第36話 この僕にできないことなんかないんだから

「どうしよう……」


 部室に戻った千冬ちふゆの第一声は、実に頼りないものだった。女子サッカー部の部長を前にした勇ましい姿は、夢か幻だったのではないかと思えるほど狼狽えている。


「どうしようって……。こっちが聞きたいわ。あんたが勝手に暴走して啖呵きったんやろが……」


 あまりの変貌ぶりにフリーですら呆れていた。呆れてはいるが、決して責めてはいない。むしろ、よくやったという雰囲気だ。

 普段、初対面の人間とはほとんど話すことができない千冬が、陽キャの塊みたいな運動エリートと初対面で対等以上に渡り合ったのだ。奇跡といっていい。


「私、暴走なんかしてないし、啖呵なんかもきってない……。何も言ってない。誰とも話してない……」


 それが今は頭を抱えてうずくまっている。


「おいおい。現実逃避するなよ。お前は、あの部長の圧にも屈することなく渡り合ったんだぞ? 別に悲観するようなことではないだろ」


 泳ぎに泳いでいる目は、俺たちの知らない異世界を見ているようだ。


「そうだよ。ちぃちゃん、カッコよかったよ!」


「う、うん……。タム、ありがとう」


 目は泳いだままだが、ようやく立ち上がった千冬はすかさず応える。

 あれ? 俺も結構いいこと言ったつもりなんだが……、タムには返事をして、俺は無視? 聞こえなかっただけか。ならいいけど……。


「──それから、如月きさらぎくん。お前って呼ぶのはやめてって言ってるでしょ?」


 ばっちり聞こえてるじゃないか。俺には特にお礼はないということか。けど、まぁよしとしよう。そのセリフが聞けて、安心した。いつもの千冬が戻ってきたようだ。


「それで? どないする? うちらの活動を女子サッカー部の連中に見せて、納得させなあかんのやろ?」


「そ、そうね……。言ってしまったからには、しかたないものね……」


「──バンド……か?」


 部室が静かになる。無謀であることはみんな分かっている。ただ一人──、シラサギを除いて。


「いいじゃないか。僕たちのハーモニーを聞かせてあげるんだろう? 簡単なことだよ」


 シラサギは、自信満々に言った。


「お前、バンドやったことあるのか!?」


 シラサギの口ぶりは、それを予想させるのに十分だった。風貌も、こうして改めて見るとヴィジュアル系バンドのメンバーですと言われれば、信じてしまう。

 しかし──、


「そんなものは、やったことないさ」


 俺の期待はあっさりと裏切られた。無駄に期待させやがって。


「けれど、難しいことじゃない。この僕にできないことなんかないんだから。それはこの僕の仲間である君たちも同じはずだよ」


 すごい自信だ。バンドはやっていないまでも、一人で楽器を弾いているのだろうか。たしかにこいつは誰かとバンドを組めるタイプじゃない。が、一人で鏡に向かってギターを構えている姿は容易に想像できる。


「えらい自信やん。何か楽器でもやってるん?」


 フリーも俺と同じことを思ったらしい。千冬もタムも期待の目を向けている。

 しかし──、


「楽器? ふっ。例え弾けたとしても、この僕がそんな引き立て役に収まるわけないだろう? 僕はいつだって真ん中で、みんなの注目を集める役なんだよ。いやでも視線を集めてしまうからね。ボーカルに決まっているじゃないか」


 期待はまたも裏切られる。

 要するに自分は真ん中で歌いたいと。そういうことらしい。上手い下手を問わないなら、確かに難しくはない。

 少しでも期待した俺が馬鹿だった。


「なんやねん、それ。ちゅーか、陽太ようた。あんたがバンドって言い出したんやろ? ちゅーことは、や! あんた、ギターくらいは弾けるんやろな」


 ぐぬっ。痛いところを突いてくる。

 確かにバンドを組もうと言い出したのは俺だし、実際バンドを組みたいとも思っている。ロックが大好きだし、造詣が深いと自負もしている。

 だが、しかし──、弾けない。何も弾けない。ギターは一応持っているが、完全にインテリアだ。Fのコードが弾けなくて早々に挫折した。


「ど、ど、ど、どうか、かな? ギ、ギ……ギターは……持ってるぞ」


「……陽太くん。めちゃくちゃ動揺してない?」


 余計なことは言ってくれるな、タム。


「さては、弾けないんちゃうやろな?」


「う、うるさい。お前はどうなんだ? レッチリのFreaフリーに憧れてるんだろ? てことは、そこそこ弾けるんだろうな?」


 タムの「レッチリのFreaフリーって?」という声に、千冬が「レッドホットチリペッパーっていうバンドのベーシストだよ」と丁寧に説明している。説明の最後に「すごく上手い」と付け加えていた。


「……うっ。ど、ど、ど、どうやろ……な?」


 フリーのやつ。完全に目が泳いでやがる。俺と全く同じ反応だから分かる。こいつ、さては弾けないな。

 どうやら俺とフリーは対等な立場のようだ。


「その反応。お前も弾けないんじゃないかよ!」


「う、うっさいわ! うちはこれから弾けるようになるからええねん」


「ベースは……持ってるんだよね?」


 横から千冬が尋ねると、フリーはレバーの辺りを思いっきり殴られたみたいな声を「ぐふっ」とあげて、黙った。どうやら持ってすらいないらしい。これは俺の方がほんのわずかだが、立場が上かもしれない。

 千冬の深いため息が響く。


「ということは、二人とも楽器ができないということね?」


 千冬の言葉に、俺もフリーもがっくりとうなだれた。

 ──が、よく考えてみたら千冬は何をするんだ? タムはドラムだとして、仕方がないがシラサギがボーカル。フリーがベースで俺がギターなら千冬は?


「私はコンポーザー」


「コ、コンポ……? なんだそれは」


 タムやフリーも俺と同じように首を傾げている。聞いたことがない単語だった。


「コンポーザー。作曲家だね」


 意外にもシラサギが応える。


「そう作曲家。バンドをやるなら、私はコンポーザーだよ」


 シラサギの答えを千冬が肯定する。

 なるほど。つまりは表舞台に立つ気はないということか。実に千冬らしいじゃないか。

 ──と、そこで閃いた。コンポーザーとやらが、作曲家のことで、それが千冬の役割だというのなら、俺たちが女子サッカー部に見せるものは決まっているも同然じゃないか。


 オリジナル曲だ。それ以外にないだろう。


 みんなにも俺と同じ考えが浮かんだようで、無言で頷き合う。オリジナル曲をやって見せてやればきっと納得するはずだ。

 俺たちは楽器がまともに弾けないにも関わらず、なぜかもうすでに勝った気でいた。

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