって千切れる肉片。

 散々に破損して原形をとどめない黒竜の頭が、背中にしがみつく俺たちの頭上を転がっていった。

 折りたたんでいた翼は、根元を撃ち抜かれて空に投げ出された後、集中砲火で粗みじんにされた。


 ――死なないことだけを祈る――


 周囲の空には黒竜の肉片が散らばり、まるで墓園を目指して落ちる雪のようだ。


 いよいよ俺たち三人がしがみついた肉塊にも破壊光線は迫り――その時俺は、猛獣の短い咆吼を聞いた。外套の背中をあり得ない力で引っ張られ、景色が回った。


 “剣虎王ザイルーガ”。


 見れば、空にいるはずのない巨大四足獣が俺たち三人をまとめて口にくわえていた。子猫を運ぶ母猫の要領で、三人の外套を一緒くたに噛み締める。


 そして。

「駆けろ我が魂! ザイルーガ!」

 大地を疾駆するかのごとくに駆け出したザイルーガ。灰色の身体から伸びる角の数々が、風を裂いた。


 ザイルーガに翼はない。

 巨大虎の足場となったのは、ここまでの道中で空にばらまかれたドラゴンの肉片だった。


 ――――――――


 人の目で見れば残像すら現れていそうな超速度で、右へ左へと縦横無尽に切り返す。


「い、息が、できね……ぇっ」

「我慢しろフェイル。気絶するなよ」


 ジグザグの軌跡を描いて、何十もの破壊光線そのことごとくをかわしきった。


 いくら“空中墓園”とて『落雷』を捉えることはできない。

 ザイルーガを撃ち抜くよりは、その足場すべてを一つ一つ消し去っていく方がまだ容易い。


 “空中墓園”で砲塔の引き金を引く何者かも同じことを考えたのだろう。次の瞬間、破壊光線の一斉発射がドラゴンの肉片だけを狙い撃った。


 シリルが叫ぶ。

「フェイル! 出番だ!」


 振り回されて鼻血を吹きそうになりながらも俺は、「ちくしょお! 来やがれ大群!」と目の前の景色に魔力を集中させた。


 呪文詠唱なしの即効召喚術だ。簡単に喚び出せる召喚獣限定で、魔力消費もはなはだしいが、とにかく速い。俺の思考と時差無しで召喚できる。


 突如として虚空から大量の羽虫が湧き、一塊になった何万という小さな虫が、ザイルーガの新たな足場となった。


「連発は死ぬんだからな!」


 ザイルーガが跳んだ後は、召喚した羽虫の大群を即刻送還し、次なる場所に改めて召喚し直す。羽虫の飛行ではザイルーガの神速に付いていけないからだ。


 多少のタイミングのズレは、ザイルーガがなんとかしてくれる。俺はめまぐるしく視線を回し、ザイルーガの行く手に虫の飛び石を送り続けた。


「フェイル! 召喚速度が落ちてるぞ!」

「知ってるよ! 今ぁ黙ってろシリル!」


 休みなく撃ち込まれる破壊光線の一つが、ザイルーガに踏まれた直後の虫の群れを捉え、半数が消し飛ぶが――正直、それがどうしたという感じだ。

 俺の召喚獣は『虫の大群』そのもの。半分消えたぐらいは損傷とも言わない。一旦送還してもう一度召喚し直せば、虫の数は元に戻っている。


 ドラゴンの急降下で稼いだ距離もあって、墓園の芝生まであと少しだった。くるぶしを隠す程度まで伸びた芝生が風になびく様すら見えた。


 俺たちの目論見どおり、ザイルーガの速度ならば墓園の砲撃をかわしつつ降下することができる。足場がある限りは。


「きっつ――キツいぜこれは……っ!」


 魔力の使いすぎで眉間の奥とこめかみが痛い。

 股間がひゅんっと縮み上がり、腰が抜けそうになる。

 一瞬視界がぶれたと思ったら、景色の周囲が真っ黒に塗り潰されて一気に視野が狭くなった。とっくの昔から心臓は高鳴りっぱなしだ。


 あとどれくらいだ!? あと何回即効召喚すれば、砲塔の射程圏外まで潜り込める!?


