第7話 男子二人

 翌日の放課後、温室に行くと。


「男子二人にゃあ、キリキリ働いてもらわんといけんよのう」


 と、浦辺先生が上機嫌で言った。


「ワシ、そんなに熱心にクラブ活動するつもりなかったんじゃけど……」


 木下がそう言ってうなだれている。

 確かに木下は最初から、「ほいでも、そんなに熱心にはやれんで?」と言っていた。

 その様子を見て、川内が首を傾げる。


「なんか、お家の用事とかあるん? 塾とか? ほいなら一週間に一回とかでも……」

「ないない、ないわー! 家帰ってゲームするだけよ」


 と笑いながら答えたのは、なぜか木下ではなく尾崎だった。木下は少し睨みながら尾崎に言う。


「なんでお前が答えとるんじゃ」

「だって知っとるもん。おばさんが言いよったわ」


 胸を張って尾崎がそう言うと、木下は吐き棄てるようにつぶやいた。


「あのクソババア」

「母親に向かってなにを言いよるんなら、コラ」


 浦辺先生が素早く木下の頭に手を伸ばし、ギリギリと握っている。


「いたたたた」

そがあそんなこと言うなよ、悪いやっちゃなあ」

「暴力教師ー!」


 言われて、ははは、と笑いながら浦辺先生は手を離す。


「じゃ、働いてもらおうかのう」


 恨みがましい木下の視線は意に介さず、浦辺先生は温室の隅っこに投げてあった台車を指差した。


          ◇


「まあ……大した手間じゃないけどのう」


 二人でガラガラと台車を押していると、木下はため息をついてそう言った。


「でも校舎の入り口までしか台車は使うちゃいけんって言いよったよな」

「事務室と校長室は一階じゃけえええけど、職員室が二階なんよのう」


 さらに大きなため息を、木下は吐いた。

 温室の中にあった背の高い観葉植物が五つ、台車の上に乗っている。今、校舎の中にあるものと入れ替えてきてくれ、とのことだった。


「陽当たりが悪かったり、水をやりすぎたりすると、弱ってくるんよの。じゃけえ定期的に入れ替えるんじゃ」


 と浦辺先生が俺たちに指示を出した。


「今まで、女子二人とワシがやりよったんで」


 確かにそれでは、男手が必要だと思うのも仕方ない。

 それで俺たちは勧誘されたのだ。


「その前は?」

「ん?」


 三年生の部員がいない。受験で引退するのは、夏頃のはずだ。まだ春なんだから、残っていてもおかしくはないと思うのだが、いないということは、元々誰もいなかったのだろうか。


「誰もおらんかったで。川内が久々の部員じゃ」


 予想通りの答えが浦辺先生から帰ってきた。


「じゃあそのころは……」

「シナシナの観葉植物が置いてあったんじゃ」

「なるほど」

「そういうことじゃけえ、頼むの」


 というわけで、俺たちは渋々ながら台車を引いている。

 観葉植物の鉢のところには、川内が『校長室』とか『職員室 窓際』とか書いた付箋を貼ってくれていた。


「あー、早まったかのう」


 と、木下がため息混じりに言った。


「尾崎がおるって聞いた時点で止めとけばよかった」


 なんてことを言うので、少しばかりからかいたくなった。


「逆じゃろ?」

「逆?」


 俺の言葉に、木下は足を止める。俺もそれに倣った。


「逆って?」


 木下は本気でわからないようで、首を傾げている。まさか本当に、誰にも気付かれていないとでも思っているのだろうか。


「尾崎がおるけえ、入ったんじゃろ?」


 ズバッとそう言うと、木下は目を見開いて、みるみる耳まで赤くなった。

 すごい。わかりやすい。


「なっ、なにを言いよるんなら! そがあそんなことはないで!」

「ほうなん?」

「ほうよ! 最初から尾崎がおるって知っとったら、入っとらんかったんで!」


 ムキになってそう言うので、なんだかおかしくなって、笑いが漏れそうな口元を手で押さえた。

 そんな俺を見て、木下はムッとしたようにしばらく口を閉ざしたあと、足を進め始める。


 あ、まずい、からかいすぎたか。

 俺は慌てて先に進む木下に駆け寄り、台車に手を掛ける。


「ごめんごめ……」

「それはお前じゃろ?」


 俺の言葉を遮って、木下は言った。


「え?」

「お前は、川内がおったけえ入部したんじゃろ?」


 再び、足を止める。木下も足を止め、そして仕返しだとばかりに俺のほうを見てニヤリと笑う。


 なんだろう。台車の上の観葉植物が、こちらをうかがっているような気がした。そんなはずはないのに。

 けれど、なんだか、嘘をつきたくなくなった。こんなことで。


「うん」


 だから思わず、首を前に倒した。


「うん、そう」


 俺の言葉に、木下はあんぐりと口を開けた。まさかこんなにあっさりと認めるとは思わなかったらしい。

 俺だって、こんなに素直に答える自分に驚きだ。


「な……」


 呆然とした表情をしたまま、木下は言う。


「なんか……すまんの」

「いや……」


 気まずい空気が流れる。これはどう取り繕うのが正解なのだろう。

 どちらからともなく俺たちは足を踏み出し、また台車をガラガラと押していく。

 しばらく沈黙が続いていたけれど、木下がふいに言った。


「神崎さあ」

「うん?」

「お前、姉ちゃんか妹、おるじゃろ。たぶん姉ちゃん」

「姉ちゃんがおるよ。なんでわかったん?」

「ワシの経験上、ああいう大人しめの女子が好きなやつは、姉ちゃんがおるんじゃ」


 なぜか誇らしげに、木下は言った。

 なるほど、木下の経験がどれくらいのものかは知らないが、一理あるかもしれない。


「ほうかもしれん。姉ちゃんにこき使われよるけえ、その反動が出るんかも」

「そんな気するよの」

「じゃあ木下には姉妹はおらんのか」

「当たり。一人っ子じゃ。尾崎は大人しい、からは程遠いけえ、わかるよの」


 もう隠す気はなくなったらしい。

 木下はそう言って、歯を出して笑った。

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