2月27日

 昨日、散々己の作品に対する悪態をついたが、そうはいっても捨てきれないものは、やはり、ある。


 率直に言うと、この小説の主人公は、半分、俺である。「半分」としたのは、俺は主人公みたくいじめを受けていたわけではないし、物語の舞台は俺の故郷ではないからだ。

 一方の「残りの半分」は、主人公と俺の思考が同じということだ。「もし昔の俺がこの主人公と同じ立場だったら、こう言うだろう」と考えて、それをほぼそのまま文章にした。俺は、主人公に新しい人格を与えなかった。それは舞台、立場、設定が違うだけの、もう一人の俺だ。平行世界の俺と言ってもいい。


 だから、これを全く否定するのは、自分の思考、つまり内面を断固拒否するのと同じだ。実際には、もはやそうするべきかもしれないが、とりあえずそれは置いておく。


 だから、供養する。それは「作品の供養」でもあり、「俺の供養」でもある。俺はもういい、文学賞の結果が出るころには、供養は終わっているだろう。

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