 ここで失敗すれば命はない。いくらサーシャの大天使とて、こんなところまで救いの手は届かせられない。俺たちの未来は、墓園に到達するか、落命するかの二択に絞られたのだ。


 “終界の魔獣・パンドラ”を動かしたい一心だけでここまで来た。しかし、“空中墓園”なんかに命を懸けるなんて、馬鹿なことをした。


 魔力の枯渇で薄れゆく意識の中、不意にそんなことを思った。

 シリル、ミフィーラと話し合って決めた今日の挑戦を後悔してしまった。

 

 だから俺は、「うるせえ。やるっつったらやるんだよ」と外套の上から懐を握る。肌身離さずに愛用している首掛け財布を全力で握り締める。


 血の気が引いてだいぶ遠くなった耳でも、硬貨の鳴る音がかすかに聞こえた。


 その瞬間、俺の心中に生まれた不愉快な感情。怒り、ムカつき、喪失感。

 それを最後の燃料にして召喚術を放つ。


「もう二度とっ!! 絶対やらねえからなっ!!」


 心の底からの叫び。直後、羽虫の足場が現れ――――それを踏み台にして加速したザイルーガが真横からの破壊光線を避けた。


「抜けたぞフェイル! もういい!」

 シリルがそう叫んでくれなかったら、もう一度召喚術を使ってどうなっていたかわからない。脳の血管が切れていたか、それとも心臓が爆発していたか。


 荒っぽい着地は直前の最高速の証左だろう。

 前脚が芝生に触れるや否や、首を振って俺たちを横に投げたザイルーガ。自分だけ激しく転がって殺人的な着地衝撃を逃がす。


 俺は柔らかい草の上にうつ伏せに丸まって、「はあ、はあ――っ! がは――っ」激しくあえぐばかりだった。滑り込むような着地を痛がる余裕はない。まるで全力疾走の直後だ。


