第5話 召喚術師、労働を終える
今日も今日とて鉄鍋を振り続け、さすがに腕の筋肉が張っている。
夕方六時から七時間ぶっ通しだ。
百姓だった親父に死なれた十六歳の時分――故郷の村にいた頃から雇われ料理人で厨房に慣れているとはいえ、バイト終わりともなれば疲労困憊。
「ふぃ~~~」
俺は汗でべったり濡れた
壁に取り付けられた十数個のオイルランタンが、ホール全体を橙色に染め上げている。
さっきまで飲んだくれたお客でごった返していた客席だ。
総数三十八脚の丸椅子は数々倒れ、テーブルの並びも斜めとなり、どれだけ盛り上がってたんだか……と苦笑するしかない。
「……疲れたぁ……」
足下に転がっていた椅子を直し、ドカッとそこに座り込んだ。
すると「お疲れー。今日もお客さん多かったねー」なんて若い女の声である。
視線を上げると――胸元が大きく開いたエプロンドレスを纏った茶髪女性。疲れを感じさせない微笑みと共に、木製ジョッキを俺に差し出している。ジョッキには冷えた水がなみなみだ。
「すみません、イリーシャさん」
俺は頭を下げつつジョッキを受け取り――ジョッキの水を一口で飲み干した。「今日、忙しすぎて水飲む時間もなかったです」と笑って、湿ったため息をこぼす。
イリーシャさんが首を傾げて笑うと、ゆるくカールした長い髪がふわりと揺れた。テーブルの端に軽くお尻を乗せて俺と談笑し始める。
「倒れないでよぉ。フェイルくんに倒れでもされたら、忙しくなった親方がまた怒り出すから」
「にしても、この一ヶ月、マジで何が起きてんですかね? 出て行く酒だって普段滅多に出ないような高い奴ばかりで……」
「ああ、それね。なんでも変な連中がお金配ってるらしいわよ」
「お金? 交易都市に義賊ですか?」
「あたし今日、クーロンじいさんに聞いたのよ。そしたら、貧乏通りの人らを使って人探ししてる奴らがいるって。何かの学者さん? 役人? よくわかんないけど、ちょっと訳ありの人間が“ラダーマーク”に流れ着いたみたい」
「……学者、ねえ。古代遺物でも盗んだかな」
「それで店の常連連中の羽振りがよくなって、そのお金のいくらかがうちに流れてるってわけ。まあ、じきに落ち着くんじゃない? 後先考えずに大酒あおってんだから」
交易都市ラダーマーク――“シドの国”と“ロドの国”を結ぶ主要街道上に発展した三十万都市である。
召喚術師を養成する『学院』が市街地の北側にあり、東には今晩の食材から魔術書までが揃う大市場。
外壁のない広大な土地には、貴族邸宅や貧困街、大聖堂や遊郭、図書館や劇場、上下水道や地下墓地までもが完備され、間違いなく“シドの国”の首都に次ぐ大都市だった。
そして俺が働く“大衆酒場・馬のヨダレ亭”は、大市場と遊郭のちょうど境界にある。客単価は下の上あたり。市場の下働き、遊郭の下男といった安月給の労働者が常連客だ。
「今日またお尻触られたのよ? 未来の大女優に失礼だと思わない?」
「つっても、酔っ払い相手ですからね。それか、メニュー表に載せておきますか? 一撫で五万って」
「あはははっ! 五万は取り過ぎ! 撫でるだけでしょ? 一万ぐらいが相場かしら。舞台のヒロインやって名前が売れたら、五万に値上げしてやるわ」
バイト終わり、イリーシャさん――女優志望の二十一歳――と話していると。
「おらフェイル。おめぇ、朝にゃあ学校あんだろうが。これ食ってとっとと帰れ」
いきなり目の前のテーブルに大皿が現れた。揚げ鶏と揚げ野菜が山盛りになっている。
「あらやだ親方。こんな夜更けに揚げ物だなんて」
「いいんだよ。召喚術師ってのは体力勝負なんだろ? なら、肉と野菜と油が、一番いいんだ」
まかないを出してくれたのは禿頭の筋骨隆々。
背丈は俺より低いが、半袖から伸びる腕の筋肉が凄い。一重の双眸だって鷲のような眼光だ。どこぞの騎士団の元団長とか言われても鵜呑みにするほどの威圧感を漂わせていた。
「すみません親方。いただきます」
この人が俺の直属の上役――“馬のヨダレ亭”の料理長。俺は、椅子から立ち上がって頭を下げるのだ。
「おう。それとな、オーナーがお前ら二人の時給、百ガント上げてくれるってよ」
即座、イリーシャさんが前のめりになって「マジ!? 親方、それマジな話!?」と盛り上がる。
「よっしゃあ! 化粧品買えるぅ!」
俺も思わず拳を握っていた。突然の百ガントはでかい。
「お前ら二人がいないと店回んねえからな。イリーシャ以外のホールは十一時に帰っちまうし。フェイルは、もう店の味を出せるようになったからよ」
「あのケチオーナーがよく認めたじゃん。さすが親方ぁ」
「それでな、二人とも――来週のシフトはどうする? 今週と同じで、毎日出られそうか?」
「あたしはいいですよー。時給も上がったことだし」
そして次は俺の番、「すみません親方。来週の土曜なんですけど、一日休みをもらえないですか?」と、親方に向かって深々と頭を下げるのだ。
親方は少し困ったように禿頭を掻いたものの、嫌とは言わなかった。
「そりゃもちろんいいが……。学校のことか?」
「チームの二人と“空中墓園”に行くことになりまして。ちょうど来週、通りがかるんです。すみません。迷惑かけます」
俺の言葉に地方出身のイリーシャさんは首を傾げたが、親方はひどく納得したようだ。
「そうかそうか。もうそんな時期か。召喚術師だものなあ」
低い声でそう笑いつつ、厨房に戻っていくのである。
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