第2話



「ねぇ、さっきいったこと、本当なの?」

社から離れたところまでたどり着いたとき、ふと走る速度を緩めてアイノはククサに聞いてみた。アイノは水浅葱、ククサは常盤色の着物が清涼な風にふわりとなびく。参道沿いの森はブナやトチノキの木の芽吹いたばかりの若々しい緑に包まれていて気持ちがいい。

「ん?さっきいったことって?」

ククサはアイノに合わせて歩き始めたが、正面をみたままそしらぬ顔を貫こうとした。しかし、もうすでに頬が朱に染まり始めている。

『もう、わかりやすいのだから…』思わず心の中で軽くため息をついた。

「私、ククサに好きな人がいるって始めて聞いたよ。」

「だから、あれはオビロン様のことだっていったでしょ?あたし、本当に巫女になる気まんまんなのよ。」

そういいながらもククサは鼻の頭に汗をかきはじめた。これは必死になっている証拠なのだとアイノにはわかっている。

「だって母さんだって巫女になれなかったし、フィン様はあたしたちが小さいころにお亡くなりになってしまったでしょう?」

「そうね…。」

「それに、あたしのほうが歌も踊りもうまいじゃない。海祭りで立派に舞ってみせるわよ。」

「ちょっとまって!踊りならともかく歌なら私だって負けないわよ!」

いつもこうなのだ。二人は同い年なのに、ククサはアイノの姉のように振舞う。アイノにはまだわからなかった。誰かを大切に思う気持ち。ホリーやククサに対する気持ちといったい何が違うというのだろうか?恋、という響きに確かに憧れはあるけれどそれは彼女とってはまだ掴みようのないものなのであった。


あと一月後に迫った海祭りで二人は舞と歌を披露することになっている。それは鯨島で行われる一番盛大なお祭りで、毎年夏至の日の夜に行われる。そして、巫女候補が十六になり一人前になったとされる年には、お披露目の儀式を行い、その後に海神オビロンの神託により巫女は選定される。実際どのように選ばれるのか、その基準も二人は何も知らない。しかし、今年は晴れて巫女の選定の行われる「新年」だ。待ち続けた巫女がようやく選ばれることは人々の心の奥底にずっとあり続けた不安の棘が取り除かれるときである。二人は肌でその空気を敏感に感じ取っていた。

そして「新年」の祭りにはもうひとつ特別なことがある。イサナ一族の守り神である鯨をこの祭りのときだけは特別に狩ることが許される。その血と肉を食べることで守り神に感謝するとともに鯨との結びつきを強めるのだ。

不思議なことに新年にだけ、獰猛な雄の黒鯨が一頭現れる。この鯨は大きさこそ小ぶりだが、悪魔のようにずる賢い。しかも自ら人間の舟を探して戦いを挑みに襲い掛かってくるというのだ。

そんな獰猛な鯨を狩ることはとても難しいことである。だが、もしもしとめることができたなら、その銛を突き立てとどめをさした者はたったひとつだけ願いを叶えることができるという。  

こんな話が伝えられている。昔、ある逞しく勇敢な心を持った若者がいた。彼は愛する人とと結ばれ幸せな日々を送っていた。しかし残念なことになかなか子宝には恵まれなかった。二人とも子供が欲しいと強く願っていたがその想いが天に通じるには時間がかかった。結婚して四年がたったころやっと妻に妊娠の兆候が見られた。手を取り合って喜びをわかちあった二人だったが子供は悲しいことに死産であった…。その後も同じようなことがあり、妻は少しずつ変わっていった。明るくてはつらつちしていた表情は見る影もなく。一日中布団のにくるまり、そこから出ることを拒絶した。彼もまた悲しみにくれていたがそんな妻を見ていることに耐えられなくなっていた。    