「よくやった! 凄いぞフェイル! 本気で駄目かと思った!」

「連続三十六回はさすがに前人未踏」


 シリルとミフィーラが背中をさすってくれるが、今はねぎらいの言葉より空気が欲しかった。


 実際、魔力の使用は徒競走のような全身運動とほとんど同じだ。一定以上に力を使えば、心臓と肺が酸素を求め、人体における魔力の貯蔵庫である筋肉すべてが疲労する。


「はあ、はあ――ぜは、はあ、は――は、あっ――」

「ゆっくりだ! ゆっくり呼吸しろフェイル! 息を吐くことに集中すればいい! 大丈夫だからな! もう砲撃は飛んでこない!」


 指先一つ震えてまともに動かない。それでも俺は、力を振り絞って仰向けになった。


 すると――――視界に広がったのは清々しい青空の景色だ。太陽があり、流れる白雲があり、視界の端には俺たちを砲撃しまくった六面体構造物の先端一つも。


 ……どうやら俺たちは、比較的墓園の隅の方に着地したらしい。


「ザイルーガも格好よかったよ。撫でてあげる」

「やめておけザイルーガ。今はフェイルの顔を舐めてやるな」


 しばらくは空気をむさぼるだけだった俺もやがて、鼻腔を満たしていた草の香りに気付いてホッとできるまでに回復する。

 じゃれついてきた巨大ネコ科動物――剣虎王ザイルーガに髪の毛を思いっきり舐められながら、仰向けに倒れたままこう漏らすのだ。


「……着いたぁ……」


「そうじゃよ。ぬしらは確かに辿り着いた」


 その時突然、聞き覚えのない少女の声。

 俺は身体を起こすことができなかったが、シリルとザイルーガがきっちり反応したようだ。ザイルーガが前に出ると、猛獣の威嚇が大空に響き渡った。


 俺は亀のように鈍重に、しかし今の俺にとっては全速力で起き上がる。

 シリルに肩を貸してもらいながらどうにか立ち上がると――前方の草原、距離にして十歩ほどの場所に、肩出し白ドレスの少女が足を開いて立っていた。


「ようこそ、ゼレーム空中墓園へ。特別愉快な命知らずどもめ」


 十二、三歳ぐらいに見える黒髪ロングな美少女だったが、その表情には違和感しかなかった。

 愉悦と悪戯心を足して二で割ったニヤニヤ笑いなのだ。人間社会の悲喜こもごもを見守り続けた、老練なひねくれ者にしかつくれないような……。


 黒髪少女の正体はすぐに思い付く。俺は疲れ切った声でこう尋ねた。

「あなたが、死精霊のトーリ?」


 直後、「いかにも」と返ってきた声は笑い混じり。墓園に入り込んだ俺たちをとがめることもなく、吹き抜けた風に目蓋を下ろして鼻を鳴らすのだ。


「二十年ぶりになるかの。あやつらの墓前に生者が立つのは。――さあ、そのでかい猫を送り返して、手でも合わせていくがいい」

「……警戒を解けるとお思いで? ついさっき殺されかけたってのに」

「殺され? ああ――そりゃあそうじゃろうよ。ここを造ったゼレームは実に真面目な男じゃった。身の程知らずはもれなく死すべしと豪語するぐらいには、の」

「なるほど。なら俺たちも身の程知らずだ。立派に死にかけたんですから」 

「じゃろうな。外でウロチョロ立ち回っておる大天使――あれの召喚術師のレベルじゃ。この墓園が本来認めておる墓参りの客は」

「すると? 招かれざる客は死精霊トーリにぶっ飛ばされると?」

「いんや。ワシは何もせぬけど?」

「は?」

「邪魔もせぬし、手も貸さぬ。墓漁りが目的ならば好きにするがいい。墓の中を守る警備機構は、ぬしらが抜けてきた外周防御網の比ではないがの」


 俺とシリルは顔を合わせ、まったく同じタイミングで首を傾げた。


 大精霊の機嫌を損ねるべきではないと思ったのだろう。シリルがザイルーガを送還しようとしたので、俺は咄嗟にそれを制して、もう一つだけ質問を投げかける。


「……あなたはこの墓園の墓守では?」

「違う。墓守はれっきとした労働者ではないか。ワシはここに隠居しておるだけじゃ。眠りたい時に眠り、思索にふけり、気が向けば下界に降りてみたりもする」


 言葉の途中、突然の大あくびだ。手で口も塞ぐこともなく、「ふぁ~~~」と喉の奥まで俺たちに見せつけてくる。そしてあくびし終えれば、パチンと頬を軽く叩いた。

 どことなく『休日のおじさん』っぽい仕草。

 ザイルーガと召喚術師三人を前にして、緊張感は皆無。


「今だって、面白そうな奴が来たから話しかけてみただけのこと。入ってきたのがぬしらではなく大天使の飼い主であれば、普通すぎると出てきておらぬわ」


 黒髪少女――死精霊トーリの完全無防備な雰囲気にあてられ、俺たちの警戒もゆるんだ。


 決定打は「トーリがその気なら、みんなもう殺されてる」というミフィーラの言葉。今度はザイルーガを送還するシリルを止めなかった。小声で言葉を交わす。


「噂は噂だな。気難しいどころか普通に話せる相手じゃないか」

「そうじゃねえ。今、この状況が奇跡なだけだ。気を引けたことが」

「現れないから気難しいと?」

「ここの防衛システムそのものが精霊の仕業と思われた可能性もあるな」


 見れば、トーリに駆け寄っていたミフィーラ。死精霊が依り代としている肉体を舐め回すように眺めて一言。

「綺麗な身体」

「いいじゃろう。千年前に拾ったんじゃ。悲恋の末に命を絶った娘でなぁ」


 俺もシリルに肩を貸してもらったまま歩き出した。華奢で小柄なトーリに会釈する。


「お会いできてよかった。命懸けで来た甲斐がありました」

「ほう? この年寄りが目当てとな? ぬしら、奇特にもほどがあるぞ」


 俺を見上げた美しい少女が悪い顔をした。片側の口端にだけ歯を覗かせた笑い方。


「名を聞いてやろう」

「フェイル・フォナフと言います。こいつはシリルで、可愛いのがミフィーラ。ラダーマークの学院生です」

「学生ならば師を頼ればよかろうに。昔話でも聞きたいのか?」

「死精霊の限界を」

「なんだと?」


 単刀直入な俺の言葉にトーリが目付きを変える。


 偉大なる大精霊の気分を害したかもしれないが、長々と前口上を並べるつもりはなかった。懐から小振りの革張り本を取り出して、適当に開いたページをトーリに突き付ける。


「俺の『片割れ』が魔獣パンドラの死体なんです。どうにかして、動かしたくて」


 パンドラ――遙か太古に神々と戦り合った大魔獣の名前は、さすがにトーリの興味を引いたらしい。一瞬キョトンとした後、極端な早口、極端な小声でページの文章を一気に読み上げる。


