手紙にかけられた魔法 6

 しばらくたつまで、シルマは後ろを振り返らなかった。振り向いたら負け。そう思っていたけれど、ようやく後ろを見た時にはすでに誰もいなかった。

 いつの間にか歩くスピードが速くなっていたみたいだ。速度を落としてアレックのことを考えた。あの人、あんな澄んだ瞳をしていた? もしあれ以上彼の目を見ていたら、エルメスたちのように虜にされかねなかったかもしれない。これも魔法だったりして。

 ぼーっと考えている自分に気がつくと、シルマは首を振った。

 だめだめ。私まで魔法をかけられてどうするの。


 普段から念入りに掃除が行き届いているはずの絨毯に、何かきらりと輝く物が落ちていた。そこがちょうど裏庭へ続く扉の前だったため、扉のガラス窓から日の光が反射している。それがあまりにもきれいだったので、シルマは少し駆けるようにして落とし物を確認した。

 きらきら輝くのはペンダントだった。緻密な鎖に、銀でできていると思われる楕円のメダルが通してある。メダルには何か不思議な模様がこまごまと彫られていた。

 アレックがさっきここを通ったのなら、これに気づかないはずがない。ということは、もしかしたらアレックの落とし物?

 そっと鎖をつまんで持ち上げてみた。思っていたよりも軽い。そしてメダルを見て、あれ、と首をかしげた。

 そこに彫られていたのは、犬か熊のような四つ足の動物が前足を上げた姿だった。二重の楕円で囲まれている。この絵ならシルマもよく知っていた。今、左手首につけているブレスレットと同じだ。シルマのお気に入りのブレスレットも、銀でできた輪の中央に楕円の水晶玉がはめ込まれていて、ペンダントと同じく四つ足の動物が浮かび上がっている。このブレスレットは幼い時にもらった大切な贈り物なのだが、それが誰からのものだったのかは忘れてしまった。覚えていないけれど、ずっとシルマの宝物だ。

 どうして同じ模様が?

 気になったのでペンダントはそのまま持っていくことにした。何も手掛かりが見つからなければ、侍女に渡せばいい。アレックの物かもって言えば、大騒ぎになりそうだ。

 裏庭へ降り立つと、気持ちの良い芝生が広がっていた。百年以上も戦争のない平和なクアラークでは、王城でさえも少し離れた裏門に衛兵がいるくらいで、そんなに見張りはいない。

 木漏れ日の下のしゃれたベンチに座ったシルマは、あまりの気持ちよさに大あくびをした。誰もいないことにほっとして、手すりに寄りかかる。手に持ったペンダントをもう一度よく見た。

「……きれい」

 思わず声に出してしまうくらい、美しいペンダントだった。メダルを裏にして、そこに刻まれた小さな文字を見つける。この周辺では見かけない文字だった。クアラークやブライアートなどとは異なる言語を持つ隣国のカラクスでも、こんな文字は使っていないはず。もう一度表に返すと、ほんの一瞬だけ青く光った気がした。


 ――いつの間にか眠ってしまっていたみたいだった。コツンと何やら頭に当たった感じがしてシルマは目を覚ました。周りを見ても誰もいない。その代わり、足元に封筒が落ちている。

 『クアラーク王国第二王女 シルマ・クォールティー殿下』

 黒いインクの続け字で書かれていたのはシルマの名前。拾って裏を見ても差出人の名前は見当たらなかった。

 封をしている蝋にはドラゴンの図柄が押してあるが、この紋に覚えはない。開けていいものかしら。迷った挙句、読んでみることにした。

 手紙は一枚。まるでついさっき書かれたような、まだしっとりと湿ったインクでこうつづられていた。



 前略

 姫君にあらせられましては、大変無礼を承知の上、こうしてお手紙を早急に書かせていただきましたこと、どうぞお許しください。

 先日、当方は貴女からの不当な扱いを受けたことについて遺憾に存じ、このような報復手段を取らせていただくことと相成りました。貴女にはお心当たりのないことやもしれませんが、疑わしき証拠をお持ちのようでしたのでその点はご容赦いただければ幸いです。

 ところで、この機会に申し上げますと、第一王女セリーヌ様におかれましては、手前勝手とは重々承知しておりますが、当方の都合で魔法をかけ、行方をくらましてしまったことに責任を感じており、弁解の余地もございません。心よりお悔やみ申し上げます。

 姫君が最後までこの手紙に目を通してくださることに深く感謝いたします。

 早々

 アシス・R・グライフィーズ


 シルマ・クォールティー殿下



 ……どういうこと?

 そう思う間もなく、シルマは突然奇妙な感覚におそわれた。身がねじれるような、からだ全体が圧迫されているような窮屈さを感じて、それを最後にシルマは声を出すことも、動くこともできない姿にされてしまった。

 新緑の風に飛ばされそうになった手紙から、不思議な緑色の炎がぼっと燃え出て、あっという間に手紙はちりぢりになった。果ては、燃えかすさえもどこかに消え去ってしまったのだった。




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