そんな苦しい日々が続いていたとき、新たな巫女が選ばれる「新年」が訪れた。彼は黒鯨に一人挑み、そしてしとめた。彼が願ったのはたった一人でいい。丈夫で逞しい男の子供だった。ぼろぼろになった妻の心にまた明るい光が戻ること、そして自分のあとを継いでくれる男の子を授かることであった。彼の願いは叶えられ、妻のお腹はゆっくりと膨らみ始めた。そして暖かく桜が満開に咲いたころ、普通の赤ん坊よりもかなり大きい男の子が誕生した。父と母の惜しみない愛情を受けスクスクと元気に育ったその男の子は誰からも好かれる優しさと、誰よりも強い力を持った男に成長した。そして漁師の頭となりその逞しい肉体とすばらしい統率力を発揮して大活躍をしたのである。彼の子孫は現在も漁師頭をしていて一族みんなからとても頼られている。

不思議なことに、黒鯨はしとめられてもまたその次の新年には現れる。漁師たちは、「あれは守り神の戯れだ」と言い、危険が多いにも関わらず新年には黒鯨の姿を捜し求めて舟を出し、命がけの勝負を挑むのだった。


海祭りで巫女に選ばれれば、「鯨の花嫁」となり一生を捧げる。それは一族からの尊敬と崇拝をうける最高の栄誉ではある。しかし、いざというときにはフィンのように一族を救うために自分の命を投げ出さなければならない。若く夢見がちな年頃の少女が背負うものとしてはとてつもなく重たいものだ。逆に選ばれなかったほうの者は巫女の世話と社の安全のためにその身をささげることとなる。選ばれないほうが自由はある。結婚を許され、また自分の時間も持つことが許されるからだ。何より命を賭すことなどない。

二人にとって「巫女になる」ということは生まれついて決まっていたことであり、そのために大切に育てられ、また村の人たちから特別扱いされてきたのはわかっている。だから今更嫌がることでも、覚悟がないわけでもない。

しかし、口には決して出さないが、あとたった一月で二人で過ごせる無邪気で自由に満ちた時間は終わってしまう。その限られた時間を謳歌するのが二人の暗黙の了解であった。

「あのね、ククサ。明日ってお休みの日じゃない?私ゴート爺とユラに会いに、神域の森に行きたいの。」

「あたしも行きたい!最近全然会いに行ってないものね。ユラ、元気にしてるかしら?ちょっとは筋肉がついて逞しくなってるかしら?」

「ふふふ。いくら森の中に住んでるといってももともとユラは本の虫だもの。ゴート爺のお手伝いをするつもりでいったんだとしてもきっと読書ばっかりしてるんじゃないかしら。私たちが会いに行っても前に会ってから三日もたってないって思ってるわ。あのね、六月の雨で崖が崩れたって言っていたじゃない?ダーラに一緒に来てもらって道を教えてもらおうと思うの。狩りの訓練も、明日ならばないだろうし。」

「そうね。そのほうがいいかも…じゃあ、母さんにお許しを貰いやすくするために夕御飯はあたしたちで作っちゃおうよ。どうせ兄さん料理へたくそで役に立たないんだからさ。」

そういってククサはフフと笑ってから、ふと表情を変えてアイノのほうを見つめた。

「な…何?」

「あのさ、アイノ、あなたまさかユラのこと…好きなわけじゃないわよね?」

「好きって?確かに私はユラのことは好きよ、ククサやダーラと一緒よ。」

「うん…」

まだククサはなにか考え込んでいるようだった。

「どうしたの?」

「あのね、あたし本当に自分が巫女になりたいと思っているの。そしたらそのときは、アイノはちゃんと幸せになるのよ。」

ククサはまじめな顔で見つめている。

「あたしたち血は繋がっていなくても、本当の姉妹よ。」

鼻の頭に汗は浮かんでいなかった。

「私もそう思っている。ククサの幸せも願っている。だから本当は…」

そのさきは言ってはいけない。ましてや誰かに聞かれてもいけない。二人だけの秘密の想いだから………。

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