「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」


 まったく聞き覚えのない言葉だった。俺では読めない文字も、トーリほどの大精霊ならばその知識にあるのだ。いったい何が書いてある? しかしそれは今回の目的ではない。


「確かにパンドラの記述…………本当か? 本当に人間が、パンドラを召喚したのか?」


 トーリの声が驚愕に震えても俺は素直に喜べなかった。自然と苦笑が浮かんだ。


「神に殺された直後のパンドラですが」

「動かぬのか?」

「指一本さえ」


 聡明な死精霊はそれだけで大体を察したらしい。息を吐いて気を取り直すと、「それで死精霊の限界か。パンドラを出されては、無礼と怒るわけにもいかぬ」ゆっくり笑みをつくった。


 何気ない仕草で俺の手を取って、そのまま歩き出す。


 シリルの支えから離れた俺はトーリの為すがまま。足取りは不安だが、どうにか歩けた。


「生前のパンドラを見上げたことがある。ワシが根源の精霊から分かれ、今のぬしみたく手を引かれておった時分のことじゃ。……パンドラは神の誰よりも雄々しく、山脈すら粘土細工のごとく叩き潰した。寡黙な奴での。女神や妖精らにしつこく言い寄られて、いつも迷惑そうにしておったよ」


 昔を思い出すトーリの言葉には優しい笑いが混じり、それはきっと悪くない過去なのだろう。


 シリルとミフィーラも俺の後ろに付いてきていた。芝生を踏む音をうるさいと思うほどに静かなのは、墓園を守る砲塔が音や反動もなく破壊光線を撃つからだ。


「神話では、パンドラは、妻となった女神パーラの昔の名だと」

「あの魔獣はいつの間にかそこにいた。呼び名もなかったのでな。与えたと言うより押し付けたのじゃ、パーラのたわけが」

「あなたは知っているのですか? “神の時代”の終わりについて」

「さあ? どうかのぉ。その場にはおったがのぉ」

「教会で話される神話の終わりは唐突です。主神の座を求めたパンドラが神々相手に戦争を起こし――最後には討ち果たされる。」

「とっくの昔に終わった事じゃ。人が神の歴史を知って何の意味がある?」

「……相棒の死の訳を知りたいと思うのは、傲慢でしょうか?」


 トーリへの警戒を解いた俺が打ち明けた本心。その後の沈黙は何秒ぐらいだっただろう。


 年を経た大精霊は、やがて、真面目な声色でこう教えてくれるのだ。


「不名誉な死ではない。誰かにそそのかされたわけではないし、糞の役にも立たぬ名誉に目がくらんだわけでもなかった。それは、このトーリが保証しよう」

「十分です。あとは、パンドラを動かす術さえわかれば」


 その時だ。俺の手を引き続けるトーリが、不意に足を止めた。


 何かあるのか? そう思って視線を回してみても、すぐ近くに墓や建物があるわけではない。振り返ったトーリがまじまじと見上げたのは俺の顔だった。


「にしても、フェイル・フォナフよ。ぬしはあれじゃの、苦学生じゃの」

「――――!?」


 予想外の言葉。俺は反射的に手を引っ込める。


 過去を盗み見られたことはすぐにわかった。トーリほど強大な死精霊ともなれば、触れた手から俺の記憶すべてを読み取ることぐらい朝飯前だろう。


 トーリと手を繋げば何をされるかわからない――最初からわかっていたことだ。

 嫌悪感に身体が動いたわけではない。ただ素直に、本当に記憶を読まれた!? と、初めての経験にびっくりしただけのこと。


「すまぬすまぬ。何がどうなって、パンドラがぬしの『片割れ』になったか、さすがに気になっての」


 俺の反応に気分を害した様子もなく、腰の後ろに両手を回してトーリは笑う。


「それで、共通項はありましたか? 俺と神話の魔獣に」


 はっきりした返答はなかった。「んふふふふ~」と意地悪く微笑んだだけのトーリ。肩にかかった黒髪を払って気を取り直すと、森羅万象を見通すような余裕たっぷりの表情で言った。


