第43話 あの子を頼んだよ
アナーキーの中に入ると店内は、コーヒーの香りに包まれていた。
カウンターには、Tシャツにデニムといったラフな格好に店のロゴが入ったエプロン姿のリサさんが立っている。ドアについた鈴の音を聞いて、こちらに顔を向けたリサさんは「いらっしゃ~い」とよくとおる声で俺を出迎えてくれた。
「あれ? フリーに用?」
リサさんは、一度しか会ったことがないのに昔からの知り合いみたいにフランクに話しかけてくれる。俺の方はというと、そこは陰キャである。フランクに、とはいかない。
「えっ? えっと……あ、あの…………。フリーはどこに……?」
確かに店の中に入っていくのを見たのだが、姿が見当たらなかった。リサさんの言葉からも店内にいるのは間違いなさそうなのだが……。
「下だよ。たった今降りて行ったとこ。ライブハウス。貸してあげてるの」
リサさんが俺の疑問に応えてくれる。
「あ……。えと……、そ、そうなんですね」
「あはは! なんでそんなぎこちないの?」
冴えない俺の返しに、リサさんは快活に笑った。
「ぎこちない、ですか?」
「ぎこちないよ。前にそこで千冬と話してるときは、もっと普通だったじゃん」
リサさんは前回来た時に千冬が座っていた席を指差す。
「な、なんでそこで千冬が出てくるんですか……」
「いやぁ~、そりゃあもう仲良さそうにしゃべってたもんだからさ。私はてっきり……ねぇ?」
意味ありげに笑うリサさん。さすがに陰キャな俺でも、このニヤつきの意味くらいは分かる。だが、どう反応していいのかは分からない。
もちろん、リサさんが想像するような関係ではないのだから否定すればいいだけなのだが、信じてもらおうとすれば強く否定することになる。だが、それはそれで何かおかしいと思った。
「まぁさ……。私はあの子が小さいころから知ってるわけなんだけど。ちょっと変わった子でさ。誤解されることもあるんだよね。キミとあの子がどういう関係なのかは、この際どうでもよくてさ。キミにはあの子の味方でいてあげてほしいとお姉さんは思うわけ。──だから、あの子を頼んだよ!」
戸惑う俺にリサさんは続けて言う。
「あの子があんな風にだれかと話してるところを見るのって、久しぶりでびっくりしたんだから。だから、てっきり……ねぇ?」
そして、再び意味ありげに笑った。完全にからかって遊んでいる。けれど、もう一度念を押すように「私が言うものおかしいけど……」と前置きをしながら
「あの子を頼んだよ」
というリサさんの声は、冗談を言っているようには聞こえなかった。
「あ、そうそう。フリーだったね。呼んでこようか?」
リサさんはパンと手を打ち鳴らして話題を変える。
「いや、特に用があるってわけではないので。忙しいなら別に呼んでもらわなくてもいいんですけど。というか、あいつはここでなにしてるんですか?」
「あれ? 聞いてないの? フリーにはお店を手伝ってもらってるんだよ。その見返りに下のライブハウスでベースの練習をさせてあげてる」
「手伝ってるって、バイトってことですか?」
「そっ。バイト。うちも人手不足で大変なのさ」
その割には、客がいる気配がない。
「あ、キミ今失礼なこと考えたでしょ? 今はたまたまお客さんがいないだけで、こう見えて結構繁盛してるんだぞ!」
ここにも心を読める人間がいた。
「私目当てに来るお客さんもいるんだからねっ」
リサさんは、そう言って人差し指で自分の鼻先をちょんちょんと二度叩く。ハッキリとした目鼻立ちで見つめられると、俺は一秒と目を合わせていることができなかった。
なるほど。この見た目なら、目当てにするお客さんがいても不思議ではない。
「キミたちがここでパーティをやった次の日、フリーがバイトしたいって言ってきたんだよ。お金貯めてベースを買うんだってさ。ベースが上手くなりたいとも言ってたから、今みたいに暇な時間は下で弾いていいよって言ってあるの」
なるほど。フリーにとって、この店は一石二鳥というわけか。
