第17話

 石舞台の広場に黒鯨の姿が現れると、村人たちの歓声がワッとあがった。

 大人たちは口々に今回狩られた鯨の立派さを称えあい子供たちはその間をすりぬけるように走り回っている。

「今回に新年はどうなることかと心配だったがなぁ」

「そうじゃのう。黒鯨がとれた時点で普段ならもう安心して酒が飲めるんじゃが」

「まだ儀式が無事に終わるまではなんともいえんのう」

 そういいつつもちびちびと酒を口に運び顔を赤らめ始めている老人たちから少し離れたところにアデニルとダーラは手持ちぶたさに立っていた。

 皆が嬉しそうにしているのは二人にとっても嬉しいことだ。しかし何かしっくりこない。

 鯨を狩る前は成功したときは自分たちを一人前を認めてもらえることやもしかしたら英雄と呼ばれるようになるかもしれないな、と想像して楽しんだときもあった。実際はたしかに皆がこうして喜んでくれてはいる。村人たちがこんなに楽しそうに語り合い、笑いあい、おおらかにしている様子を二人は始めて見た気がするくらいだ。

 だが、一番誉めてほしかった人。一人前と認めてほしかった人は勝手に船を出した二人を許さず漁のとき以来顔を合わせてもくれない。ぼんやりと村人たちを見つめていたダーラは気になっていたことをアデニルに尋ねてみた。

「お前さ、願いごと。何にするか決めた?」

「いや。なんだったらドルファさんに会いたいのが一番なんだけど。それは願いごとってこととは違うしなぁ。正直黒鯨を倒すことしか考えてなかった」

「そうなんだよなぁ。俺も、わかんねえや……」

 そのとき、年頃の娘たちの集団が現れた。皆美しく着飾り、自分の意中の青年がどこにいるのかしきりに目を走らせている。

「おぉー、皆綺麗だなぁー。おい、ダーラ、フェリミもいるぞ。おい。こっちを見てる」

「う、うん」

 頬が赤く染まったが、躊躇しているダーラをみてアデニルは思わず笑った。

「お前ったら、男らしくないぞ。おーい、フェリミ、こっちこいよ!」

 はにかみながら一人近づいたてきた彼女は、いつもとはまるで別人のように美しかった。


 普段は仕事がしやすいように茶や黒のような地味な色の着物を纏っているが、今日は若芽色の薄手の生地を幾重にも重ね、その下に息づくしなやかで若い身体をそっと隠している。

 頭には瑞々しい桔梗の花をあしらった髪飾りをつけ、耳の後ろで一つにまとめていた髪はゆるゆると波打ち彼女の背中に流れている。そのけむるような金の髪は月光の下の彼女を月の女神のようにみせていた。

「や、やあフェリミ、今日の君っていつもと違うね。なんていうか……すっごいイカしてるよ」

「ダーラ、ありがとう」

 彼女の白い肌に赤く蒸気した頬がなんだかとても愛おしく思えて、そこに触れてみたい、という衝動をなんとか無理やり押さえつけた。

「今日は海祭りよ。楽しみましょう、ダーラ。アデニルも、ね」

にこりと微笑み、踵を返した。

「おい、いっちゃうぞ、早くいけよ!」

 小声で囁いて、こちこちに固まってしまったダーラの体を思いっきりフェリミのほうへ押しだした。ぼーっとしていたダーラはふいうちに反応できず、まともにフェリミにぶつかってしまい、二人は芝生の地面に折り重なるように倒れこんでしまった。

「まったく、世話のかかるやつだぜ」

 しきりにゴメンゴメンと誤っているダーラを横目にみていると背後からの視線に気がついた。

 振り返るとセイラがじっとアデニルを見つめていた。気づかなかったが、彼女はフェリミと一緒に二人のところに来ていたのだ。化粧をし、桃の着物に身を包んだ彼女は確かにいつもより大人っぽく、そして可愛らしく見えた。

「こんばんは、アデニル。あなたの狩ってきた鯨、素敵ね。みんな褒めてるわ。立派だって」

 彼女のものいいにひっかかるものがあり、思わず冷たい口調になってしまう。

「いや、あれは、俺一人でとってきたわけじゃないから。お前の友達あっちで待ってるぞ。待たせたらかわいそうじゃん」

「わたしっ! アデニルに話があるの! ……二人で話したいの」

 両手でアデニルの右手を掴みつつみ上目づかいに必死に訴えてくる。

(こいつも今日は綺麗だなぁ……。でも、俺はなんだかククサと話がしたくなってきた。あいつとは、今日限りでもう会えなくなるかもしれないんだ……)

 そう思うと、いてもたってもいられなくなってきた。儀式が始まる前ならばきっとちょっとでも会えるかもしれない。“ただのククサ”のうちに会っておかなければいけない。

「ごめん、俺用事があるんだ。大切な用事なんだ。話ならあとで聞いてやるから。ごめん!」

 アデニルの手はするりと抜けてしまった。追いかけたセイラの手はむなしく空をかいただけだった。

「どうして……? どうしてなのアデニル……」

 行ってしまった人の背中が悔しさと憎らしさの涙で滲む。

「私はこんなにもあなたのことを考えているのに……」

心の苦しさが抑えきれなくなったセイラは一人その場にうずくまってしまった。

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