「勝手に覗いた詫びじゃ。ぬしの疑問に答えてやろう」


 願ってもいないことだった。パンドラの操作のことで死精霊トーリにアドバイスをもらえるなら、いくらだって記憶を覗いてくれていい。そのために“空中墓園”まで来たのだから。


 瞬間、トーリの言葉の行方に死ぬほど緊張した俺は。

「ワシとて、いや、ワシの親たる根源の精霊とて、ぬしの召喚するパンドラは操れぬ」

 絶望を誘う内容に膝が折れかけ。


「じゃが――絶対に動かせないわけでもない」


 希望を残すニヤリ顔に頭が真っ白になった。「聞いたかフェイル!?」とシリルに背中を叩かれ、思わず前のめりによろける。

 転びそうになった俺を受け止めてくれたのはトーリだった。


「なんじゃなんじゃ。情けない子じゃ」

「いやぁ……ここ何日か、生きた心地がしてなかったもんで」


 千年前に死んだという少女の遺体に腐臭はない。どういうわけか花の香りがした。


 一刻も早く答えが知りたくてトーリの両肩を掴む俺。精霊の顔を覗き込むように問いかけた。

「して、そのやり方とは?」

「そこまでは教えてやらぬ」


 ニヤリ顔の即答。逆に俺は、期待に口元が弛んだ顔のまま固まるのだ。


「学生じゃろう? 自分で考えてみよ」


 パンドラを動かす目処が立ったと思ったからこそ、そのまま答えを教えてもらえないことが一際辛い。人前だというのに「そんな……」と気落ちした声を漏らしてしまった。


 消沈した俺がツボに入ったのか、トーリがくすくす笑い出す。

 俺のひたいを人差し指で突っつくと――突然の瞬間移動。眼前から消え失せると、次の瞬間には俺の肩に腰掛けていた。尻の感触はかすかにあるものの重さはない。完全に浮いている。


「フェイル・フォナフよ。それはもう、ぬしの中にあるのだ。ただ思い付いておらぬだけ」


 俺が首を振ったその時には――また瞬間移動。

 今度はシリルの頭上の空に立って、俺を見下ろした。


「かつて魔法はワシら精霊と一部の獣のものじゃった」


 その次はミフィーラの目の前。ミフィーラの顔に手を伸ばし、柔らかほっぺをこねくり回す。


「しかし人もいつしか魔法の力を手に入れるに至り――強く、ひたすら強くなるように発展させてきた。その中で本流を外れた使い方もあるということじゃ」


 ミフィーラが一切抵抗しないものだから、トーリのこねくり回しは止まらない。俺に振り返りつつも柔らかほっぺの堪能に忙しいようだ。


「大層なことではない。それに、ぬしらはパンドラを特別視しすぎじゃ。死があるというは、他の生き物と何も変わらない。あれも生き物ということを忘れねば、すぐに思い付くじゃろう」


「…………………………………………なるほど」


 俺はその場の芝生にあぐらをかき、膝の上で頬杖をついた。

 みっともないぐらいに上半身を崩しながらしばし考える。


 ――パンドラとて所詮は生き物――


 この何ヶ月間か、どうしてそのことに思い至らなかったのだろう? 天を衝く巨体と古来からの神話に翻弄され、自分勝手に神格化して、相棒そのものを見ていなかった。馬鹿だ俺は。


「……十何年も魔法を学んで、このていたらく……」


 村の魔術師だった母さんがまだ生きていた頃を思い出す。


 魔法を覚えたての俺は何をしていた? 幾らかは残酷なイタズラだってしたはずだ。未熟な魔法で何ができるか試行錯誤し――確か、近所の池に雷撃魔法を流して魚を捕ったり――