「それで、今あいつは下で?」
「そうだよ。キミも練習する? 私が使ってたギターでよければ、ほら、そこの。使っていいから」
リサさんが示した先には、綺麗なチェリーサンバーストのレスポールが丁寧にディスプレイされていた。
その周りの壁には、たくさんの写真が飾られている。
前に来た時には気が付かなかったが、ライブの瞬間やこの店で写したと思われるもの、音楽とは全く関係なさそうなレジャー施設でのものなど、様々だった。そのどれもが、前にライブ映像で見たバンド『ロックミュージック研究会』のメンバーを中心にしたものだ。バンドメンバーの他には、リサさんが写っていたり、佐々木先生が写っていたりする。
順番に眺めていくと今よりもかなり幼いが、今と同じような大きな丸メガネをかけたタムが写った写真に目が止まる。
「あれ……? これって、タム……?」
「そうだよ。タムのお母さんはここのオーナーだからね!」
問いかけるでもなくこぼすと、リサさんの口から意外すぎる言葉が返ってくる。
「えっ!? ここって、リサさんの店じゃないんですか?」
「違うよ〜。私は雇われ店長。と言っても、オーナーはほとんど私に任せてくれてて、うるさいことはなにも言ってこないけどね」
リサさんはあっけらかんと応える。知らなかった。だが、存続記念パーティーのときの妙に慣れたタムの様子を思い出して、納得する。
なるほど、と思いながら、また写真に目を移すとそこにもう一人、見覚えのある顔を見つけた。それはタムと同じように、今よりもいくらか幼い千冬の顔だった。
写真の中の千冬は、カメラのレンズを睨みつけていた。その場にいたくないとレンズ越しに訴えかけるような視線。その視線に俺はくぎ付けになる。
「それ。千冬が初めて
何かを察したようにリサさんは言う。
「あのころの千冬はさぁ、いつもすっごい機嫌が悪くて。ずっとムスッとしてんの。反抗期かな? って思ってたんだけど、どうやら
千冬の口からも聞いたことがある。『ロックがお姉ちゃんを奪った』と言っていた。冗談だろうとも思ったが、写真の中の千冬は心底怒っているように見える。それでいて寂しそうだった。
「だからあいつは、ロックが好きなくせに、嫌いだなんて?」
「そんなこと言ったの? 全然嫌いなんかじゃないと思うよ。素直じゃないんだからさ」
リサさんは苦笑いしつつ言った。
「あいつ、音楽で戦ってるんです」
俺の言葉にリサさんは「えっ!?」と驚いて見せる。てっきり、こいつ何言ってんだ? 的な驚きなのかと思ったが、そうではないらしかった。
「君……。千冬のことをよく見てるんだね。お姉さん驚いちゃったよ。あの子、あんまりそういうそぶりを見せないでしょう?」
そうだろうか。自分から「勝てない、勝てない」言っていたが。
「あの子、よっぽどキミに心を開いてるんだね」
とてもそうは思えないが、黙っておく。
「リサさんは、あいつが音楽を使ってなにと戦ってるか知ってるんですか?」
「なになに? 気になっちゃうの?」
またあのいやらしい笑顔で言う。
「いや……。気になるってわけでは……」
「またまたぁ〜。キミも素直じゃないタイプの若者かい?」
ちょっとだけ鬱陶しくなってきた。
「けど──」
リサさんは、急にそれまでのふざけた雰囲気を解いて、真剣な眼差しを俺に向ける。
「あの子の力になってあげてほしいとお姉さんは、心から思うよ。あの子は音楽の本質を間違えているからね。君ならそれが分かるんじゃない? だから──、私が言うのもおかしいんだけど、あの子を頼んだよ」
三度目のそのセリフは、俺の心に突き刺さった。ピリッとした空気が俺とリサさんの間に流れる。しかし、それも一瞬のことで次にリサさんが口を開いた時には元どおりになっていた。
「で? どうするの? 下。行くんだよね?」
頷くことしかできなかった。
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