 ――友達を殴ったガキ大将を驚かすために、草むらに隠した大カエルの死体を時限式の雷撃魔法でジャンプさせたり――


「とんだクソガキだ」


 俺が魔法でイタズラする度にゲンコツで叱ってくれた村の大人に感謝の念が湧く。何一つ名物のない貧しい村だったが、お上品に生きているだけでは得られない経験もあった。


「その顔、ちゃんとわかったようじゃな」

 思い切り口端を持ち上げて俺を見るトーリ。


「土下座してキスしたい気分ですよ」

 俺は後頭部を掻きつつの苦笑いだ。突破口を見つけた嬉しさだけじゃない。アドバイスがあったからといえ、こんなすぐに思い付くとは……なんて気まずさも混ざっていた。


「ふふふふ。今すぐ試してみろと言いたいところじゃが、ここでパンドラは召喚してくれるなよ? 重さに耐えきれんで普通に墜ちるでの」


 そしてトーリが墓園の外へとゆっくり視線を移す。俺たち三人もつられて墓園の外を眺め、この時初めて、六面体構造物の砲撃が止んでいることに気付くのだ。


 弾切れではない。墓園の周りを飛んでいた召喚術師たちが撤退を始めただけのこと。


「最近の若いもんは不甲斐ないのぉ」

「墓園の砲撃がアホみたいな威力だからですよ。何ですかあれ。ドラゴンの死体をたった何秒かで木っ端微塵とか」

「見ろフェイル。ルールアは墜ちずに済んだようだぞ」

「召喚獣の力で光盾ホーリーシールドをブーストさせてたんだろうが、あの砲撃に耐久戦法は無理だぜ」

「……ルールアにできなくて、僕らが成功するとはな」

「命懸けのやり方だったし、帰ったら先生かサーシャあたりに怒られそうだけどな」


 今さらになって、とんでもない無理難題をやり遂げたことを実感し始めた。その上、死精霊トーリにも会えて、ボロ雑巾になった甲斐があるというか……上手くいきすぎて少し怖い。


「さて――」

 モチモチほっぺを堪能しきったトーリがようやくミフィーラを解放する。俺たちに背を向けると、墓園中央に向かって一人歩き出した。

 とはいえ、ワシに付いて来いとでも言いたげなゆっくりした歩みだ。


「どうせ昼にはラダーマークの上を通るじゃろうし、それまで空飛ぶ墓園を見ていくがいい。なんならトレジャーハントに挑戦してみるか? 墓に潜る入り口ぐらいは教えてやるぞ?」


 疲れ切った俺とシリルは顔を見合わせ、そしてトーリの華奢な背中に苦笑を送った。


「勘弁してください。こちとら、とっくに魔力切れですよ」

「記憶を覗いたならご存じでしょうが、この男、人のものは盗れないのです。おごられることすら、借りを返せないと嫌うのですから」


 ちくしょうシリル。余計なことを――そうは思うが、トーリは笑えるぐらい納得したらしい。


「ふはっ! かっかかっ!」


 青空に向かって高笑いすると、わざわざ足を止めて俺たちを見るのだ。愉快という感情が三日月型の目にはっきり現れている。


「清貧というわけではない。貧乏人が妙なこじらせ方をしとるだけじゃからのぉ。だが、嫌いではないぞ」


 シリルに肘で突っつかれ、「いいんですよ俺は、これで。親父が死んだ時からこうなんですから」俺は口を尖らせた。外套の腰ポケットに両手を突っ込む。


「金がねえからこそ、施しを受ければ、そういう奴と噂される。盗みだって同じだろ。金食い虫の俺を必死に育てた親に、申し訳が立たなくなるじゃねえか」


 自分自身に言い聞かせる独り言のようなもの。

 それなのにトーリは、俺の小声を拾って言葉を返してくれるのだった。


「ちゃんと優しい子じゃよ、フェイル・フォナフは。蘇りのないこの世界で、死者に報い続けるには情がいる」


 祖父母というものを知らない俺ではあるが……じいちゃん、ばあちゃんがいれば、こんな感じだったのかもしれない。

 だから、今日が過ぎればもう二度と会うことはないのだろうが、トーリに会うためだけにまた墓参りに来るのもいい。そんなことを、ふと思ったりもした。


「ライルとロゼルも、親孝行な息子を持ったものじゃ」


 久しぶりに聞いた親父と母さんの名前。

 “神の時代”から存在する死の大精霊が、有名な空飛ぶ墓園で二人の名前を口にしてくれた。それだけでも特別な弔いになったはずで、親父と母さんに直接感想を聞いてみたくなる。


 ――――――――――


 冷たい風が、俺の胸に居座る寂しさを呼び起こしていった。

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